フランク永井の壮絶な晩年と死因。松尾和子を見出した?家が大使館に&子供について

ムード歌謡を代表する歌手として知られるフランク永井(ふらんくながい)さん。

甘くムーディーな歌声は今も色褪せる事はありません。

晩年が壮絶だった

日本のムード歌謡を代表する歌手として知られるフランク永井さん。

「魅惑の低音」と呼ばれた独特の低音を武器に数多くのヒット曲を輩出。

日本レコード大賞を1度、歌謡賞を2度、特別賞を3度受賞。

紅白歌合戦にも26回連続で出場するなど名実ともに国民的歌手として大人気でした。

幼少期から歌手になりたい、と思っていたフランク永井さん。


アメリカ軍のクラブ歌手として活動しながら数多ののど自慢大会に出場する「のど自慢荒らし」として有名だったそうです。

そして日本テレビ「素人のど自慢」で年間ベストワンとなった事がきっかけでビクターと契約しプロ歌手に。

デビュー当初はジャズ歌手として活動していましたがヒット曲には恵まれず。

その後、先輩歌手の勧めと作曲家、吉田正さんとの出会いにより歌謡曲へ転向。

すると「有楽町で逢いましょう」が空前の大ヒットを記録。

このヒットにより過去の楽曲も注目を集め、一躍トップ歌手に。

1959年には「夜霧に消えたチャコ」が年間1位の売り上げを記録した他、トップ10の中に5曲もランクイン。

趣向を凝らしたコンサートでも知られ、約5年おきに開催していた大規模なリサイタルは芸術祭で賞を受賞したことも。

日本を代表する歌手、そしてエンターテイナーとしての地位を確固たるものとしました。

順調だったフランク永井さんの人生ですが次第に不穏な空気が。

1983年の紅白歌合戦に落選すると、その2年後には自宅で首つり自殺を図ってしまいます。

幸いにも発見が早かった事から命を落とすことはありませんでした。

ですが、脳に障害が残ってしまい、会話が不自由となり記憶力も大きく低下。

その後、リハビリにより芸能界への早期復帰も予見されましたが再び症状が悪化。

リハビリの他、転地療法など様々な治療を行うも好転することなく、晩年は幼児並みの知能状態だったそうです。

最愛の妻もフランク永井さんの介護疲れと財産を巡る親族との争いにより鬱病を発症。

1991年には妻も自殺未遂を図り、1992年には離婚してしまいます。

介護する人がいなくなった事でフランク永井さんは介護付き老人ホームで生活することになりました。

日本音楽界で一時代を築いたフランク永井さんとは思えない寂しすぎる晩年。

何とも切ない気持ちになってしまいますよね。

なお、フランク永井さんが自殺を図った原因と言われるのが、愛人から子供の認知と養育費の支払いを求められたこと。

ですが遺書は見つからず、前後の記憶も失ったため真相は不明のままとなっています。

フランク永井の死因

愛妻と離婚後、介護付き老人ホームで生活していたフランク永井さん。

2008年の夏に風邪を拗らせ入院。

病後の調子もあまり芳しくなかったようで、同年10月27日に肺炎のため亡くなっています。

訃報が世間に伝わった時、既に葬儀と告別式も終わったあと。

フランク永井さんと最後のお別れをしたい、というファンは多かったはず。

そんな声が伝わったのか、2009年2月27日に関係者により「フランク永井を偲ぶ会」が営まれました。

あまりにも寂しく悲しい晩年を過ごしたフランク永井さん。

ですが、これまで築き上げてきた功績は間違いなく賞賛に値するもの。

2009年3月には出身地である宮崎県大崎市の特別功績者の第1号となっています。

同市の特別功績者は2月に創設されたもの。

創設された時期と認定された時期を考えるとフランク永井さんに与えるために作られたと考えて間違いなさそう。

また、同年10月にはフランク永井さんが獲得したトロフィーや愛用品等を展示した「フランク永井展示室」が宮崎県大崎市にオープンしています。

宮崎県大崎市が生んだ大スターのフランク永井さん。

死後10年以上が経った今も多くの人々が生前のフランク永井さんの歌声に耳を傾けている事でしょう。

松尾和子を見出していた

ムード歌謡の女王と呼ばれる大人気歌手だった松尾和子さん。


1959年に発表したデビュー2曲目の「誰よりも君を愛す」が日本レコード大賞を受賞する大ヒット。

紅白歌合戦にも出場し、映画も制作されるなど社会現象を巻き起こしました。

その後も歌手として数々のヒット曲を連発。

1970年代の熟女ブームの際にはバラエティ番組や情報番組にも引っ張りだことなっていました。

何を隠そう、その松尾和子さんを見出したのはフランク永井さんでした。

かつて人気プロレスラーだった力道山さんが経営する「クラブ・リキ」の専属歌手だった松尾和子さん。

その歌声を耳にしたフランク永井さんが松尾和子さんをスカウト。

その後、フランク永井さんが吉田正さんに紹介した事で歌手デビューする事になったそうです。

自らスカウトした事もあり松尾和子さんの活動を後押ししたいという思いがあったのでしょう。

フランク永井さんは松尾和子さんのデビュー曲「東京ナイト・クラブ」でデュエット相手を務めています。

当時、既にスター歌手としての地位を確立していたフランク永井さん。

デュエット相手を務めた事はこれ以上ない宣伝効果となったはず。

きっと、その後の松尾和子さんのブレイクもフランク永井さんのおかげ。

松尾和子さんにとってフランク永井さんは恩人と呼んでも過言ではない存在でしょう。

フランク永井の家が大使館に

晩年は介護付き老人ホームで暮らしていたフランク永井さん。

設備や立地によって費用は異なりますが、介護付き老人ホームの平均的な費用は15〜35万円。

晩年は芸能活動を全く行っていなかったフランク永井さん。


これだけの費用を捻出することは決して簡単な事ではありません。

その費用を捻出するため目黒区にあった自宅は2007年に売却されています。

フランク永井さんの自宅の敷地面積は約100坪。

売却時の相場は約3億円だったそうです。

当時は不況により不動産の売買が滞っていましたが、すぐに売買が成立。

3億円の売買がすぐに成立したのも驚きですが、更に驚きなのが購入者。

フランク永井さんの自宅跡地を購入したのは何とパプアニューギニア政府。

フランク永井さんの自宅があった場所には現在、パプアニューギニアの大使館が建っているんです。

芸能人の自宅跡地が大使館になるなんて極めて異例の出来事。

それだけフランク永井さんの自宅は素晴らしい立地にあったということ。

きっとパプアニューギニアの大使館を見てフランク永井さんに思いを馳せる人も多い事でしょう。

フランク永井には子供がいない?

愛人から子供の認知と養育費の支払いを求められたフランク永井さん。

ところが後にDNA鑑定を行った結果、フランク永井さんの子供である可能性が限りなく低い事が判明。

しかもこの女性は当時、現役のプロ野球選手だった男性とも愛人関係にあったそうです。

この女性は愛人関係にあった事からフランク永井さんの人柄を熟知していたはず。

真面目で裕福なフランク永井さんならお金を支払ってくれるとでも思ったのでしょう。

フランク永井さんはとんでもない女性に手を出してしまったものです。

愛人なんて作らなければ自殺未遂をする事なく健やかな老後を過ごしていたはず。

フランク永井さんのファンならずとも愛人の女性には苛立ちを覚えてしまいますよね。


ただ、愛人を作ったフランク永井さんに非が無いわけではありません。

自責の念に駆られた結果、自殺未遂を図ってしまったのかもしれません。

なお、フランク永井さんと妻の間にも子供はいなかったそうです。

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