村下孝蔵の評価は天才&性格は?ギターが神レベル。死因とは

人々の琴線に触れる多くの楽曲を世に送り出した村下孝蔵(むらした こうぞう)さん。
不世出のシンガーソングライターと言っても過言ではないかもしれません。

今もなお天才と評価される村下孝蔵

「初恋」や「踊り子」、「ロマンスカー」といった名曲で知られる村下孝蔵さん。
実家が経営する映画館の事務所にあるレコードを姉と聴き漁るなど幼少期から多くの音楽に触れていたそうです。


村下孝蔵さんが歌手を夢見るようになったのは必然と言えるかもしれません。

村下孝蔵さんが始めに夢中になったのはロカビリー。
次にエレキギターに興味を持ち両親にせがむも「不良になるから」と買ってもらえず。
仕方なくラワン材でギターを自作して練習していたそうです。

音楽だけでなく水泳も得意だった村下孝蔵さんは特待生として鎮西高等学校に進学。
高校卒業後は実業団で水泳を続けるも記録が伸び悩んだ事で退社してしまいます。

その後、広島に移った村下孝蔵さんは1972年に日本デザイナー学院広島校に入学。
平和記念公園でギターを弾き、曲作りをするなど音楽活動を始めます。

村下孝蔵さんがエレキギターからフォークギターに変えたのは丁度この頃。
当時の広島では吉田拓郎さんを真似てフォークギターを弾く人ばかりでした。
そのためエレキギターだと友人が出来ないためにフォークギターに持ち変えたそうです。

日本デザイナー学院を卒業した村下孝蔵さんはヤマハ広島店に就職。
ピアノの調律師として勤務しながらアルバイトとして弾き語りをするなど音楽活動を続けます。

そんな村下孝蔵さんの人生の転機となったのが1979年。
知り合いのライブハウス店主に勧められてCBSソニーのオーディションに参加すると見事合格。

翌年の1980年に「月あかり」でメジャーデビューを果たします。
デビュー後も地道な音楽活動を続けた事で徐々に人気が出てきた村下孝蔵さん。

その人気を決定づけたのが5曲目の「初恋」でした。
自身の初恋の思い出が基となった同曲でオリコンチャート3位にランクイン。
名実ともに日本を代表するシンガーソングライターの仲間入りをする事となりました。

多くの人が「天才」と評価する村下孝蔵さん。
天才と言われる所以は歌詞の素晴らしさと見た目からは想像がつかない美声に安定した音程。
シンガーソングライターに必要な才能を全て兼ね備えていると言っても過言ではありません。

村下孝蔵のギターは神業レベル?

幼少期にベンチャーズに憧れ、手作りのギターでテクニックを磨いた村下孝蔵さん。
そのテクニックは群を抜いていて神業と絶賛される程。

レコーディングではギターを演奏する機会はあまりなかったそうですが、ライブではその腕前を惜しみなく披露していました。
ライブの定番となっていたのが「ひとりベンチャーズ」。

村下孝蔵さんの「ひとりベンチャーズ」は同じくシンガーソングライターのさだまさしさんも絶賛していたそうです。

村下孝蔵さんがギターの腕前を披露する動画はYoutubeに幾つかあがっています。
気になる方は動画を探してみてはいかがでしょうか。
きっとそのテクニックに驚いてしまうはず。

村下孝蔵の性格は?

ふくよかな体型と優しい笑顔で良い人というイメージの村下孝蔵さん。
人は見た目では判断できないと言いますが、村下孝蔵さんの性格はどうだったのでしょうか。

調べてみると村下孝蔵さんの性格はかなり良かったようです。
特にファンには丁寧に接する方だったようです。


子供連れでライブに訪れたファンを気遣う、出待ちのファン全員と握手をしていたなど村下孝蔵さんがファンを大切にしていた事が分かるエピソードがいくつかありました。

その一方で繊細で人前に出るのが少し苦手という所もあったそうです。
村下孝蔵さんは繊細だからこそ人の心に突き刺さるような歌詞が書けたのかもしれません。

村下孝蔵の死因とは?

1999年6月24日に46歳という若さで亡くなった村下孝蔵さん。
その死因は脳出血でした。

村下孝蔵さんはコンサートのリハーサル中に体調不良を訴え、自分の脚で病院に向かったのが6月20日。
それから4日後に亡くなってしまったんです。

あまりにも急だった村下孝蔵さんの死。
多くの人がその事実を受け止める事が出来なかった事でしょう。

6月26日に行われた葬儀では出棺の際に村下孝蔵さんが最も気に入っていた曲「ロマンスカー」が流されたそうです。
7月3日に渋谷公会堂でお別れ会、8月8日には広島で音楽葬が営まれました。


最後まで音楽を愛し続けた村下孝蔵さん。
「初恋」に代表される名曲の数々と共に今後も人々の心に生き続けていくことでしょう。

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