山内惠介(やまうちけいすけ)さんは、『風蓮湖』『恋の手本』などで知られる人気演歌歌手です。
『演歌界の貴公子』という異名を持つ彼ですが、いったいどんな魅力があるのでしょうか。
その他にも、デビューしてからの知られざる苦労や性格についても調査してみました。
山内さんについて色んな角度から深堀してみたので、ぜひ最後までお付き合いください。
山内惠介のプロフィール
愛称:恵ちゃん
本名:山内恵介
生年月日:1983年(昭和58年)5月31日
身長:178cm
出身地:福島県糸島郡前原町
最終学歴:北豊島高等学校通信制課程卒業
所属事務所:三井エージェンシー
山内惠介の魅力を分析
山内惠介さんは、人気の演歌歌手です。
そんな彼の魅力とはどんなところなのかを探ってみました。
歌唱力
山内さんの魅力1つ目は、やはりその歌唱力です。
山内さんは、16歳の頃に地元福岡県のカラオケ大会に出場します。
そこで、氷川きよしさんを輩出した作曲家・水森英夫さんに目をかけられてデビューのチャンスを掴みました。
その時、水森さんは「今すぐ東京に連れていきたいような逸材」といった誉め言葉を贈っています。
氷川さんのような人気歌手を生み出した先生にそこまで評価されるとは、それだけ山内さんの実力が高かったということです。
その後は、月1のペースで東京へ通いながら、水森さんから指導を受けてさらに実力を磨きました。
もともと持っていた才能に、専門家の指導が加わったわけですから、山内さんの歌唱力には疑いの余地がありません。
整った外見
山内さんの魅力2つ目は、整った外見です。
山内さんは歌舞伎役者のような、涼し気で爽やかな顔立ちです。
芸能人でいうならば、笑った顔が堂本光一さんに似ています。
また、体形がかなりやせ型でスラリとしていることもあり、少し中性的な雰囲気もありますよね。
さて、そんな彼のイケメンぶりは、業界も認めるとことです。
その証拠に、NHK歌謡コンサートでは、同じく演歌歌手の北川大介さん・竹島宏さんらとともに『イケメン3』というユニットを結成しています。
なんと、このイケメン3人衆で写真集まで出版するという、アイドル顔負けの活動も行っているので驚きです。
歌手として歌で勝負するのが一番大切ですが、人を惹き付ける外見も彼の大きな魅力であることは否定できませんね。
好き嫌いの声を調査
人気歌手の山内惠介さんですが、好き嫌いは人によって分かれます。
彼のことを好きという人と嫌いという人両方の声を集めてみました。
インターネット上には、ある有名人のことが好きか嫌いか投票する「好き嫌い.com」というサイトがあります。
そこには山内惠介さんのトピックがあり、不特定多数の方が投票している様子です。
参考までに、2023年5月現在までの投票結果を見てみると、好き派が29607票で56.2%・嫌い派が23074票で43.8%という結果です。
この結果を見る限り、世間には山内さんのことを好きという方の方が多いと言えます。
このサイトに限らず、ネット上で好き派の理由を探ると「ライブでのホスピタリティ、思いやり溢れる楽しいステージ」「頑張っている姿勢が好き」との意見です。
好き派は、テレビやコンサートなどでパフォーマンスする姿を見て好感を持っているのですね。
逆に嫌い派は、調べた限り「嫌い」と明言していますが、何故嫌いかまで明かしている人は少ないです。
人には誰しも好みがありますから、特に理由がないけど何となく嫌いというのもあるのでしょう。
山内さんに限らず、どんな人気者にもファンとアンチがいるものです。
山内さんも世間の声はほどほどに気にしながら、マイペースに活動するのが一番でしょう。
山内惠介の苦労時代
今でこそ、演歌界の貴公子などと言われて人気を不動のものとしてる山内さんですが、人知れず苦労した時代もあります。
ここからは、山内さんの苦労時代や苦労した点などにスポットを当ててみましょう。
全く売れなかった過去
山内惠介さんは、シンデレラボーイのようなイメージがありますが、実は苦労もありました。
山内さんは、高校在学中の2001年にデビューを果たしました。
作曲家の水森英夫さんにスカウトされてから、1年半でデビューというので、まさにシンデレラボーイですよね。
しかし、デビュー後はブレイクするまでに時間を要し、苦労が続きます。
本人としては、挨拶も歌も基礎がないままデビューしたにも関わらず、漠然とうまくいくと考えていたそうです。
しかし、数年が経った頃「思い描いていたとの違う」ことに気づいたのです。
4年目頃からは、新曲は出してもメディアに出演できる機会も減り、キャンペーンが終わればすっかり暇するようになりました。
そんな時には、師匠の水森先生にアルバイトしたいと言ったり、辞めたいと言ったことすらあったといいます。
いつも爽やかな笑顔の山内さんですが、歌手を辞めたいと思うくらいに苦労した時代もあったのです。
クセを直すことに苦労
山内さんは、ろくな下積み生活を積まないままデビューしたために、デビュー後には思わぬ苦労が待ちわびていました。
それは、自分らしい歌い方を見つけられなかったことです。
山内さんは、子供のころから美空びばりさんに憧れていたといいます。
その影響で、以前は歌い方がどうしても美空さん風になってしまうクセがあったのです。
とんとん拍子にデビューまで漕ぎつけたまでは良かったものの、そういうクセを直し、自分なりの歌い方を身につけることに苦労したのですね。
確かに、プロとしてやっていくには、ただ上手なだけでなく自分にしかない個性が必要です。
こういった経験も、今の山内さんからは想像がつかない苦労エピソードでしょう。
山内惠介が北海道で人気の理由
山内惠介さんは、福岡県出身であるにも関わらず北海道高い人気を獲得しています。
そこにはどんな理由が隠されているのでしょうか。
山内さんは、高校生でデビューしたものの、その後はなかなかヒットに恵まれない時代が続きます。
そんな彼に明るい兆しが見え始めたのが、2009年にリリースしたシングル『風蓮湖』です。
この曲は北海道・根室半島にある風蓮湖を舞台にした歌だったため、山内さんは北海道でのキャンペーンに力を入れました。
そういった努力の甲斐あって、北海道において同曲が人気を博すのです。
その結果、彼は北海道でテレビやラジオのレギュラーを持ったり、札幌ドームで行われるプロ野球の試合で国歌斉唱を任されるまでになりました。
地元出身の芸能人が地域で愛されるのはよくある話ですが、山内さんの場合出身地から遠く離れた北海道でローカルスターのような扱いを受けているのですね。
ちなみに、北海道での成功の理由には、彼がファンに対し常に丁寧な対応を心掛けたり、現地のスタッフやマスコミと信頼関係を築いていることが挙げ得られています。
山内さんが北海道で人気者になれた陰には、売れない時代にもコツコツと人とのつながりを大切に活動した本人の努力が見え隠れしますね。
山内惠介の性格は甘えん坊
山内さんの性格は、少し甘えん坊なところがあるようです。
3人兄弟の末っ子として生まれた山内さんは、上の2人とかなり年が離れていることもあり、母親から多大な愛情を注がれて育ちます
山内さんが高校2年生で上京した際には、母親が東京まで付いてきてくれたそうです。
その母親が地元に帰る際には、2人とも涙でぐしゃぐしゃだったというので、母と息子の結びつきの強さを感じさせられます。
ちなみに、山内さんが、甘やかされて育ったタイプであることは周囲のスタッフにも気づかれているそうです。
そのため、デビュー後は実家への甘えを断ち切るためか、両親と連絡を取らないようにと言われてしまいました。
なんと、携帯電話の番号やメールアドレスまで替え、6年間音信不通だったというので凄いですね。
そんな甘えん坊の3男が、今では演歌歌手として成功している姿を見て、実家の家族はほっと胸を撫でおろしていることでしょう。
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