小沢昭一、息子の仕事は?家族まとめ。俳句は遊び&永六輔の恩人?黒柳徹子との仲とは

マルチタレントと呼ぶにふさわしい多才ぶりを発揮していた小沢昭一(おざわ しょういち)さん。
プロだけでなくアマチュア芸能にも多大な貢献をした一人です。

小沢昭一の家族構成は?

俳優にタレント、エッセイストに芸能史の研究など多才な小沢昭一さん。
若い人は小沢昭一さんの事を知らないかもしれません。


ですが日本の芸能界に多大なる貢献をした人物なんです。
実は小沢昭一さんは日本の学校で初となる落語研究会を創設したメンバーの一人でもあるんです。

6代目の三遊亭円楽さんや春風亭昇太さん、三宅裕司さん、渡辺正行さんなど多くのタレントが大学で落語研究会に在籍し話芸を磨いています。

もしも小沢昭一さんがいなければ落語研究会は存在していなかったかもしれません。
落語研究会がなければ日本の話芸の歴史は大きく変わっていたことでしょう。

大学在学中から俳優座養成所の二期生となるなど俳優としての経験も積んでいた小沢昭一さん。
俳優座の舞台でデビューしたことを皮切りに映画やラジオ番組などで活躍。

そんな小沢昭一さんは俳優座養成所で知り合った英子さんと結婚。
小沢昭一さんは英子さんに悪い虫がつかないように、と女優を辞めさせてしまったそうです。

当時の俳優座養成所といえば俳優を目指す人のエリートコースと言われていました。
そのため英子さんには女優として活躍する将来が待っていたはず。

ですが英子さんは女優としての未来よりも小沢昭一さんの妻としての未来を選択。
自分の夢をあきらめて一生を添い遂げる覚悟なんてそう簡単にできる事ではありません。
それだけ小沢昭一さんの才能や魅力に陶酔していたのでしょうか。

その後、小沢昭一さんと英子さんの間には息子と娘が1人ずつ誕生。
ですので小沢昭一さんの家族構成は妻と息子、娘の4人家族ということになります。

小沢昭一は息子も有名人なの?

小沢昭一さんの息子の名前は小沢一郎さん。
「小沢一郎」と聞くと政治家を思い浮かべてしまうかもしれませんが、小沢昭一さんの息子は政治家ではなく編集者。

小沢一郎さんは早稲田大学を経て講談社に入社。
「なかよし」や「週刊現代」、「Views」などの編集に携わりますが最大の功績と言えるのが「五体不満足」の出版。

たまたま乙武洋匡さんが出演するドキュメンタリー番組を目にした小沢一郎さん。
電話番号検索サービスを使って乙武洋匡さんの自宅に連絡し本の出版を打診したそうです。

当初、乙武洋匡さんは本の出版に消極的だったものの小沢一郎さんの粘り強い説得により承諾。
そして出版された「五体不満足」は累計で600万部を超えるベストセラーに。

間違いなく出版業界に名前を残した小沢一郎さん。
2018年10月に定年退職した後は、大ファンだというあいみょんさん三昧の毎日を過ごしているそうです。

なお、小沢昭一さんの娘については調べてみても情報が見つかりませんでした。

小沢昭一にとって俳句は遊び?

俳句でも非凡な才能を発揮していた小沢昭一さん。
「小沢変哲」という俳号を持ち「やなぎ句会」俳句の同好会を結成。

また、小沢昭一さんが約40年間の間に詠んだ約四千句を収めた句集「変哲半生記」を発行すると重版がかかるほど大人気に。
専門の俳人が出版する句集の売り上げを遥かに超える発行部数となり小沢昭一さんの人気を改めて知らしめる結果となりました。

俳句の才能も玄人はだしの小沢昭一さん。
ですが小沢昭一さんにとって俳句は遊びなんだとか。
ただ、遊びだからこそ真底楽しいとも語っています。

それまで好きだったものも仕事になった途端に嫌になった、という話を聞いたことがある人も多いでしょう。
もしかすると小沢昭一さんも俳優業などが嫌になった事があるのかもしれません。
ですが俳句は遊びだからこそ常に前向きな気持ちで取り組めたのでしょう。

小沢昭一さんのそんな気持ちが句集に詰まっているから多くの人々の受け入れられたのかもしれません。

小沢昭一のおかげで永六輔はラジオに出続けられた?

タレントに放送作家、作詞家として長きに渡り活躍した永六輔さん。
多彩な活躍を見せた永六輔さんですが特に著名なのがラジオパーソナリティーとしての活躍でしょう。

数十年に渡ってパーソナリティーを務めるなどラジオ業界に多大なる貢献をした永六輔さん。
ラジオのみならず日本の放送文化への多大なる功績により2008年にはギャラクシー賞の45周年記念賞を受賞しています。


そんな永六輔さんですが2009年には「週刊女性」に呂律が回っていないと報じられます。
その時は年齢と入れ歯が原因としていましたが、2010年にパーキンソン病である事を公表。

声だけで情報を伝えるラジオパーソナリティーにとって呂律が回らないのは死活問題。
そのため永六輔さんはラジオ業界からの引退も考えたそうです。

引退を考えた永六輔さんを思いとどまらせたのが小沢昭一さん。

小沢昭一さんと永六輔さんはともにラジオで長寿番組のパーソナリティーを務める間柄。
また、1969年には「やなぎ句会」を発足し1974年には野坂昭如さんを加えた3人で「中年御三家」を結成して日本武道館でコンサートを開催するなど公私に渡って交流がありました。

そのため小沢昭一さんは永六輔さんを励まし「ラジオだからって喋らなくたっていいんだ」という言葉をかけたそうです。

この言葉に背中を押された永六輔さん。
懸命のリハビリと投薬治療により体調が改善されその後もラジオパーソナリティーを続けられるように。

もしも小沢昭一さんの言葉が無ければ永六輔さんはラジオパーソナリティーを引退していたかもしれません。
そう考えると永六輔さんがラジオパーソナリティーを続けられたのは小沢昭一さんのおかげと言っても過言ではありませんね。

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小沢昭一と黒柳徹子は信頼できる仲だった?

放送開始から30年以上が経つ長寿番組の「徹子の部屋」。
黒柳徹子さんとゲストの掛け合いが大人気でテレビ朝日を代表する番組の一つとなっています。

この番組で黒柳徹子さんがこだわっているのが「編集をしない」ということ。
編集して面白いシーンだけ放送するとゲストの人となりが正確に伝わらないため所謂「撮って出し」にこだわっているんだとか。

編集をしないで放送するため必要となるのがゲストとの打ち合わせ。
黒柳徹子さんは何度も出演している人や仲が良い人であっても打ち合わせを行うそうです。

ただし例外として打ち合わせを行わなかったのが小沢昭一さんと永六輔さん。
黒柳徹子さんと小沢昭一さんは1961年から1964年にかけて放送されたドラマ「若い季節」で共演。


それ以降も二人の交流は続き小沢昭一さんは「徹子の部屋」に25回も出演。
「学生服とセーラー服」や「神主と巫女」など二人揃って扮装する姿が番組の名物となっていました。

収録前に打ち合わせをしない事や二人そろっての扮装は本当に気心が知れた関係である証拠。
きっと信頼しあえる小沢昭一さんとの共演は黒柳徹子さんも番組という事を忘れて楽しんでいたことでしょう。

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