「ニュースキャスター」という言葉が浸透していなかった時代から『きょうの出来事』のメインキャスターを務め、以降は日本を代表する言論人として最前線に立ち続けてきた櫻井よしこ(さくらいよしこ)さん。
その優雅な物言いや、上品で女性らしい容貌は常に注目の的ですね。
今回は櫻井よしこさんの髪型、ファッション、スーツブランドに注目しながら、意外な身長を明かします。
「理想とする日本女性」「真の大和撫子」と賛辞が贈られる彼女の原点は何なのか、若い頃にも迫ってみたいと思います。
櫻井よしこのプロフィール
本名:櫻井良子(さくらい よしこ)
生年月日:1945年10月26日
身長:不明
出身地:ベトナムハノイ
最終学歴:慶應義塾大学文学部中退、ハワイ大学マノア校歴史学部卒業
櫻井よしこの髪型は闘う意志の表れ?
1945年10月26日、ベトナムのハノイで日本人両親の間に誕生した櫻井よしこさん。
英字新聞『クリスチャン・サイエンス・モニター』の東京支局などを経て、34歳の時から16年間、『きょうの出来事』のメインキャスターを務めていました。
番組出演中の1994年に本名の「櫻井良子」から「櫻井よしこ」に改めています。
柔らかな語り口でニュースを伝える一方で、自ら現場へ足を運び、取材も行ってきました。
1996年3月に同番組を卒業する際の会見では、「これからは論陣を張っていきたい」と宣言。
77歳を迎える2023年現在も、単行本の執筆、新聞・雑誌への寄稿、理事長を務める国家基本問題研究所のシンポジウム、講演活動等で活発な言論活動を行っています。
確固たる信念にもとづいて、男性でもひるむような事柄に鋭く切り込む論客ぶりは、人呼んで「お上品爆弾」。
スタイルのある生き方や凛とした女らしさに魅かれる人は、男女を問わず多いようです。
#櫻井よしこ さん
彼女は保守言論界の重鎮
小馬鹿にする評論を見たが
果たしてそうだろうか?政府の批判など一つとしてない
感染が拡がる中
我々が今どうあるべきか?弱い人々を皆で支え合い
大切な医療資源を
分け合って利用することの重要性を
説いている保守派とは本来こうじゃなかろうか? pic.twitter.com/OHNtaSKi7l
— ねこおぢ3 (@necoodi3) February 25, 2020
櫻井よしこさんといえば、もはやトレードマークともいえるのが髪型。
SNSには「クレオパトラみたい」「コブラの威嚇を思い出す」とさまざまなコメントが上がっていますが、これも注目を集めている証拠でしょう。
見方によってはクラブのママ風ともいえる髪型ですが、これは今時なかなか見かけない、ひと昔前のスタイル。
ですが、筆者はこの髪型に「闘う意志」を感じます。
念入りにブローして立ち上げた逆毛は、海外の女性政治家やアンカーウーマンなどにもよくみられました。
手間をかけて丁寧に作り込んだ髪型は、女性の威厳や知性、高級感を見る者に与えるもの。
髪型は異なりますが、イギリスのサッチャー元首相やデヴィ夫人なども同じ意味でパワーを秘めた髪型だと思います。
メイクも含めて、身だしなみは女性にとって武装の意味合いもあるのではないでしょうか。
櫻井よしこさんの髪のセットを長年担当してきたのは美容師の桑野眞澄さん。
30年以上といいますから、『きょうの出来事』時代からのつきあいです。
毎朝自宅を訪れ、ブローセットをして「よしこヘア」を作り上げているそうです。
櫻井よしこ氏って、この髪型を維持するためにヘアメイク代を累計1億円くらい使ってそうだよな pic.twitter.com/QDVQMd8msL
— Arai Kaoru (@araikaoru) January 30, 2018
ファッションの特徴やスーツブランド、身長は?
櫻井よしこさんのファッションは、仕事柄もありスーツが圧倒的に多いですね。
それもパンツスーツではなくスカートスーツ。
女性のなかには、ビジネスシーンで男性と渡り合うにはパンツスーツでなくてはと思う方がいるかもしれませんが、パンツはスカートよりカジュアルなファッションなのです。
男性のスーツにひけをとらない、女性の勝負服にはスカートスーツを選びたいもの。
櫻井よしこさんのお好みのファッションは、明るめのカラー、すっきりした首元、膝丈のタイトスカート、ナチュラルカラーのストッキングなど。
襟のないトップスを下にコーディネートしていることが多いようです。
気になるスーツブランドなのですが、これは不明でした。
お気に入りのブランドがいくつかあるのではないかと思います。
身長は、産経新聞社の別冊正論が刊行した『一冊まるごと櫻井よしこさん』によると153㎝。
意外と低いことに驚きますが、実際より高い印象を与えるのは、姿勢のよさとピンと伸ばした背筋にあるのかもしれません。
櫻井よしこの若い頃は意外と苦労人
櫻井よしこさんは日本が敗戦した年にベトナムの野戦病院で生まれ、引き揚げ後は大分県で暮らしました。
しかし父は愛人をつくり、家に帰らなくなります。
母・以志さんは子供たちへの悪影響を避けるため故郷の新潟県に移り住み、養育費の支払いがおざなりになった苦しい生活のなか、懸命に働いて子供たちを育てました。
やがて櫻井よしこさんは慶應義塾大学に入学しますが、学費の支払いが困難になって中退。
父がレストランを経営していたハワイに渡ります。
けれども父との溝は埋まることはなく、一切の援助なしで自力でハワイ大学を卒業。
ハワイ時代にはたくさんの魅力的な女性に出会ったそうですから、彼女たちとの交流によってはっきり物申す姿勢が培われたのかもしれません。
けっして平穏ではなかった暮らしのなかで心の支えになったのは、母の「何があっても大丈夫」という金言でした。
櫻井よしこさんはこの言葉とともに成長し、試練に直面するたびに思い出して乗り越えてきたそうです。
仕事をはじめてひと月ほどでジャーナリズムにしびれ、一生をここに賭けることに決めたと明かしている櫻井よしこさん。
その姿を見ていると、大和撫子とは単に日本人女性のことをいうのではなく、その言動や生き方で決まるのだと気づかされます。
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