開高健の娘(開高道子)は自死。妻や家族について。晩年は茅ケ崎、死因とは

没後30年を経た今も、その作品世界やスケールの大きな生き方で新しいファンを獲得している開高健(かいこうたけし/かいこうけん)さん。

仕事に趣味に世界中を駆けめぐり、絵に描いたような男のロマンを体現した行動派の作家でした。

そんな開高健さんの家族はどんな方たちだったのでしょう。

娘の開高道子さんや妻の牧羊子さんにスポットをあてながら、後半生の16年間を過ごした茅ケ崎や死因についてまとめます。

開高健の娘・開高道子は鉄道自殺

小説はもとより、ベトナム戦争の取材、釣りやグルメのエッセイなど、多彩な分野で活動した開高健さん。

戦場での迷彩服姿や、釣った大魚を自慢げに抱え上げている姿が真っ先に思い浮かびます。


中高年以上の世代には、ウイスキーを片手にパイプをくゆらせていたCMのイメージが強いかもしれませんね。

開高健さんは1930年12月30日、大阪府天王寺区で誕生し、大阪市立大学法学部を卒業。

名前の正しい読み方は「かいこうたけし」なのですが、自分の名前をもじって「書いた? 書けん!(かいた、かけん)」と冗談を言うことがあり、たびたびサインに「Ken」と書いていたことから、「けん」の読みも定着しています。

コピーライター時代に『裸の王様』で芥川賞を受賞したのちに専業作家になった作家です。

2020年に生誕90年を迎えるということで、2019年12月には「ビギナーズKAIKO! 渋谷でまるごと開高健」というイベントも開催されました。

一人娘の開高道子さんは1952年7月14日生まれ。

慶應義塾大学大学院で仏文学を学んだエッセイストでした。

『風説 食べる人たち』『父開高健から学んだこと』などの著書のほか、『アリスの国の不思議なお料理』の翻訳も手がけています。

翻訳家・エッセイストとして将来を期待されていましたが、1994年6月、41歳の時に自ら電車に飛び込んで命を絶ちました。

父・開高健さんの死から5年後のことです。

開高健さんは自著の中で自分がうつ病であることを明かしており、遺伝的な悪影響が娘に現れることを危惧していました。

道子さんの自死が突発的なものであったのか、父の心配が現実になってしまったのかは定かではありませんが、不幸なことに、さらに6年後には母の牧羊子さんもこの世を去ることになります。

妻・牧羊子ほか家族について

詩人で7歳年上の妻・牧羊子さんは同人誌「えんぴつ」の仲間でした。

1952年に道子さんが誕生していますが、開高健記念会HPの年譜によると、入籍したのは1953年3月。

開高健さんが22歳、羊子さんが29歳の時です。

羊子さんについて気になるのが悪妻だったという風評ですね。

開高健さんの親友・谷沢永一さんは著書『回想開高健』の中で彼女を稀代の悪妻と断じ、妊娠を盾に開高さんに結婚を迫ったことや、開高さんが妻から離れるために茅ケ崎に自宅を建てたこと、死の床で妻を鬼呼ばわりしたことなどを綴っています。

また別の著書では、妻から逃れるために世界を旅していたとして、飛行機が離陸するとたちまちうつが治ったとも。

真実がどうだったのかはもはや知るべくもありませんが、羊子さんは2000年1月19日、茅ケ崎の自宅で孤独死しているところを発見されました。

死因は病死であり、死後数日たっていたとみられています。

76歳でした。


開高健さんの生い立ちをみてみると、開高家の長男で二人の妹がいました。

12才の時に国民学校の教頭だった父が他界して母子家庭になったため、一家は開高健さんのアルバイトで生計を立てていたそうです。

最後の16年は茅ヶ崎市で作家生活

1974年に東京杉並から茅ヶ崎市東海岸南に移り住んだ開高健さんは、1989年に死去するまでこの地で作家生活を送りました。

住人のいなくなった家は羊子さんの妹によって茅ケ崎市に寄贈され、その後開高健記念館として一般公開。

記念館の管理を茅ヶ崎市が、運営を開高健記念会が茅ヶ崎市から受託しています。

開高健さんが名づけた「哲学者の小径」のある庭と書斎は当時のまま。

海と釣りをこよなく愛した開高健さんは、自殺したヘミングウェイとどこかイメージが重なります。

開高健の死因

開高健さんは1989年3月に食道狭窄で茅ヶ崎市の病院に入院し、のちに東京都の済生会中央病院に再入院。

手術を受けて7月に退院したものの、12月9日、食道がんに肺炎を併発して死去しました。

まだ58歳の若さでした。

生前のエネルギッシュな行動や言動を思うと、その早すぎる死に驚かされますね。


『オーパ!』『もっと遠く!』 『もっと広く!』といった自著の題名からも、あふれるエネルギーが伝わってくるようです。

コピーライター出身であるだけに、端的な言葉で物ごとの本質を表現することに長けていた開高健さん。

58歳の死がいかに早すぎたかをあらためて実感します。

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