宇崎竜童と矢沢永吉・山口百恵の関係。横浜銀蝿はカバー&赤坂店と補聴器について

ダウン・タウン・ブギウギ・バンド時代のイメージやロッカー然とした風貌から、子供の頃から不良だったのではと思う方がいるかもしれません。

しかし、じつは裕福な家庭のお坊ちゃんだった宇崎竜童(うざきりゅうどう)さん。

ドラマで矢沢永吉さんを思わせる人物を演じたことが話題を呼んでいますね。

阿木燿子さんとのコンビで楽曲を提供した山口百恵さんや、同じ不良系ロックンロールバンドの横浜銀蝿をはじめ、オーナーだった赤坂店、30代からお世話になっている補聴器についてまとめます。

宇崎竜童と矢沢永吉はバンド時代からお互いを意識

明治大学卒業後、アーティストに楽曲提供をしながら弾き語りの仕事をしていた宇崎竜童さん。

ある日音楽関係者からレコーディングを勧められ、乗り気はしなかったものの、どんな方向性でいこうかと好きなレコードをながめていました。


すると泉谷しげるさんのレコードがパタリと床に落ちます。

「そうか、こんな顔でも歌手やっていいんだ!」と気づいた宇崎さんは飛びこんでみることに。

矢沢永吉さんのキャロルは1年早くデビューした先輩バンド。

この1年の違いで、ダウン・タウン・ブギウギ・バンドはキャロルの物真似と叩かれます。

革ジャンをあきらめて白のツナギスタイルになったのはこうした経緯がありました。

当時は矢沢永吉さんのことを聞かれると「意識してないから」とツッパっていましたが、後年、じつはずっと意識していたと告白。

二人はお互いをライバル意識していたといわれています。

矢沢永吉さんについては、群れずに一匹狼で今のステイタスを築いたのは立派であり、常に一歩先を行かれていたと分析。

2019年12月12日放送の『ドクターX』では、明らかに矢沢永吉さんがモデルとわかる大物ロッカー・勇ちゃんを演じました。

「ナンバーワンのプライドだよ」といったセリフはいかにも永ちゃん風。

勇ちゃんには著書もある設定で、タイトルは『たたきあげ』。

これも『成りあがり』をもじったようで、思わずニヤリとした永ちゃんファンもいたのではないでしょうか。

宇崎竜童さんは1946年2月23日生まれ、矢沢永吉さんは1949年9月14日生まれ。

2020年にはそれぞれ74歳、71歳を迎えます。

二人とも現役ロッカーというところがすごいですね。

宇崎竜童・阿木燿子のコンビで山口百恵のヒット曲を連発

妻であり作詞家の阿木燿子さんとのコンビで山口百恵さんに多くの楽曲を提供し、その絶頂期を築いた宇崎竜童さん。

『横須賀ストーリー』『プレイバックPart2』『イミテイション・ゴールド』など、リアルタイムで体験した人ならサビを歌えるヒット曲ばかりです。

とりわけ『横須賀ストーリー』の「これっきり これっきり もう」とはじまる「サビあたま」は新鮮でした。

もともと16歳の百恵さんが、ダウン・タウン・ブギウギ・バンドの『涙のシークレト・ラブ』を聴いて曲を書いてほしいと頼んだのは有名な話。

それまで百恵さんと接点がなかった宇崎さんは驚いたそうです。

挑戦したことのないメロディーに挑戦し続けた宇崎さん、女性にしか書けない世界を女性ならではの言葉で紡いだ阿木燿子さん。

この名コンビについては、やはり山口百恵さんの存在抜きには語れないでしょう。

三人の出会いは運命だったのかもしれませんね。

横浜銀蝿はダウン・タウン・ブギウギ・バンドをカバー

80年代のアイドルブームのさなか、リーゼントにサングラス、革ジャンに白いドカンという個性的すぎるファッションで社会現象を巻き起こした横浜銀蝿。

正式名称をTHE CRAZY RIDER 横浜銀蝿 ROLLING SPECIALといいます。

ロックンロールからバラード、コミックソングまで芸風が広いのが特徴。

デビュー22周年記念のマキシシングルでは、ダウン・タウン・ブギウギ・バンドの『港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ』をカバー。


2020年現在はデビュー40周年を記念して、1983年の解散以来となるJohnnyさんも参加した横浜銀蝿40thとして期間限定で復活中。

『ツッパリHigh School Rock’n Roll』は「還暦編」です。

翔さんの話によると、昔デビューするためデモテープをレコード会社や事務所に売り込んで36回断られたそうですが、その中に宇崎竜童さんの事務所・ブギウギオフィスがあったとのこと。

デモテープを本当に聴いてくれたのかどうかもわからない事務所が多い中、ブギウギオフィスからは、まだプロのレベルではないけれどがんばってほしいという内容の手紙が届いてうれしかったと話しています。

夫妻がオーナーの赤坂店は閉店&補聴器を愛用?

宇崎竜童・阿木燿子夫妻が1996年よりオーナーを務めてきた赤坂店「ノヴェンバー・イレブンス」は、2020年5月末をもって惜しまれつつ閉店。

大人が楽しめるライブビストロをコンセプトに、内装から料理まで二人のこだわりを詰めこんで、東京都港区赤坂の一ツ木通りに開いたお店でした。

ジャズ、フラメンコ、ラテンなどバラエティ豊かなライブとともに、フレンチ、イタリアン、スペイン料理をベースとした創作料理が楽しめる、大人の雰囲気のライブビストロでした。

赤坂にお店を持ったことで、地域とのつながりが深まったと語っています。

また、宇崎竜童さんは補聴器を愛用しているという情報もありますが、これは事実でした。

なんと30代前半から両耳の難聴に悩んできたといいますから、補聴器使用歴は長いですね。

原因は、映画の撮影で弾着(だんちゃく)が耳の近くで破裂したこと。

弾着とは、拳銃で撃たれるシーンなどで装着する血のりや火薬を仕込んだ装置です。

その時に耳栓をしておらず、爆音をまともに受けてしまい、内耳破損と診断されたのだそう。

治療法はなく、補聴器をつけて対応するしかないことから補聴器生活になったわけですが、長年難聴とつきあいながら音楽と生きてきたことを筆者は知りませんでした。


難聴というハンディキャップがあっても、音が作れて歌える限りはそれを示していきたいと語る宇崎竜童さん。

70歳を過ぎてからは、妻からの愛のムチが「これが遺作になるかもしれないのに、これでいいの?」に変わったそうです。

作詞家、作曲家として切磋琢磨しあいながら、夫婦の二人三脚は続きます。

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