作詞者の永六輔(えい ろくすけ)さんは草創期のテレビ番組作りに携わった放送作家の草分け的存在です。
東日本大震災では、『上を向いて歩こう』『見上げてごらん夜の星を』が人々に口ずさまれ、被災者の心を元気づけました。
軽妙なトークで視聴者をわかせる人気タレントであり、ラジオパーソナリティー、エッセイストでもありました。
今回は東大在学中に自著を発表した孫(たくみ)と、その兄で俳優の育之介さんに注目。
永六輔さんに息子はいたのかどうかについても調べてみました。
永六輔の孫(たくみ)は東大生作家?
永六輔さんが1994年に発表し、200万部を超える大ベストセラーになった『大往生』。
病気や老い、死に関する一般の人々のさまざまな本音や名言に、永六輔さんが言葉を添えた一冊です。
浄土真宗のお寺に生まれた永六輔さんには幼い頃から死が身近にありました。
父親を看取り、親友を立て続けに失った時期に、死についてまとめた作品です。
孫の拓実(たくみ)さんも2017年に『大遺言 祖父・永六輔の今を生きる36の言葉』を刊行。
『大往生』を意識しているのはタイトルからうかがえますね。
「永六輔とは何者か」の答えを求めて、生前親交の深かったタモリさん、黒柳徹子さん、久米宏さんなど約30人に取材して、祖父の逸話や言葉を一冊の本にまとめたものです。
取材してみて驚いたのは、永六輔さんがいくつもの顔を持っていたことだったそう。
拓実(たくみ)さんは1996年生まれで、本書が刊行された時は東京大学の学生でした。
國學院久我山高校ではバスケットボール部に所属し、卒業後は東大文科二類に進学。
学業のかたわら、国内外を一人旅して地域文化に触れ、インドでの異文化体験をまとめた作品でTB交流文化賞最優秀賞を受賞しました。
永六輔さんは母方の祖父にあたり、母は元フジテレビアナウンサーの永麻理さんです。
永麻里さんの本名は岡崎麻理さんといい、拓実(たくみ)さんの本名は岡崎拓実(おかざき たくみ)さんといいます。
祖父の背中を追い、言葉で表現する仕事に関わっていきたいとのことです。
永六輔の孫には俳優もいる!
兄の育之介さんは1993年生まれのモデルで俳優です。
東京タワーを応援するユニット・タワーボーイズで2012年にデビュー。
2016年までは育乃介名義で活動していました。
テレビドラマ『BADBOYS』、映画『近キョリ恋愛』などに出演しています。
タワーボーイズの他のメンバーは、ジュノンボーイの山崎大輝さんと、同じくジュノンボーイで元少年隊の植草克秀さんを父に持つ樋口裕太さん。
18歳の時、芸能活動を始めたことを祖父にこう報告したそうです。
役者の仕事をします。
(永さんの)名を汚さないように頑張ります。
厳しいアドバイスを覚悟していた育之介さんでしたが、返ってきた言葉は、
あ、そう。
まあ楽しんで。
育之介さんは、自分が楽しめなければみんなを楽しませることはできないと悟ったといいます。
以来、この言葉は育之介さんの指針となったそうです。
永六輔に息子はいる?
永六輔さんは二女の父親であり、息子はいません。
大変な愛妻家として知られていたようです。
テレビ局の廊下で一目惚れした酒井昌子さんと若くして結婚。
長女の永千絵さんは映画エッセイスト、次女の永麻理さんはフリーアナウンサーとして活躍中です。
妻の昌子さんは2002年に胃がんにより68歳で他界。
最愛の妻の闘病中、永六輔さんは心労で15kgも痩せたといいます。
遺骨をずっと自宅に置き、妻宛てにハガキを書き続けました。
自ら投函して自宅に届けられた妻宛てのハガキは1500通を超えたそうです。
つらい時や悲しい時、日本人は永六輔さんが紡いだ言葉に少なからず救われてきたのではないでしょうか。
今、永六輔さんは生家である最尊寺のお墓に妻・昌子さんと眠っています。
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