織本順吉の家族(娘)が晩年を撮影、老衰で死去。経歴まとめ&相棒と金八に出演

90歳まで現役俳優として活動し、2000本ものドラマや映画に出演した名脇役の織本順吉(おりもとじゅんきち)さん。

死去するまでの約5年間を家族が撮影したドキュメンタリーは大きな反響を呼びました。

番組のディレクターを務めた娘の結美さんをはじめ、織本順吉さんの経歴についてまとめます。

数多い出演作の中で、とりわけ相棒と金八先生はSNSでよく話題になるようです。

織本順吉の最後の5年を家族(娘)が撮影

教師役からヤクザの親分、政財界の大物までカバーする芸域と、味のある演技で人間ドラマを支えてきた織本順吉さん。


舞台出身の俳優ですが、ドラマや映画にも進出し、90歳まで現役を貫きました。

映画の遺作は2018年の『blank13』、最後の仕事となったのは2017年のドラマ『やすらぎの郷』。

セリフ覚えに定評があった織本さんでしたが、晩年はセリフを忘れていることもあり、歩くこともままならない中で撮影現場に向かっていたとのこと。

心配する家族に脚本家の倉本聰さんは、老いて咲く花があるのだから、そこにいてくれるだけでいいんですと答えたそうです。

役者が仕事を完全にやり遂げて死ぬなんてありえない、みんな未完成のまま死んでいくんだと語っていた織本順吉さん。

目標は生涯現役でした。

その晩年を記録したNHKBS1のドキュメンタリー番組『老いてなお花となる』3部作が放送されると、家族にしか撮れない「老いのリアル」を描いたドキュメンタリーと大きな反響を呼びました。

織本順吉さんの本名は中村正昭さんといい、娘の中村結美さんは放送作家・脚本家です。

妻は一般女性のようで、詳細はわかっていません。

老いと闘う姿にカメラを向けたのは2013年頃のこと。

認知症らしき症状があらわれているにもかかわらず、それを認めず、今まで通りのペースで俳優業を続けようとしていた織本さん。

病院で受診させるための説得材料をつくる目的もあったようです。

織本順吉さんは2019年3月3日に放送された第2弾を病室で視聴したあと、感極まった様子で「おれは幸せな役者だ」と感想を述べたといいます。

この世を去ったのはおよそ2週間後のことでした。

織本順吉は老衰で死去

織本順吉さんは2019年3月18日、老衰のため栃木県那須塩原市の病院で死去。

92歳でした。

ゴルフが大好きだった織本さんは、還暦を迎えた約30年前、ゴルフ場が多い那須塩原市に妻と移住。

仕事の際は上京していました。

ここ数年はかなり足が弱っており、立てなくなったため年明けから入院していたそうです。

その後、しだいに体の機能が衰えて最期を迎えたとのこと。

出番が終わった役者は静かに去って行くべきだというご本人の言葉通り、延命治療は行いませんでした。

結美さんは、医師から「立派な老衰です」とのお墨付きをいただいたことを明かしています。

織本順吉の経歴まとめ

織本順吉さんは1927年2月9日生まれ、神奈川県横浜市出身。

2歳で母を、15歳で父を亡くしたため、義母と暮らしてきたそうです。

出身高校は神奈川県立工業学校。

初舞台は1949年に入団した新協劇団でした。

その後、テレビ放映を開始してまもないNHKの『ビルマの竪琴』に水島上等兵役で出演。

新協劇団退団後は岡田英次さん、木村功さん、西村晃さんらと劇団青俳を立ち上げ、以降25年間幹部俳優として舞台、テレビ、映画で活躍。

1980年の劇団解散後はBMGメイクII、アルファエージェンシーと所属先が変わっています。

おもなドラマに『新・平家物語』『澪つくし』『3年B組金八先生』『Nのために』、映画では『人間の條件』『仁義なき戦い 完結篇 』などがあります。

およそ70年にわたり名バイプレイヤーとして活躍してきましたが、『知ってるつもり?!』などの名ナレーションも忘れられません。

織本順吉が出演した「相棒」「金八」が話題

『相棒』には以前にもゲスト出演したことがありますが、SNSでよく話題になるのが2015年11月4日に放送された『相棒 season14 』の 「ファンタスマゴリ」。


この回では水谷豊さん演じる右京が、20年前に逮捕を逃した政財界の黒幕・譜久村とふたたび対決することに。

この譜久村を演じたのが織本順吉さんでした。

評価が賛否両論なのがおもしろいところです。

否定的な意見の多くは、重厚なストーリーなので通常枠ではなく、前後編に分けるか拡大版で放送してほしかったというもの。

時間的な制約のためか登場人物の掘り下げが浅かったと感じた人もいたようです。

また金八こと『3年B組金八先生』第5シリーズの大西豊役が忘れられないという人もいるようです。

同シリーズでは少子化社会の波を受け、桜中学の校内に介護施設が併設されていました。

大西は施設を利用する高齢者であり、桜中学の元校長という設定。

織本順吉さんは80年代にも桜中学の校長役を演じたことがありますが、その時の校長先生は大西とは別の人物。

人生の最後にきみたちと知り合えて本当に楽しかったと生徒たちにお礼の言葉を書き残して他界する大西と、織本さんの味わい深い演技に目頭が熱くなった視聴者は多かったようです。


娘が回すカメラにわが身をさらして、年をとるとはどんなことなのか、自分や家族にどんな変化が起きるのかをありのままに伝えてくれた織本順吉さん。

リアリティのある芝居を追求してきたベテラン役者が、誰もが迎える老いのリアルを映像に残したことに感銘を受けました。

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