山田洋次と松竹の関係。出身生家が現存!高倉健・桑田佳祐・坂上忍とのエピソード

監督作『男はつらいよ』シリーズや脚本作『釣りバカ日誌』シリーズといった看板映画で松竹を支えた山田洋次(やまだようじ)さん。

今も現役でメガホンをとる国民的映画監督です。

『小さいおうち』のモデルになった出身生家は今も残っているのでしょうか。

また、山田監督作品に出演した高倉健さん、新作でタッグを組んだ桑田佳祐さん、テレビ番組での発言が物議を醸した坂上忍さんについてもお送りします。

山田洋次のプロフィール

別名義:山田よしお

生年月日:1931年9月13日

出身地:大阪府豊中市

最終学歴:東京大学法学部

山田洋次は松竹映画を撮り続けて65年!

1931年9月13日、大阪府豊中市に生まれた山田洋次監督は2023年は92歳を迎えます。

2019年12月27日には『男はつらいよ お帰り 寅さん』はシリーズ22年ぶり、50作目のメモリアル作品を公開。

第1作の公開から実に50年がたっています。


止まった時計が動き出したような感慨を覚える寅さんファンは多いでしょう。

山田洋次監督は大学を卒業した1954年に松竹に入社。

以来、一貫して松竹映画を撮り続けてきました。

ですが、これまでの道のりは順風満帆だったわけではありません。

そもそも繰り上げの補欠合格。

同期生の成績トップは大島渚監督でした。

試験官は、こういう才気煥発なタイプが松竹の伝統を守る監督になるだろうと思っていたそうです。

二人には似通った背景もありました。

東大法学部卒の山田監督と、京大学法学部卒の大島監督。

『愛と希望の街』で華々しく監督デビューした大島監督に遅れをとること2年、山田監督は『二階の他人』でようやくデビュー。

続く『下町の太陽』も会社の評価は低いものでした。

初めて興行的な成功をおさめたのは、ハナ肇さん主演による1964年の『馬鹿まるだし』。

そして大島監督は松竹ヌーベルバーグの旗手と目されていたにもかかわらず、早々に退社してしまいます。


山田洋次監督は企業内監督の道を選び、従来の喜劇路線で松竹を支えることになりました。

作品ごとにカラーが変わる大島渚監督と、固定した作風で人気を博した山田洋次監督。

映画館に足を運ぶ客層もまるで違いますね。

対照的な二人ですが、のちの人々はどちらを偉大な監督とジャッジするのでしょう。

大ヒットした『男はつらいよ』シリーズ

山田監督と松竹の関係を振り返ってみたとき、大きな存在となるのは、やはり『男はつらいよ』シリーズでしょう。

シリーズの原点は、1968年に放送された同名のテレビドラマです。

喜劇作家として人気が高まってきていた山田監督は、この作品で原案と脚本を手がけており、さらに注目度が上がりました。

その流れで作られたのが、1969年に公開された第1作目の映画です。

当初は地味な盛り上がり方だったものの、シリーズが続く中で徐々に人気が上昇していきます。

主演の渥美清さんが亡くなったことでシリーズは終了となりましたが、前述のとおり最終的には50作もの映画が作られました。

SNSでも、このシリーズでの仕事を絶賛する声は多数あります。

50作も続けるというのは、簡単にできることではありませんよね。


松竹での仕事の中では、最大のものではないでしょうか。

時代が移り変わっても、山田監督の偉業はずっと語り継がれていくことでしょう。

『釣りバカ日誌』シリーズでも活躍

『男はつらいよ』シリーズが終わった後も、山田監督は松竹映画の人気を支え続けました。

その時期の重要な作品といえば、やはり1988年からスタートした『釣りバカ日誌』シリーズでしょう。

もともとは『男はつらいよ』の同時上映作品として作られたものでしたが、とても評判が良く、毎年1本新作が公開される人気シリーズとなっていきました。

このシリーズから山田監督のことを知ったファンは、「『男はつらいよ』より好き」という人も多いのではないでしょうか。

ただし、『釣りバカ日誌』シリーズで監督を務めた作品は、実は1本もありません。

勘違いされることもあるようですが、このシリーズで担当していたのは、全作品の脚本執筆です。

映画監督としての知名度が高いので、どの作品でも監督の仕事をしていると思い込んでしまうのは、よくわかります。

長く勘違いしていて、あとで本当の仕事を知った人は、とても驚いたことでしょう。

山田監督は、いろいろな仕事で会社に貢献していたんですね。

山田洋次の出身生家は現存していた!

出生地は大阪府豊中市ですが、2歳からは満州で暮らしていた山田洋次監督。


引き揚げ後は一家は大阪へは戻らず、山口県宇部市へ。

そのため豊中市出身であることは地元でもあまり知られていなかったようです。

生家は父親が設計した新婚の家であり、赤い大きな屋根のあるモダンな造り。

今は住人が変わっていますが、昔の姿のまま残っているそうです。

大きな赤い三角屋根は、2014年公開の『小さいおうち』の家のモデルにもなりました。

同年、豊中市や居住者の協力を得て、およそ80年ぶりに生家を訪れています。

山田洋次監督の生家については豊中市のHPでも画像つきで紹介されています。

山田洋次は高倉健のファンだった!

山田洋次監督はかねてから高倉健さんの熱烈なファンでした。

優れた役者には贅肉がないという発言をしています。

これは体型のことではなく、演技でよけいな小細工をしないということ。

『幸福の黄色いハンカチ』では高倉健さんの有名なエピソードも。


刑務所から出所したばかりの勇作が食堂でビールを飲み干し、むさぼるようにラーメンを食べるシーンがありますが、この撮影にあたって実際に2日間絶食したのだそう。

同作には渥美清さんも警官役で出演。

高倉健さんの訃報に接した山田洋次監督は、作中で二人が再会する場面が思い出されたと偲びました。

山田洋次が最新作で桑田佳祐とタッグ!

最新作では桑田佳祐さんが主題歌を歌い、オープニングにも出演。

主題歌を渥美清さん以外が歌うのは八代亜紀さん以来のこと。

意表をつくコラボレーションですが、もともと山田監督は桑田佳祐さんの音楽が好きで、サザンオールスターズの楽曲を「男はつらいよ 」シリーズに起用した過去も。

今回のタッグは山田監督が直々に手紙を書いて実現したものです。

二人が初めて会ったのは2018年の『第三回ひとり紅白歌合戦』の会場でした。

昭和と平成の歌謡曲を総括したライブに感銘を受けたと語る山田監督。


一方の桑田佳祐さんも自身のレギュラー番組に『音楽寅さん』とタイトルをつけるほどの寅さんファン。

オファーを即座に快諾したのは自然な成り行きだったようです。

坂上忍が山田洋次に激怒?

2018年5月放送の『ダウンタウンなう』で、ある有名監督に坂上忍さんが怒りを露わにする一幕がありました。

番組では、ゲストの中嶋朋子さんが某監督の執拗なダメ出しに辟易したことが暴露され、その監督を坂上忍さんが言い当てる展開に。

規制音で名前は伏せられていたものの、ネット上では山田洋次監督でほぼ確定となっています。

坂上忍さんは1988年、山田監督の『ダウンタウン・ヒーローズ』に出演。

過去の番組でも不満をぶちまけていますから、何やら遺恨を残したことは確かですね。

今回の収録で怒りがよみがえったのでしょう。

あんな奴の映画には二度と出演しないと言い放った坂上忍さんが残念です。

そもそもオファーはあったのでしょうか。

大ヒットシリーズのおかげで仕事は途切れることがなかった山田洋次監督。


けれども、「男はつらいよ」シリーズと並行して『幸福の黄色いハンカチ』『遥かなる山の呼び声』、また渥美清さん亡き後は『たそがれ清兵衛』などの名作を残しています。

長きにわたり松竹映画を支え続けた功績ははかり知れませんね。

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