村下孝蔵の子供と妻、家族について。離婚の原因&再婚相手も同じ名前?

亡くなる直前までシンガーソングライターとして活動していた村下孝蔵(むらした こうぞう)さん。
あまりにも早すぎる死は日本音楽界の損失と言えるでしょう。

村下孝蔵の芸能界入りのきっかけは家族?

熊本県で映画館を経営する両親の元に生まれた村下孝蔵さん。
両親はかつては7軒もの映画館を経営する資産家だったそうです。


映画館で日劇ウエスタンカーニバルの映像を観て、休憩時間にかけるためのレコードを聴き漁る日々を送っていた村下孝蔵さん。
中学生の頃に「エレキの若大将」を見たことでエレキギターに憧れるようになったんだとか。

村下孝蔵さんと音楽の出会いには家庭が映画館を経営した事が大きく関係していた事が分かりますよね。
もし、村下孝蔵さんの実家が映画館でなければ音楽とは出会っていなかったかもしれません。

エレキギターに憧れるも両親は不良になる事を恐れたため買い与えず。
村下孝蔵さんは仕方なくラワン材と釣り糸でギターを作成し練習していたそうです。

その後、村下孝蔵さんは水泳部の特待生となり鎮西高等学校に入学。
鎮西高等学校を卒業後は実業団の新日本製鐵八幡製鐵所で水泳を続けるも記録が伸びなかったため僅か半年で退社してしまいます。

両親が収益悪化により映画館を廃業し広島の東洋工業に務めていたこともあり村下孝蔵さんも広島に転居。
村下孝蔵さんは日本デザイナー学院広島校を卒業後、ヤマハ広島店に入社。
ピアノの調律師として働きながらホテルのラウンジで弾き語りのアルバイトや自主製作で楽曲を発表するなど音楽活動も行っていました。

村下孝蔵さんは1979年に知人に勧められて出場したオーディションに合格した事でデビューが決定。
1980年に「月あかり」でデビューするもなかなかヒット作に恵まれず。
そしてデビューから3年後の1983年にリリースした5枚目の「初恋」が50万枚を超える大ヒットとなり一躍人気歌手の仲間入り。

その後も多くの楽曲をリリースするなど創作意欲が衰える事はなかった村下孝蔵さん。
1999年6月24日に46歳という若さで急逝した際には日本中が驚きと悲しみに包まれました。

村下孝蔵の妻はどんな人?

村下孝蔵さんが結婚したのは1979年の年末。
お相手の女性は日本画家・船田玉樹さんの娘である優子さん。

二人の出会いは1978年のこと。
村下孝蔵さんが弾き語りをするライブハウスを訪れた優子さん。
演奏技術の高さと美しい歌声の虜になってしまったそうです。

ピアノの講師をしていたという優子さん。
きっと村下孝蔵さんの素晴らしさを人並み以上に感じ取ったのでしょう。

村下孝蔵さんは優子さんと結婚した翌年にデビュー曲をリリース。
1982年には妻の名をタイトルにした「ゆうこ」という楽曲も発表しています。

「ゆうこ」は「初恋」と比べると知名度は劣っていると言えるでしょう。
ですが7カ月半もの間チャートにランクインするなどロングヒットを記録した楽曲なんです。

妻の名前を楽曲のタイトルにするなど夫婦仲は良好だった村下孝蔵さんと優子さん。
ところが1985年に離婚してしまっています。

なお、現在の優子さんはアコーディオン奏者、絵本作家として活躍されているようです。

村下孝蔵が離婚した原因は?

不遇の時期を支えてくれた妻と人気絶頂期に離婚した村下孝蔵さん。
気になる離婚の原因には2つの説があります。


まず1つは「初恋」の大ヒットにより多額の収入が入るようになった事で妻が遊び歩くようになった、という説。
もう1つが村下孝蔵さんの両親が急に家に来て元妻を追い出した、という説です。

ちなみに前者は村下孝蔵さん側の言い分で後者は元妻側の言い分。
互いに自分に離婚の原因があるとは思わせたくない様子がヒシヒシと伝わってきますね。

お互いの言い分が異なっている以上、どちらが正しいかを判断する事は非常に難しいと言わざるを得ません。
一体どちらが嘘を言っているのか、真実を知るのは本人達のみです。

村下孝蔵は再婚相手も同じ名前だった?

1985年に優子さんと離婚した村下孝蔵さん。
詳しい時期は不明ですがその後、再婚したようです。

妻は一般人なのか詳細な情報は見つかりませんでした。
唯一分かったのが名前だけ。

なんと再婚した妻の名前も「ゆうこ」。
前妻は「優子」でしたが再婚した妻の名前は「裕子」と漢字は異なりますが。

村下孝蔵さんは「ゆうこ」という名前に惹かれて結婚したわけではないでしょう。
それにしても凄い偶然ですね。

村下孝蔵に子供はいる?


2度に渡って「ゆうこ」さんと結婚している村下孝蔵さん。
前妻の優子さんとの間に女の子が1人産まれています。

娘は1980年生まれで名前は「露菜(ろな)」。
現在はシンガーソングライター、マトリョーシカの絵付け作家として活動中。
露菜さんはアコーディオン奏者として活動する母と二人でコンサートを開く事もあるようです。

当初は村下孝蔵さんの元妻、娘である事を明かしていなかった二人。
ですが今は元妻、娘である事を公表するだけでなく村下孝蔵さんの楽曲をカバーしたCDをリリース。
また、コンサートで演奏する事もあるようです。

離婚はしてしまいましたが村下孝蔵さんの才能を誰よりも知っている元妻と娘。
今後も村下孝蔵さんの歌の素晴らしさを広め続けていくことでしょう。

村下孝蔵さんと前妻の間に娘がいた事は良く知られているようですが、再婚した妻との間にも娘がいたようです。

村下が突然この世を去ったのは99年6月24日。20日に東京・駒込のスタジオでコンサートツアーのリハーサル中に高血圧性脳出血で倒れ、病院に運ばれたが、意識不明の状態が続き、帰らぬ人となった。まだ46歳の若さだった。
スタジオで倒れた日は6月の第3日曜日。「父の日」だった。幼稚園に通う末娘から曜日指定で届けられた感謝の手紙を読むこともなく天国へと旅立ってしまった。

ちょうど可愛い盛りの娘を残して亡くなってしまった村下孝蔵さん。
きっと無念の気持ちでいっぱいだった事でしょう。


当時の娘は村下孝蔵さんが亡くなった事を理解できていなかったかもしれません。
今になって自分の父親がどんなに凄い歌手だったか理解して驚いているのではないでしょうか。

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