『世界ウルルン滞在記』の独特なナレーションが印象的だった下條アトム(しもじょう あとむ)さん。
現在はどんな活動をされているのか気になる方もいるのではないでしょうか。
下條アトムさんは映画、ドラマ、声優、ナレーターと幅広く活躍する芸歴の長い役者さんです。
今回は、下條さんの父親や病気の噂、現在について調べてみました。
下條アトムの父は”おいちゃん”?あの俳優の息子だった!
それにしてもアトムという名前はインパクトがありますね。
これは本名です。
苗字には「條」という漢字を使うことが多いですが、正式には「絛」と書きます。
手塚治虫さんの漫画『鉄腕アトム』が由来と思われがちですが、実は違います。
父親は、戦後まもなく誕生した長男の名前を考えに考えました。
将来は日本もアメリカ式に名前・苗字の順に呼ぶようになるだろう。
名簿はローマ字のAから始まるに違いない。
原子力は戦争にではなく、平和のために発電などに使ってもらいたい。
というわけで、長男の名前は英語で原子を意味するアトムに決定。
『鉄腕アトム』の連載開始は、これよりずっとあとのことです。
当時としては相当なキラキラネームをつけたこの父親は、下條正巳さん。
映画『男はつらいよ』シリーズで3代目・”おいちゃん”役を演じた俳優です。
主人公・車寅次郎のおじで、葛飾区柴又にある団子屋の主人ですね。
下條正巳さんは若い頃から役者一筋の人生で、松竹映画を支えた名脇役の一人です。
晩年は北野武監督作品にも出演していました。
2004年にすい臓がんで他界しています。
下條正巳は戦後、新劇の舞台人として多くの観客を魅了。
幼い頃、父の楽屋に行くことが楽しみで、役者が化粧する姿、ドーランの匂い、楽屋で繰り広げられる日常とかけ離れた異次元の世界が心地よかつた少年は舞台の世界を身近に感じて育つ。
そして父と同じ舞台に立ちたいと思うようになっていった。
家ではいつも苦虫を噛み潰したような顔をして、余計なことは一切言わない放任主義だった父。
しかし年を重ねた今、父の言葉が胸に響く。
「役者である前に、まずは人としてきちっと生きろ」。
下條アトムさん自身は、父・正巳さんの存在について回想しています。
正巳さんに”おいちゃん”役のオファーがきた時、自分には大役すぎると迷っていた父の背中を押したのは、息子のアトムさんだったそうです。
“ウルルン”ナレーション誕生秘話
下條アトムさんはかつて『世界ウルルン滞在記』でナレーションを担当していましたね。
「〇と〇が出会ったぁ〜」という独特のフレーズは「ウルルン口調」と呼ばれ、番組終了から10年以上たった今でもモノマネのネタにされるほど。
誰もが知っているフレーズですが、番組開始当初は「ウルルン口調」ではなかったそうです。
「がんばれ、がんばれ」と思いながらサポーターの気持ちでナレーションをすることで、あの口調が誕生したとのこと。
もしかしたら、現地の過酷な映像を未編集の状態で目にしていたのかもしれませんね。
感情移入してしまうのも無理はありません。
ナレーターとして言葉に気持ちを吹き込むことで生まれたのが、あの温かみのある「ウルルン口調」だったのですね。
下條アトム、病気の噂と現在
下條アトムさんはバラエティー番組に出演することが少ないため、なかなか私生活の様子を垣間見ることができません。
病気の噂がありましたが、これは事実ではないようです。
2007年に『世界ウルルン滞在記』の大幅リニューアルが行われ、ナレーターが下條アトムさんから松尾スズキさんにバトンタッチされました。
病気が降板の理由ではないかと思われたのが原因のようです。
ただ、若い頃にバセドウ病を発症した経験があるそうです。
「仕事がお薬、いちばんの健康法」と語る下條アトムさん。
近年は舞台『リア王』で元気な姿を見せてくれました。
2023年現在も俳優、声優、ナレーターとして精力的に活動しています。
豊富なキャリアと人生経験を活かして、今後はバラエティー番組にも進出してほしいですね。
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