松尾和子は息子を異常に溺愛。死因は事故?甥と同居&夫はバンドマン。ジャズもリリース

かつて「ムード歌謡の女王」の異名を取った松尾和子(まつおかずこ)さん。

晩年は息子への異常な愛情も大きな話題となっていました。

松尾和子は息子を異常に溺愛していた

「誰よりも君を愛す」、「再会」等のヒットで知られる松尾和子さん。

デビュー前は進駐軍のキャンプやクラブで歌手を務めて人気を博していました。


その後、力道山さんが経営していたクラブ・リキの専属歌手となった事が人生の転機となりました。

クラブ・リキで歌っていた時に歌手のフランク永井さんからスカウトされたのです。

フランク永井さんの紹介により作曲家の吉田正さんと出会い、ビクターへの入社が決定。

そして、1959年にフランク永井さんとデュエットするという破格の待遇でデビューする事に。

いかにビクターが松尾和子さんに期待していたかが良く分かりますよね。

その期待に応えるように松尾和子さんはヒットを連発。

瞬く間に「ムード歌謡の女王」と呼ばれる人気歌手となりました。

そんな松尾和子さんはデビュー前の1958年に結婚しており、1963年に長男を出産。

この長男への溺愛ぶりが大きな話題となりました。

1966年に夫と離婚した事でシングルマザーとなると、不憫な生活をさせないように仕事量を増加。

松尾和子さんは小学生だった長男に1万円を渡してから仕事に行っていたそうです。

このように育てられた子供がまっすぐ育つとは考えにくいですよね。

その想像通り松尾和子さんの息子は高校生になると悪い友達と遊ぶように。

タバコを吸い、暴走族に入り夜遊びを繰り返すようになってしまったんだとか。

それでも松尾和子さんは息子を叱る事はありません。

息子のために灰皿を用意し、息子と一緒に暴走する事まであったそうです。

高校卒業後の息子は松尾和子さんのクレジットカードで豪遊。

さらに松尾和子さんのお金でクラブ経営やカラオケのリース事業を始めるも軒並み失敗。

当然、負債を抱える事になったのは息子ではなく松尾和子さん。

息子の素行の悪さが影響したのか松尾和子さんが経営するブティックも破産。

これらの事業の失敗により松尾和子さんが抱えた負債総額は約8億円。

4億円と言われる自宅も抵当に入れ、賃貸住宅で生活することに。

親にこれだけ迷惑をかけたら普通ならば猛省して心を入れ替えるところ。

ところが松尾和子さんの息子は更に親不孝を繰り返します。

何と1991年11月に覚せい剤取締法違反により全国指名手配されてしまうんです。

そして10日間に渡って逃亡した末に逮捕されました。

長男の逃亡に関して「居場所はわからい」、「一日も早く出頭させる」と語った松尾和子さん。

ただ、「息子は私の宝」とも語っています。

溺愛ぶりもここまで来ると異常と言わざるを得ませんよね。

一体なぜこのような歪んだ親子関係となってしまったのか不思議でなりません。

松尾和子の死因は事故だった?

息子の逮捕により芸能活動自粛に追い込まれた松尾和子さん。

多額の負債を抱えていたこともあり精神的に追い詰められお酒と睡眠薬が手放せなくなったそうです。

また、多量の睡眠薬を飲み自殺未遂を起こしたことも。

ギリギリの精神状態だった事が分かりますよね。

日常的にお酒と睡眠薬を常に服用しているためか足元がおぼつかなくなった松尾和子さん。

自宅の階段から足を滑らせて頭を強打。

頭を打った直後は無事を主張した松尾和子さんですが、それから数時間後に急変。

その後、57歳という若さで亡くなってしまいます。

死因は「頭部硬膜下血腫」。

頭部を強く打った際に内出血し、脳を圧迫してしまったようです。

すぐに病院に行っていれば命は助かった可能性があります。

ですが松尾和子さんにはそれだけの気力が残っていたかったのかもしれません。

松尾和子さんが亡くなった時、長男は服役中。

きっと塀の中でとんでもない親不孝をしてしまったと後悔したはず。

その証拠に長男は出所後すぐに松尾和子さんのお墓へ。

その後も毎年、松尾和子さんの命日にはお墓を訪れていたそうです。

その息子も48歳の若さで死去。

現在は松尾和子さんと同じお墓に入っているようです。

松尾和子は甥と同居していた

自宅階段で転倒し頭を強打した事が死因につながった松尾和子さん。

その時に松尾和子さんに声をかけたのは甥。

実は松尾和子さんは甥と同居をしていたんです。

既に離婚し、長男が服役したため一人暮らしとなってしまった松尾和子さん。

きっと過去に自殺未遂を起こしている事から親族間で「誰かが一緒に住んだ方が良い」という話になったのでしょう。

一緒に暮らすのであれば同性の方が互いに気を使わなくて良かったかもしれません。

ですが、万が一の時には腕力が必要になる事から甥が同居する事になったのでしょう。

頭部を強打した後、すぐに病院に行かなかったことで命を落とした松尾和子さん。

ですが、病院に連れて行かなかった甥を責めるのは酷というもの。

頭部内の出血なんて医療関係者でなければ判断できませんからね。

甥には負い目を感じる事なく生きていってほしいものです。

松尾和子の夫はバンドマン

歌手デビュー前の1958年に結婚した松尾和子さん。

気になるお相手はバンドでドラムを叩いていた大橋喬さん。

大橋喬さんに関する情報は殆ど見つからず。

そのためバンドのサポートメンバーのような感じだったのだと思われます。


同僚でありバンドメンバーだったという二人。

音楽仲間という関係から次第に恋愛関係に発展していったのでしょうね。

1959年に歌手デビューし一躍スター歌手となった松尾和子さん。

1963年には長男を授かるなど公私に渡って順風満帆でした。

ところが結婚から8年後の1966年に離婚。

離婚原因は明かされていませんが、松尾和子さんが多忙になった事ですれ違いや収入格差が生じた事が原因かもしれません。

その後の松尾和子さんの転落人生は前述の通り。

大橋喬さんと離婚していなければもっと別の人生が待っていたはず。

きっと幸せな家庭を築き、孫に囲まれた老後を過ごしていた事でしょう。

松尾和子はジャズの楽曲もリリースしていた

ムード歌謡で一世を風靡した松尾和子さん。

ですが、アマチュア時代はジャズシンガーとして活躍していました。

ナイトクラブだけでなくアメリカの進駐軍でも歌声を披露。

ジャズの本場であり耳が肥えているアメリカ人の前でジャズを歌うなんてなかなか出来る事ではありません。

それだけ松尾和子さんがジャズシンガーとしても群を抜いた存在ということですね。

ハスキーで色気のある松尾和子さんの歌声もジャズにはピッタリ。

きっとムード歌謡だけでなくジャズも聞いてみたい、という人も多いのではないでしょうか。

そんな方々に朗報です。

実は松尾和子さんはプロデビュー後もジャズを歌っていたんです。


松尾和子さんのジャズが聴けるのはアルバム「夜のためいき」、「スター・ダスト」。

ムード歌謡しか事がない人はもちろん、タレントとしての松尾和子さんしか知らない人も必聴。

きっと松尾和子さんの素晴らしさを改めて実感する事でしょう。

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