小説『火垂るの墓』などで知られる直木賞作家で、作詞家、タレント、政治家としても活躍した野坂昭如(のさか あきゆき)さん。
大島渚監督と殴り合いをするなど破天荒な言動も話題を呼びましたね。
そんな野坂昭如さんの妻と娘たちは、なんとそろって元宝塚歌劇団の娘役でした。
この記事では母娘を紹介するとともに、野坂昭如さんが手がけたハトヤのCM、直木賞、愛してやまなかった山の上ホテルの天ぷらについてお送りします。
野坂昭如の娘と妻は元宝塚の娘役!
長女の野坂麻央さんは1964年5月13日に誕生しました。
宝塚時代の芸名は花景美妃さんといい、初舞台は『風と共に去りぬ』。
星組娘役でしたが、入団3年目の1986年に退団しています。
その後はエッセイストに転身し、『麻央の宅急便』『ふりふりヒラヒラ 元タカラジェンヌのいっぱい青春物語』などの著作を出版。
1972年10月27日に誕生した妹の愛耀子(あい ようこ)さんは元雪組娘役でした。
『ベルサイユのばら オスカル編』などの舞台を経て、2006年の『堕天使の涙/タランテラ!』を最後に退団。
退団の大きな理由は結婚だったようで、翌2007年1月に歌舞伎囃子方の田中傳左衛門さんと結婚し、2008年5月には男女の双子を出産しています。
野坂昭如さんの妻・野坂暘子(のさか ようこ)さんも元宝塚の娘役でした。
芸名は藍葉子(あい ようこ)さんといい、1962年に結婚のため退団。
53年にわたる結婚生活を送りました。
野坂との会話は、娘たちから「まるでコントだよね」とよく笑われたものです。
あるとき、また喧嘩をして、私が「離婚しましょう」とパッとドアを閉めて二、三歩。
そうだ、忘れてたと、引き返して「ところでお昼のことだけど、おうどんがいい? お素麺にする?」って尋ねたんです。
向こうは面食らって、「今、離婚の話じゃなかったの?」と。
「さっきの話はもう過去のこと、終わり! うどんなの? お素麺なの?」
「……お、お素麺で」。
喧嘩はいつも私の独り相撲で、彼とのやりとりは、いつもこんな調子でした。
2009年現在は、画廊・ギャラリーイマの経営のかたわら、シャンソン歌手としてコンサートやディナーショーを行っているそうです。
ハトヤホテルのCMソング作詞者は野坂昭如!
静岡県伊東市にあるハトヤホテルは、相模湾や天城の山々のロケーションに恵まれた、リゾート気分を満喫できるホテルです。
このホテルが一躍有名になったのは1961年。
野坂昭如さんが作詞、いずみたくさんが作曲を担当したCMソングのおかげでした。
伊東に行くならハトヤ 電話は4126(よい風呂)
年配の方には懐かしいフレーズではないでしょうか。
1975年に姉妹ホテルのサンハトヤが開業してからは、歌詞を「伊東に二つのハトヤ」に変更した時期もありました。
余談ですが、野坂昭如さんは吉岡治さんとの共作による『おもちゃのチャチャチャ』で日本レコード大賞作詞賞を受賞しています。
野坂昭如の直木賞受賞作『火垂るの墓』は自伝的小説?
1967年に『火垂るの墓』『アメリカひじき』を発表し、翌年、この両作で直木賞を受賞した野坂昭如さん。
当時37歳でした。
選考委員の評価は高く、反対意見はなかったといいます。
『アメリカひじき』は、敗戦・占領を経て日米親善の時代を生きる男が抱く、アメリカに対する屈折した感情を描いた小説。
『火垂るの墓』は、野坂昭如さん自身の戦争体験が反映された、なかば自伝的な小説でした。
1945年6月5日の神戸大空襲で父と自宅を失い、幼い妹を連れて福井県に避難した14歳の野坂昭如さん。
しかし妹は栄養失調のために間もなく亡くなります。
なぜ自分が口にするものをもっと減らして妹に分け与えることができなかったのか。
拭いきれない罪の意識を抱き続けてきた野坂昭如さんが、当時の辛い体験から目を背けずに向き合って書いた鎮魂の物語でした。
野坂さんは妹の恵子さんにについてこう回想しています。
「ぼくはせめて、小説『火垂るの墓』にでてくる兄ほどに、妹をかわいがってやればよかったと、今になって、その無残な骨と皮の死にざまを、くやむ気持が強く、小説中の清太に、その想いを託したのだ。ぼくはあんなにやさしくはなかった」
戦後70年フェアでも引用した野坂昭如さんの言葉です。— 新潮文庫 (@shinchobunko) 2015年8月14日
『火垂るの墓』は1988年、スタジオジブリの高畑勲監督によりアニメ映画化され、より広く読者層を得ることになります。
野坂昭如が愛した山の上ホテルの天ぷら
長女の麻央さんよると、野坂昭如さんの好物はおそば、お寿司、天ぷらだったそうです。
なかでも山の上ホテルの天ぷら定食。
神田駿河台の高台に建つ山の上ホテルは、出版社の多い神田神保町という場所柄もあり、創業当初より文豪たちがカンヅメで執筆活動をするための定宿として利用されてきました。
インターネットはおろかファックスすらなかった時代、締切前になると、ロビーには原稿を待つ出版社の人たちであふれ返っていたそうです。
野坂昭如さんもこのホテルにカンヅメになっていたのでしょう。
天ぷら料理で有名な「山の上」は、四季折々の食材を使用した天ぷら定食を提供。
会席コースや朝食メニューもあります。
「戦争でひどい目にあうのは年寄りや子供など力の弱い者」と言い、常に戦争反対の立場から活動を続けた野坂昭如さん。
痛烈な社会批判の裏には、戦時中の悲惨な体験や幼い妹を失った悲しみに根差した弱者への愛がありました。
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