宇崎竜童と奥さん、阿木燿子と明治大学で運命の出会い。子供について

映画・舞台の音楽制作や俳優業のほか、現役ロックンローラーとしてもステージに立ち続けている宇崎竜童(うざきりゅうどう)さん。

公私ともに名パートナーである奥さんの阿木燿子さんとは明治大学で同学年でした。

おしどり夫婦として知られる二人の馴れ初めや子供について詳しくみていきます。

宇崎竜童の奥さんは作詞家の阿木燿子

竜童組やソロのミュージシャンとしての活動、または俳優として広く知られる宇崎竜童さん。

50代以上の方にはダウン・タウン・ブギウギ・バンドの白いツナギ、サングラス、リーゼントのイメージが強いでしょう。


1975年リリースの『カッコマン・ブギ』のB面だった『港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ』は爆発的ヒットとなり、曲中の「アンタあの娘の何なのさ」というセリフが流行語に。

当時のシングル盤には表と裏があり、B面とは今でいうカップリングのことです。

「ちょっと前なら憶えちゃいるが」ではじまるインパクト大の歌詞は妻の阿木燿子さんによるもの。

以降、宇崎竜童さんはライブ活動のかたわら、ドラマ・映画出演、映画・舞台音楽や監督などにも進出していきます。

俳優としては『駅 STATION』で日本アカデミー賞助演男優賞、『上海バンスキング』でも日本アカデミー賞助演男優賞を受賞。

いずれも名作ですが、筆者が一押ししたいのが、この二作品の間に主演した『TATTOO<刺青>あり』。

1979年に世を震撼させた三菱銀行人質事件を題材にした映画で、宇崎さんの好演はもちろん、エンディング曲の『ハッシャバイ・シーガル』が泣けます。

余談ですが、ヒロイン役の関根恵子さんと高橋伴明監督の縁結びの映画でもあります。

奥さんの阿木燿子さんは1945年5月1日生まれ。

宇崎竜童さんが1946年2月23日生まれですから、同じ学年ということになります。

結婚して、本名が「福田広子」から「木村広子」へ。

宇崎竜童さんの本名は木村修司さんといいます。

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「作詞・阿木燿子、作曲・宇崎竜童」のコンビは歌謡界において多くヒット曲を送り出すとともに、山口百恵さんの全盛期を支えることに。

阿木燿子さんは女優としても『四季・奈津子』ほかの作品に出演しており、小説やエッセイの執筆でもおなじみですね。

2018年に旭日小綬章を受章しています。

宇崎竜童と阿木燿子の出会いは明治大学の軽音部

2016年に「いい夫婦の日 パートナー・オブ・ザ・イヤー」を受賞した二人。

宇崎竜童さんの人生のターニングポイントは阿木燿子さんとの出会いでした。

「彼女は僕の人生のプロデューサー」と妻への愛とリスペクトにあふれる言葉を残しています。

ダウン・タウン・ブギウギ・バンドがデビューした時はすでに結婚していたのですから、結婚生活はおよそ半世紀。

1964年、宇崎竜童さんは明治大学法学部に、阿木燿子さんは文学部に入学しました。

軽音楽部の勧誘で初めて阿木さんをみた瞬間に、「あ、俺の嫁!」と感じたそうです。

大学2年で交際がスタートし、最初から「俺たちは結婚することになってるからよろしく」と宣言。

宇崎さんいわく、きっとこの人とは前世でも前々世でも出会っていて、でも結ばれなくて、その運命がやっとめぐってきたような気がしたのだそう。

他人からみればただの妄想ですね。

「キター!」という感じだったのでしょうか。

いかに強烈に阿木燿子さんの魅力にもっていかれたかがわかります。


「これは神様が決めたことだから」と神様まで持ち出す宇崎さんに、阿木さんの反応は「そうかしら?」。

そのうちに、そろそろ結婚してはどうかと双方の両親が言いはじめ、1971年12月にゴールイン。

阿木さんのことは学生時代から本名の「広子さん」と呼んでおり、晩酌を楽しむ酒豪の妻の横で、下戸の宇崎さんは大好きなスウィーツを食べながらお茶を飲んでいるそうです。

宇崎竜童・阿木燿子夫妻に子供はいない

芸能界きってのおしどり夫婦である宇崎竜童さんと阿木燿子さんですが、子供はおらず、その理由も不明です。

月並みな推測をすれば、仕事を選択したということなのかもしれません。

けれども、夫妻が「子育て」と呼ぶ大切な作品があります。

それが舞台『Ay曽根崎心中』。

宇崎竜童さんは1978年に映画『曽根崎心中』に初主演していますが、2001年には自身が作曲と音楽監督を担当し、阿木さんが作詞とプロデュースを手がけた舞台『FLAMENCO曽根崎心中』が誕生。

2018年からは『Ay曽根崎心中』とタイトルを改めて上演されています。

『曽根崎心中』をフラメンコと和楽器で表現する官能的な舞台です。

「Ay(アイ)」とはスペイン語の感嘆詞で、フラメンコの歌い手たちが悲哀が湧きあがった時に発するうめきのようなもの。

演歌の「ああ~」という嘆きの歌声に近いでしょうか。

いつしかライフワークになったこの作品のことが常に頭の中にあるそうです。

夫婦で生み、育ててきた子供のような作品だけれど、自分たちも育てられており、いろいろなことを学ばされると明かしています。


阿木燿子に尊敬されたいという思いがいつも心のどこかにあると語る宇崎竜童さん。

2023年には77歳を迎えますが、そのエネルギーの源は、最愛の妻に褒められたいという思いなのかもしれません。

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