日本を代表する名作詞家として知られる阿木燿子(あきようこ)さん。
夫の宇崎竜童さんと二人三脚で時代を超えて歌い継がれる数多くの楽曲を生み出しています。
阿木燿子は病気を患っていた?
これまでに1000曲以上の作詞を手掛けてきた阿木燿子さん。
夫である宇崎竜童さんとのコンビで数多の名曲を世に送り出してきました。
阿木燿子さんが脚光を浴びるきっかけとなったのも宇崎竜童さん。
宇崎竜童さん率いるダウン・タウン・ブギウギ・バンドのために書いた「港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ」が大ヒット。
「アンタあの娘の何なのさ」という印象的なフレーズが大きな話題となりました。
当時、既に結婚していた阿木燿子さんと宇崎竜童さん。
これ以降は夫婦であり作詞作曲を行うコンビとして公私に渡る名パートナーに。
二人が制作する数々の楽曲は日本の音楽シーンを席捲。
その活躍ぶりにはあの山口百恵さんも直々に楽曲制作を依頼するほど。
いかに阿木燿子さんと宇崎竜童さんが作り出す音楽が素晴らしいかこれだけでも良く分かりますよね。
日本を代表する作詞家として引く手数多の阿木燿子さん。
その他にも女優や小説家、エッセイストに映画監督と多才な活躍を見せています。
このように芸能界で輝かしい活躍を見せる阿木燿子さん。
ところが幼少期は対人恐怖症に思い悩む日々を過ごしていたんだとか。
今の阿木燿子さんからは全く想像がつきませんよね。
阿木燿子さんの対人恐怖症はかなり酷く、人前では言葉を発する事が出来ず。
挨拶だけでなくクラスメイトと雑談する事も殆ど出来なかったそうです。
こんな状況になってしまったら多くの人はどんどんネガティブな方に考えてしまうはず。
もしかすると引き籠りになってしまう人もいるかもしれません。
ですが阿木燿子さんは人と話す代わりに頭の中で空想や物語を作る事に没頭していたそうです。
どんな状況でもポジティブ思考を忘れない阿木燿子さん。
きっと当時、空想や物語を作り上げた経験が作詞をする手助けとなっているはず。
阿木燿子さん独自の世界観はこの時に作り上げられたのかもしれません。
ちなみに対人恐怖症から救い出してくれたのも宇崎竜童さん。
宇崎竜童さんの明るく気さくな性格のおかげで阿木燿子さんは病を克服出来たそうです。
阿木燿子の現在
これまでの活躍により2006年に紫綬褒章、2018年には旭日小綬章を受勲した阿木燿子さん。
1945年生まれという年齢を考えると創作意欲の低下が心配されるところ。
実際、阿木燿子さんの公式HPを見ると最新の作詞が2015年3月4日。
森昌子さんに提供した「惚れさせ上手」以降、5年以上も新しい楽曲が掲載されていません。
ですが阿木燿子さんの創作意欲が衰えたわけではありません。
ここ数年、阿木燿子さんが力を入れているのはフラメンコ。
曾根崎心中とフラメンコを融合した「フラメンコ曾根崎心中」をプロデュースする阿木燿子さん。
同作は2001年に文化庁の芸術祭舞踊部門で優秀賞を受賞し、スペインで開催されたフラメンコフェスティバルにも日本人として初めて参加しています。
フラメンコの本場として知られるスペイン。
このフェスティバルに参加出来たという事からも「フラメンコ曾根崎心中」の素晴らしさが分かりますよね。
同公演について「ライフワーク」と語る阿木燿子さん。
2018年にはタイトルを「Ay曾根崎心中」へと変更して公演が行われました。
また、プロデュース業だけでなくテレビ番組にも積極的に出演。
宇崎竜童さんと夫婦共演する事も少なくありません。
このように幾つになっても常に新たな挑戦を続け、進化し続ける阿木燿子さん。
まだまだ日本芸能において重要な役割を果たしていきそうですね。
阿木燿子は料理上手としても有名
年々、増加傾向にある共働き世帯。
イクメンという言葉の普及により育児を手伝う男性も増えています。
ですが未だに家事を中心的に行うのは女性という世帯が殆どでしょう。
普通の家庭でも仕事と家事の両立は大変なこと。
そのため食事は外食やお総菜で済ませる人も少なくないはず。
作詞家にエッセイスト、プロデューサーなど多忙な日々を過ごす阿木燿子さん。
ですが、どんなに忙しくても宇崎竜童さんには手料理を振る舞っているんだとか。
決して手を抜く事はなく食卓にはカラフルな食事が並ぶそうです。
裕福な家庭で育ち、幼い頃からグルメだったという宇崎竜童さん。
舌の肥えた宇崎竜童さんも阿木燿子さんの料理を絶賛。
最後の晩餐で食べたい物を聞かれた際にも「妻の手料理」と答えています。
その料理の腕前から「阿木燿子 ほっぺたぽろりんレシピ」というレシピ本も出版している阿木燿子さん。
夫婦ともに健康でいられるのは間違いなく阿木燿子さんの手料理のおかげ。
阿木燿子さんが元気に台所に立ち続けられる限り、宇崎竜童さんの活動も安泰と言えるでしょう。
阿木燿子が天才と呼ばれる所以
これまでに「天才」と称された作詞家は決して多くありません。
阿木燿子さんも天才である事は疑いようのない事実でしょう。
日本レコード大賞の作詞賞、日本作詞大賞など数々の賞を受賞している阿木燿子さん。
これまでに1000曲以上も作詞を手掛けたのも驚異的。
それだけの詞を作れるというのも間違いなく才能でしょう。
ですが阿木燿子さんが天才と呼ばれる理由はそれだけではありません。
一度、聴いたら忘れられないフレーズも天才と呼ばれる所以。
港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカの「アンタあの娘の何なのさ」を始め、横須賀ストーリーの「これっきりこれっきりもうこれっきりですか」、プレイバックPart2の「馬鹿にしないでよ」など阿木燿子さんの作品には印象的なフレーズが多数。
また、キャンディーズの「微笑み返し」ではそれまでのキャンディーズのヒット曲を歌詞に入れるという遊び心も。
最初の1行かタイトルさえ出来てしまえば、後は悩む事は殆どないという阿木燿子さん。
出だしさえ決まれば最後までストーリーを思い浮かべられるのは流石の一言。
世にヒット曲は数多くあれど歌詞がいつまでも印象に残る作品は数えるほど。
そんな作品を生み出し続ける阿木燿子さんはやはり天才と言っても過言ではないでしょう。
阿木燿子と宇崎竜童が結婚したきっかけとは
夫婦で作詞作曲を手掛け多くの作品を世に送り出してきた阿木燿子さんと宇崎竜童さん。
私生活では「いい夫婦の日 パートナー・オブ・ザ・イヤー」を受賞するなどおしどり夫婦としても知られています。
まるで神様が引き合わせたとしか思えない二人。
そんな二人が出会ったきっかけは大学のサークルでした。
阿木燿子さんよりも先に軽音サークルに入っていた宇崎竜童さん。
すると新人の仕事として新入生の勧誘をさせられたそうです。
その時に最初に声をかけたのが阿木燿子さんだったんだとか。
多くの新入生の中から阿木燿子さんに声をかけたのは全くの偶然ではなかったはず。
もしかすると阿木燿子さんに目を奪われ、お近づきになりたいという思いで声をかけたのかも。
そんな二人を結びつけるきっかけとなったのがレコードでした。
阿木燿子さんの誕生日に宇崎竜童さんがプレゼントとして渡したのがレコード。
それは阿木燿子さんがファンと言っていた越路吹雪さんのレコードでした。
もちろん宇崎竜童さんは阿木燿子さんが越路吹雪さんのファンという事は知っていました。
「結婚を認めてくれてなかったから、これでなんとかなるかなと思った」という下心からレコードをプレゼントしたそうです。
その後、音楽業界に深く携わる二人を結び付けたのがレコードなんて何とも素敵な話ですよね。
数多くの作詞と作曲を手掛けてきた二人の自宅には数多くのレコードやCDがあるはず。
そんな中でも誕生日プレゼントとして贈られたレコードは思い出の一枚として今も大事にしている事でしょう。
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