昭和のドラマや映画に数多く出演した脇役俳優・成田三樹夫(なりた みきお)さん。
『探偵物語』で松田優作さん演じる主人公に、「工藤ちゃん」と呼びかける声が印象にある人もいるかもしれません。
今回は成田さんについて、東大出身という情報を見ていきつつ、娘、妻、兄から家族情報をまとめます。
また死因も確認しましょう。
成田三樹夫のプロフィール
愛称:ミッキー
本名:成田三樹夫
生年月日:1935年1月31日
死没:1990年4月9日
身長:推定173cm前後
出身地:山形県酒田市
最終学歴:山形大学人文学部英文学科中退
成田三樹夫は東大出身?
まず成田さんが東大出身という情報を見ていきます。
法務省に勤めていた父親から、「役人にならなければ、人生の意味はない」と言われ、ひたすら勉学に励んでいたという成田さん。
猛勉強の結果、東京大学に入学できました。
しかし雰囲気が合わなかったようで、わずか1年で中退しています。
故郷の山形県に戻り、地元の山形大学人文学部英文学科に入学し直しました。
しかし晩学に励むモチベーションを失ってしまったようで、2年半で山形大学も中退。
高校時代の文化祭で、チェーホフの『煙草の害について』を一人芝居で演じる程、演劇が好きだった成田さん。
役者になりたいという気持ちが、ずっとくすぶっていたのでしょう。
実は成田さんの父親も学生時代、のちに大作家となる川口松太郎さんや、俳優の佐々木孝丸さんと演劇同好会で活動していました。
つまり自分の影響で演劇に目覚めてしまった息子に対しては、ある種責任を感じていた可能性が高いです。
息子が演劇の道に進むと決めた際は、反対しつつも内心は応援していたかもしれません。
こうして成田さんは24歳の時、俳優座養成所に入所し、4年後に卒業。
しかし正式な座員になれるのはほんの一握りで、結局座員としてスカウトされませんでした。
そこで力試しのため大映に直営業したところ、大部屋で契約が成立しました。
大映は当時、市川雷蔵さんや若尾文子さんなど、大スターが多く在籍し、俳優志望者の憧れの的だったはず。
成田さんも1963年、映画『高校三年生』の脇役でデビュー以降、ニヒルな二枚目の悪役として着実に人気を獲得していくのでした。
しかし東京大学に合格するレベルの教養を持ち合わせていたため、役者の中ではかなりの学者肌だったようです。
書物を読み解くように丹念に台本を読み、役柄を研究する人だったのでしょう。
成田三樹夫の娘、妻、兄。家族情報まとめ
次に成田さんの娘、妻、兄を見ていき、家族情報をまとめます。
まず娘ですが、娘さんが何人かいることはわかっているものの、一般の方で情報はありません。
妻は温子さんという女性でした。
馴れ初めは成田さんが32歳、温子さんが19歳の時。
知人を介して知り合って以来、成田さんの方からデートに誘うようになります。
日比谷で映画デートをした帰り、温子さんは「どんな本を読むの?」と訊かれます。
突然の質問の上、あまり本を読まなかったため驚いたそうですが、「太宰治を読む」と何とか答えたそうです。
すると成田さんは、「太宰は僕も好きだ。あとドイツのハンスカロッサの本は気に入ると思うんだ」と言いました。
そこですすめられたカロッサの本を読んでみた結果、生涯の愛読書となったのです。
成田さんは単純に字を追うばかりの読書ではダメだと主張していました。
作家は一生懸命書いているのだから、読者も誠意をもって小説を読まなければいけない。
成田さんは妻に対して一生懸命に読書するようすすめ、「カロッサを、毎日少しずつでも続けて」と希望していました。
ちなみに成田さんの叔父はドイツ文学者で、カロッサを翻訳していたそうです。
温子さんは、その叔父から、自ら訳したカロッサの本をもらったこともあるといいます。
成田三樹夫とカロッサ。文中で「ある女優さんへの結婚祝」とあるのが竹下景子のこと。しかし、成田三樹夫の叔父がカロッサを訳してたとは。一体誰?http://t.co/qrGeDSfX
— F・骨 (@herenkera1) November 14, 2012
ドイツ文学者の叔父が誰なのか、特定できませんでしたが、文学者肌の人が多い家系であることは確かでしょう。
成田さんの兄も、東京大学でドイツ文学を学びました。
卒業後は岡山大学の教授となりましたから、成田家は文学一族といえそうですね。
成田三樹夫の死因
最後に成田さんの死因を見ていきます。
1990年、成田さんはスキルス胃がんにより、55歳の若さで亡くなりました。
翌年には趣味で作った俳句を集めた「鯨の目-成田三樹夫遺稿句集」が刊行されています。
多くの友人がその死を悼んだそうですから、幅広い交友関係のある人気者だったはずです。
生涯を芝居にかけた熱い志と、怜悧な雰囲気を併せ持つ名優だったといえるでしょう。
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