変幻自在の芸域を武器に、実に多くの役柄を演じ分けてきた名脇役の梅津栄(うめづさかえ)さん。
「怪優」「性格俳優」といった言葉はこの人のためにあるのではと思うほど個性的な役者でしたね。
2016年にはその死を悼む声がSNSに多く寄せられましたが、あらためて経歴を振り返ってみたいと思います。
人気Tシャツ・海人(うみんちゅ)のロゴや、公家のキャラクターイメージになったおじゃる言葉はこの人によるものです。
懐かしい『ウルトラセブン』についてもお送りします。
個性派俳優・梅津栄は肝硬変で死去
バラエティ番組に出演した際は、その濃すぎるキャラクターに明石家さんまさんが大喜びしたという梅津栄さん。
50年代からテレビや映画に出演し、時代劇から現代劇、子供向けの特撮ものまでジャンルを問わず出演した名バイプレイヤーです。
ひかる一平さんを追いかけまわす「必殺」シリーズの玉助や、「3年B組金八先生」シリーズの町会長、大河ドラマ『義経』の朱雀の翁を覚えている人は多いでしょう。
映画では「男はつらいよ」シリーズや『柳生一族の陰謀』が印象深いですね。
ふだんは優しげな目が、エキセントリックな役柄を演じる際は感情のない無機質な目になるのを見て引き込まれたことがあります。
俳優としての幅を広げるために30代で総入れ歯にしたといいますから、根っからの演者なのでしょう。
梅津栄さんがお亡くなりになった。梅津栄さんと言えば必殺仕事人IV、Vの「広目屋の玉助」。毎回毎回、西順之助(ひかる一平)に抱きつき接吻を迫る。「順ちゃ〜ん」がキメ台詞だった。必殺シリーズには他にも出てらしたけどこの役がインパクト大。 pic.twitter.com/w3FrpxcLjW
— JUNICHI@是空®LLC. (@piedpiperagogo) September 1, 2016
2016年8月6日、肝硬変のため88歳でこの世を去った梅津栄さん。
妻・真佐代さんによると、肝硬変と診断されたのは4年前。
その後は入退院を繰り返していたそうです。
入院中も常に前向きで明るく、看護師の人気者でした。
2016年8月6日 梅津 栄 (うめづ・さかえ)【俳優】
享年88#梅津栄#柳生一族の陰謀#復讐するは我にあり#Gメン'75#特捜最前線#必殺仕事人pic.twitter.com/X7sPFRCqR3— 命日bot (@meinichi_bot1) August 5, 2019
最期は病室で真佐代さんに看取られながら静かに息を引き取ったといいます。
梅津栄の経歴まとめ
梅津栄さんは1928年7月5日生まれの富山県出身で、本名を梅津榮(うめづしげる)さんといいます。
下駄職人の父・文蔵さんと母・スキさんの長男でした。
富山工業学校を卒業後、工場勤務を経て俳優を志し、舞台芸術学院に入学。
その後劇団青俳の研究生になり、木村功さんの付き人を務めました。
木村功さんは『七人の侍』などに出演した名優です。
のちに『マクベス』などの舞台の仕事を一緒にする蜷川幸雄さんは劇団の後輩でした。
広島に原爆が落とされた8年後、広島出身である月丘夢路さん主演の『ひろしま』という映画が制作されたのですが、同作には梅津栄さんも日の丸の旗を振る男性の役で出演しています。
確認できるかぎりではこれが映画初出演と思われます。
1953年の作品ですから、25歳になった年ですね。
俳優をめざして上京したのが22歳ですから、3年で映画デビューしたことになります。
『ひろしま』は1955年にベルリン国際映画祭長編映画賞を受賞しており、東日本大震災にともなう原発事故によってふたたび注目された映画です。
書家でもあった梅津栄さんは全国各地の美術館や画廊などで「梅津栄の字展」も開催していました。
レギュラーコメンテーターを務めたNHK富山『ニュース富山人』で使用された番組タイトルの「富山人」も梅津さんの筆によるもの。
私生活では、前妻の茂子さんと2000年に死別しており、のちに再婚したのが真佐代さんだそうです。
海人Tシャツのロゴは梅津栄の字
大人気の海人Tシャツを製作しているのは沖縄の株式会社海人工房。
「海人」というインパクトのある筆文字も梅津さんによるものです。
このTシャツを着ていると誰とでも仲良くなれるという評判が広がって大ヒットになりました。
あまりの人気ぶりにコピーTシャツが多く出回り、それを買ってしまう人が後を絶たないのだとか。
本物の海人Tシャツには品質保証書が付いているとのことなので、注意したいですね。
俳優の梅津栄さんがお亡くなりに、一癖も二癖もある役から善人悪人演じられる名優、この文字も梅津さんのお書きになったもの。ご冥福お祈りします。 pic.twitter.com/pxlHeeACu2
— tatoosnakedel (@tatoodelsnake) September 1, 2016
梅津栄はおじゃる言葉の元祖!
『柳生一族の陰謀』では、成田三樹夫さん扮する烏丸少将と陰謀をめぐらす公家・三条大納言を演じました。
役づくりにあたって、妻と図書館に通いつめて公家について情報収集。
その結果、「~でおじゃる」という言葉遣いをセリフに取り入れることにしたそうです。
今でこそ「おじゃる=公家言葉」と認知されていますが、初めて使われたのが『柳生一族の陰謀』だとご本人は述べています。
出ておじゃれ、隠れても獣は匂いでわかりまするぞ pic.twitter.com/1yb5bufI2m
— ジュリエッタ♂@発酵系男子 (@fforztt2) September 8, 2019
いざ撮影になり、「~でおじゃる」と言った瞬間、一斉に大爆笑されたそうです。
余談ですが、『柳生一族の陰謀』は未見の方にぜひお勧めしたい豪華キャストの娯楽大作。
「夢でござぁぁぁる!」のセリフが有名になりました。
男優陣がとにかく濃く、清涼感を感じるのは真田広之さんだけ。
暴走と紙一重の神がかった芝居をみせる萬屋錦之介さん。
白塗り、マロ眉、おじゃる言葉なのに戦闘力がやたらと高い成田三樹夫さん。
吃音症で頼りなさそうな役どころが妙にハマっている松方弘樹さん。
剣豪オーラ満載の千葉真一さん。
さすがの貫禄の三船敏郎さん。
「高カロリーの映画観ちゃって、お腹いっぱい」という感じになります。
1978年の映画ですが、近年の大河ドラマなどの時代劇と見くらべるのもおもしろいと思います。
映画(原作というべきか)版ね、ラストのヨロキン寄目具合がまたヤバいんですよ。 #柳生一族の陰謀 pic.twitter.com/KwNaiQNTW8
— もけ (@motosuke06) April 11, 2020
ウルトラシリーズにもゲスト出演していました。
『ウルトラセブン』では 第41話「水中からの挑戦」に登場。
料理店・河童の主人役でした。
『ウルトラセブン』は円谷プロ制作した特撮もので、1967年から1968年にかけて放送。
ちょうど40歳頃にあたります。
『ウルトラマン』との大きな違いは、すでに宇宙人が地球上の社会に侵入しているという設定だったことです。
コミカルな役からシリアスな役まで、役を選ばなかった梅津栄さん。
ほかの誰にも代役がきかない、唯一無二のカラーを持った役者でした。
これほどおもしろい俳優はなかなか現れないかもしれません。
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