今回はロック歌手の川村カオリ(かわむらかおり)さんについて、ご紹介します。
川村カオリさんは1971年1月23日生まれ、2009年7月28日にお亡くなりになっています。
川村カオリは乳癌で死去!ZOOでデビュー!
2004年に乳癌が見つかり、左乳房を切除、抗がん剤治療を受けていました。
2005年には復帰して、芸能活動を再会しています。
またエッセイでは、乳癌の闘病生活について綴られています。
2008年には癌の再発をブログにて発表しています。
川村カオリさんは1988年11月にファーストシングル「ZOO」にてデビューをしています。
辻仁成さんが作詞作曲をした歌で、数々のカバーもされていますね。
辻さんが中心として活動されていたECHOESでセルフカバーをされています。
この名曲を最初に歌ったのは、川村カオリさんだったのですね。
川村カオリの葬儀の娘の姿に涙!最期はモトアキが看取った?
川村カオリさんの通夜、葬儀では気丈な娘さんの姿に参列者は涙したといいます。
また元夫であるモトアキさんは、川村カオリさんの最期を看取ったようでした。
一度は離婚していたものの、やはり元夫婦ということで、最期を看取られたようです。
川村カオリさんの乳癌が発覚した時、モトアキさんは傍にあまりいてあげなかったそうです。
川村さんは傍にいて欲しかったようなので、最期は看取ってもらえて幸せだったのではないでしょうか?
また川村カオリさんが亡くなったことを受け、吉川晃司さんを始め、著名人たちが悲しみにくれました。
それだけ影響力のある方で、沢山の人たちから支持されていたことが分かります。
もちろん、川村カオリさんの死をファンはとても悲しみました。
今も川村さんの死を受け入れることができないというファンもいるそうです。
若くしてお亡くなりになったことは、本当に残念だったと思います。
川村カオリはピンクリボン運動にも参加!
川村カオリさんの9回目の命日が、2018年7月28日でした。
これからも毎年命日には沢山の人たちが、川村カオリさんの死を惜しむでしょう。
もっと長く生き、沢山の名曲を歌って欲しかったと思います。
川村さんの母親も乳癌だったので、川村さんは娘のるちあさんには乳癌になってもらいたくないという旨を手紙に書き記しています。
娘を思う、母の気持ちがよく伝わる手紙でした。
ピンクリボンフェスティバルのトークショーなどにも参加されていましたね。
癌は何といっても、早期発見が大切です。
ピンクリボンの運動がもっと広まり、沢山の女性たちがその病に苦しまないよう、1年に1回はマンモグラフィーの検査を受けることの大切さを川村カオリさんは私たちに教えてくれました。
これからも川村カオリさんの生き方を、私たちは見習っていくことでしょう。
沢山の女性たちから今も憧れられている、川村カオリさん。
川村カオリさんのご冥福を心よりお祈り致しております。
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