小林幸子、若い頃の全国行脚。実家は精肉店。母親からの反対、父親は元軍人&兄弟は姉2人

小林 幸子(こばやし さちこ)さんといえば演歌や舞台、バラエティ番組など幅広い分野で活躍をし続けているスターの1人として知られています。

しかし、デビュー当時から順風満帆だったわけではなかったそうで、売れていないときは全国各地の飲み屋を回って営業をしてた過去もあるそうです。

今回の記事では、小林さんの若い頃や実家、両親や兄弟など家族について見ていきましょう。

小林幸子のプロフィール

出生名:小林 幸子(こばやし さちこ)

出身地:新潟県新潟市

生年月日:1953年12月5日

所属レーベル:サチコプレミアレコード

若い頃の小林幸子は売れなかった

まず最初の項目では、小林幸子さんの若い頃について見ていきましょう。

小林さんは、9歳の時に「歌まね読本」(TBS)のチャンピオンになり、審査委員長だった作曲家・古賀政男さんにスカウトされ、1964年に「ウソツキ鴎」で芸能界デビューしました。

その後もバラエティーやドラマの主演や主題歌を担当するなど非常に順調な滑り出しでした。


ところが、周囲が「美空ひばり二世」と勝手に持ち上げた割にはヒット曲に恵まれず、しかも美空さんの母が「模倣している」と嫌悪感を持たれたことで仕事が激減。

確かに美空さんとは経歴が似ているので、ささいなこともマネと煙たがられたのかもしれません。

また、古賀さんの後押しを受けている小林さんを干せる”美空家”の凄さを感じることができます。

仕事が無くなった小林さんは全国各地の飲み屋を10年近く回り、お店で歌うだけでなく接客も務め、中には屈辱的なセクハラのような言動を受けたこともあったそうです。

低迷期は名前も頻繁に変えたり、週刊誌でセミヌードを披露するなど”もがき”続けました。

そんな中、1979年にリリースした「おもいで酒」が有線放送で話題になり、レコードは200万枚の売り上げを記録、さらに年末のNHK紅白歌合戦に初出場。

このヒットで名実ともに日本を代表する歌手として認められ、その姿は2024年現在へと至ります。

売れずに下積みが長いというパターンは多々ありますが、華々しくデビューをして転落、その後に復活どころかパワーアップした歌手は非常に珍しいそうです。

低迷期の苦労や屈辱、そして少しの喜びが小林さんを大きく成長させたのでしょうね。

小林幸子の実家は精肉店をしていた

小林幸子さんの実家は新潟県新潟市で「小林精肉店」を営んでいました。

開店した当初は周辺に肉屋がなかったことから繁盛しましたが、1964年6月16日の新潟地震で大きな被害を受け、のちに閉店したそうです。

その後、家族は幸子さんの芸能界デビューに伴って上京をしました。

上京後しばらくして両親は静岡県の熱海へ移住し、幸子さんとは別々の生活を送ったそうです。

熱海では特に事業をしていないので、実家に関する情報は精肉店ぐらいしかありませんでした。

とはいえ、幸子さんは2024年現在も新潟県の仕事や熱い思いを口にしていますから、小林家の実家や故郷は新潟のままなのでしょうね。

母親は芸能界入りに反対していた

小林幸子さんの母親はイツ(旧姓:宮崎)さんといい、実家は農業をしていたそうです。

喜代照さんと結婚後は精肉店を始めるように勧め、想像していたよりも成功を収めました。

一方で幸子さんの芸能界入りには反対し、勧める喜代照さんと衝突することもあったそうです。

しかし、幸子さん自身が歌手になりたいとの思いを伝えるとイツさんも仕方なく認め、上京後は家族を支えるために飲食店などで懸命に働きました。

しばらくして幸子さんは演歌界のスターになりましたが、それでもイツさんは芸能活動には否定的だったそうです。


イツさんが反対し続ける理由は、娘に普通の女性として幸せになった欲しいとの思いからでした。

残念ながらイツさんは2001年7月17日に79歳で亡くなりましたが、それから10年後の2011年11月15日に幸子さんは林明男さんと結婚し、母の願いを叶えることができました。

母親からすると金銭的な成功よりも、一人の女性としての幸せの方が嬉しいのかもしれませんね。

父親は元軍人で芸能界に前向き

小林幸子さんの父親は喜代照(きよてる)さんといい、結婚後に新潟で精肉屋を営んでいました。

第二次世界大戦の激化に伴って戦地に送られることになりましたが、運が良かったのか大きな怪我をすることなく終戦を迎えています。

ちなみに、幸子さんの夫になった林明男さんの父親も同じ戦場にいた戦友で、この共通点が関係を深める一助になったのは有名な話ですよね。

喜代照さんは自費でレコードを作るほどの歌好きなだけでなく、幸子さんに内緒で「歌まね絵本」に応募をして人生に大きな影響を与えていました。

そこで古賀政男さんにスカウトされましたが、そのときの喜びようは相当なものだったでしょうね。

その後は親子で苦楽を共にし、喜代照さんは2006年に87歳で亡くなりました。

幸子さんの才能や努力はもちろんですが、喜代照さんが「歌まね絵本」に応募しなければ歌手・小林幸子は誕生していなかったかもしれません。

小林幸子の兄弟は姉が2人

最後の項目では、小林幸子さんの兄弟についてチェックしておきましょう。

幸子さんは三姉妹の末っ子であることを公言しており、あわせて長女の名前は塩崎(旧姓:小林)静江さんということが判明をしています。

静江さんも歌手になりたいという思いがあったそうですが夢は叶わず、インテリアプランナーとして活動しているとのことでした。

また、静江さんの娘は塩崎沙織さんといい、俳優やタレントとして活動をされているそうです。

沙織さんは幸子さんとも非常に仲が良いらしく、Youtubeチャンネルに顔出しで出演していました。

幸子さんには子供が居ませんから、姪の沙織さんを娘のように思っているのかもしれません。


もう一人の姉、二女については何も情報が無いので、一般人として生活していると考えられます。

三姉妹はそれぞれ違う環境で暮らしていますが、今後も仲良く支えあって過ごして欲しいですね。

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