蜷川幸雄と俳優、木村拓哉・藤原竜也・西島隆弘との関係が深い

「世界のニナガワ」と呼ばれた名演出家・蜷川幸雄(にながわ ゆきお)さん。

16歳の木村拓哉さんやまだ無名だった藤原竜也さん、AAAのボーカル・西島隆弘さんを大胆に起用するなど、多くの若手俳優を育てました。

愛のムチを受けた俳優たちとの関係やエピソードを紹介します。

蜷川幸雄のスパルタ演技指導!


若手俳優を発掘する目と育てる力に定評があった蜷川幸雄さん。

勝村政信さん、藤原竜也さん、小栗旬さんなど、蜷川幸雄演出の舞台で抜擢された後、大きく花開いた俳優はたくさんいます。

蜷川さんといえば、有名なのが「稽古中に灰皿が飛んでくる」という厳しい指導スタイル。

役者を容赦なく怒鳴りつけることもあった蜷川幸雄さんでしたが、人知れずそのことを気にしていたと大竹しのぶさんが告白しています。

「そーっと私のところに来て、『ねぇ俺、言い過ぎた?』とか、『大丈夫それは愛だから、分かってる大丈夫、通じてるから』って言うと、『だよね、ちょっとフォローしておいてくれる?』とか、そういうかわいいところもありました。

本当はあんなどなっていながら、すごい一番気にしているし、一番優しい人でした」

晩年は、その指導スタイルがややソフトになったそうです。

怒りを爆発させなくなったのは、俳優との関係を修復するのに時間がかかるから。

しかし、その厳しい演技指導によって演技力を磨いた役者が多いのも事実です。

蜷川幸雄と木村拓哉の関係は?

木村拓哉さんも蜷川幸雄さんに灰皿を投げつけられた一人です。

木村さんの本格的な俳優デビューは1989年の蜷川さん演出の舞台『盲導犬』でした。

当時は精神的に相当追い込まれ、ストレスで後ろ髪が白髪になるほどだったとか。

蜷川幸雄さんとの出会いはジャニー喜多川社長のひと言がきっかけだったそうです。
「ちょっとユー、行こうよ」

軽い言葉で、いきなり名演出家に引き合わされた16歳の木村拓哉さん。

「大変どころじゃなかったですよ。」

木村拓哉さんは、蜷川作品に出演したことで演技の仕事をしていく決心をしたといいます。

キムタクの芸能人生にとって、蜷川幸雄さんとの出会いが大きな転機となったのは間違いないでしょう。

蜷川幸雄の秘蔵っ子・藤原竜也

藤原竜也さんは蜷川作品常連組の一人であり、愛弟子でもありました。

14歳で挑んだ『身毒丸』のオーディションで見いだされた藤原竜也さん。

ロンドン公演では「15歳で初舞台とは思えぬ存在感、天才新人現る」と絶賛され、21歳で主演した『ハムレット』では数々の演劇賞に輝きました。

「世界のニナガワ」に大切に守られ、育てられた秘蔵っ子といえるでしょう。

蜷川幸雄さんの告別式で泣きながら弔辞を読み上げた藤原竜也さん。

演劇人・藤原竜也を創り上げた大恩人でした。

蜷川幸雄と西島隆弘

AAAのボーカルやNissy名義でソロ活動する西島隆弘さんは、2012年の『下谷万年町物語』で蜷川幸雄さんから声がかかりました。

当時、西島さんは芸能活動に閉塞感を感じていたそうです。

本読みの段階で、いきなり怒鳴られたという西島隆弘さん。

戦後間もない時期の設定なのに、当時の言葉遣いができていなかったそうです。

西島さんは稽古後に言葉を一つひとつ当時の言葉に置き換えて覚え、翌日の稽古に向けて徹夜で猛練習。

真剣勝負で向き合う現場の醍醐味を肌で感じさせてもらったと振り返っています。

蜷川幸雄さんから、音楽をやめて演劇の世界で生きるように勧められた西島さんでしたが、なかなかスケジュールが合わなかったこともあり、その後のオファーは断っていたようです。

東京・青山葬儀所で営まれた通夜では、悲痛な思いに顔を歪め、蜷川さんへ呼びかけていました。

怒声を浴びせたり物を投げたりといった厳しい指導で知られた蜷川幸雄さん。


しかし、本番の舞台の完成度から出演を熱望する俳優は後を絶ちませんでした。

起用する役者は実力派俳優から人気アイドルまで。

意表をついたキャスティングで話題を呼ぶことでも有名な演出家でした。

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