佐々木すみ江の若い頃と家族。夫はジャーナリスト&娘は?死因は肺炎

ドラマや映画の名脇役として活躍した女優の佐々木すみ江(ささき すみえ)さん。

大河ドラマ『篤姫』や朝の連続テレビ小説『ゲゲゲの女房』など、NHKドラマでの活躍を記憶している方は多いのではないでしょうか。

今回は、90歳で亡くなるまで第一線で活躍した佐々木さんの、若い頃の女優活動に迫りましょう。

次に家族の情報について、夫のジャーナリストと娘の詳細を見ていきます。

最後に肺炎が死因となったという情報を確認します。

佐々木すみ江のプロフィール

本名:青木すみ江

生年月日:1928年6月22日

死没:2019年2月17日

身長:160cm

出身地:東京府(東京都)

最終学歴:日本女子大学家政学科

佐々木すみ江は若い頃に舞台女優として活躍

ときには意地の悪い、ときには心優しいおばあさん役として、振り幅の広い演技を見せていた佐々木さん。

2008年の大河ドラマ『篤姫』では、ヒロインを厳しくしつける養育係・菊本を演じていました。


「女の道は一本道」という台詞は話題となりましたね。

インパクトある演技でベテランの貫禄を見せていた佐々木さんですが、若い頃から非常に実力の高い女優でした。

1951年に日本女子大学家政学科を卒業すると、難関とされる劇団民藝の養成所で演技を学び始めます。

160cmの身長は当時としては長身だったため、舞台ではかなり目立ちました。

さらに目鼻立ちもハッキリしていたため、西洋の戯曲を多く上演してきた劇団民藝では、外国人役として歓迎されたはずです。

美しさと高い演技力を兼ね備えていたことで、イタリアの名女優に例えられ「和製ソフィア・ローレン」と呼ばれていたそうですよ。

入団4年後の1955年に、舞台『楡の木陰の欲望』で演技力を高く評価され、第5回新劇演技賞に輝きます。

1954年には映画『どぶ』に出演し、映像の世界へ進出しました。


1960年代以降はテレビでも活躍を始め、大河ドラマや現代もののドラマに出演。

舞台と映像の両方で活躍を続けました。

しかし1971年、劇団設立者の宇野重吉さんの運営方針への不満により、劇団内部で対立が生じます。

対立の結果、佐々木さん、下條正巳さん、佐野浅夫さんら合計18人の劇団員が退団しました。

その後佐々木さんは映像を活動の中心に据え、高い演技力で日本を代表する脇役女優となったのです。

佐々木すみ江の家族:夫はジャーナリストの青木彰

佐々木さんは劇団民藝に入団した1951年、ジャーナリストの青木彰さんと結婚しました。

戦時中、青木さんは海軍兵学校の75期生となりましたが、敗戦によって卒業。

戦後は東京大学文学部教育学科で学び、卒業後は産業経済新聞社に入社しました。

同社で編集局長や取締役も務めた後、フジ新聞社の代表取締役に就任しています。

時代小説家の司馬遼太郎さんとは仲良く交流していました。

司馬さんが病気になったときは、代表作『坂の上の雲』の映像化について、青木さんが代理となりNHKと交渉したそうです。

偉大な小説家から厚い信頼を寄せられていたことがわかりますね。


筑波大学では教授、名誉教授を務め、私塾「青木塾」ではマスコミ業界を目指す学生の指導にあたりました。

多くの後進から慕われたジャーナリストでしたが、2003年に肺がんのため77歳で亡くなります。

亡くなる前、NHKのエグゼクティブ・プロデューサー・西村与志木さんに、以前から交渉していた『坂の上の雲』の映像化について話していました。

「映像化されたら、うちのばあさん(妻の佐々木さん)をドラマに使ってくれるか」と頼んでいたそうです。

青木さんはその数日後に息を引き取りました。

佐々木さん自身がそのことを知ったのは、「青木さんの7回忌の集い」でのこと。

西村さんから亡き夫の依頼について聞かされ、
「何も教えずに逝っちまった。蹴っ飛ばしてやる」
と照れつつ、夫の遺影を蹴飛ばす真似をしたそうですよ。

お互いを思いやり合って生きていた、魅力的な夫婦だったことがうかがえますね。

佐々木すみ江の家族:娘がいるか不明

佐々木さんの娘について気になる人が多いようです。

しかし青木さんの葬儀で喪主を務めたのは、妻の佐々木さんであり、それ以外の親族については情報がありません。

そのため、おそらく夫婦に子供はいなかったのではないでしょうか。

佐々木さんは母親役を演じることが多かったものの、私生活では仕事一筋だったようですね。

佐々木すみ江の死因は肺炎

夫に先立たれてから16年後の2019年、佐々木さんは90歳で世を去りました。

2019年2月17日、午前11時に突然自宅で倒れ、都内の病院に搬送されたそうです。

そのまま午後1時直前に息を引き取りました。

死因はウイルスや細菌などの感染により、肺の機能が低下してしまう病気「肺炎」でした。

葬儀はご本人の固い意志に従って親者のみで行い、公表は密葬後となりました。


1月には映画の撮影でロケへ出かけるほど元気だったそうですが、ご本人も気づかない間に疲労が重なっていたのかもしれません。

最期まで一本の女優道を真っ直ぐに突き進んだ、あっぱれな生涯でしたね。

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