佐藤陽子が死去。経歴&家とストラディバリ。前夫は岡本行夫、池田満寿夫は未入籍で内縁

バイオリニストとしての活動はもちろん、エッセイストやタレントとしてもおなじみの佐藤陽子(さとうようこ)さん。

池田満寿夫さんと恋に落ちた時は人妻であり、夫が外務官僚の岡本行夫さんだったことは意外と知られていないようです。

この記事では佐藤陽子さんの2023年までを追いながら、池田満寿夫さんと暮らした家や今の家、また所有するストラディバリ製作のバイオリンについてまとめます。

佐藤陽子のプロフィール

本名:佐藤陽子

生年月日:1949年10月14日

没年:2022年7月19日(72歳)

出身地:福島県福島市

職業:ヴァイオリニスト

佐藤陽子、肝臓がんで死去

1982年から熱海市で生活をされていた佐藤陽子さん。

2020年の7月19日に熱海市内の病院で、お亡くなりになられました。

原因は、肝臓がんとされています。

72歳というご年齢でした。

葬儀は近親者のみで行われたそうですが、おそらく亡くなれる瞬間も、近親者の方々に見守られながら他界されたのではないでしょうか。

佐藤陽子の経歴

テレビ番組やCMなどでみせた池田満寿夫さんとのおしどりぶりが懐かしい佐藤陽子さん。

バイオリニストとして広く知られていますが、あのマリア・カラスさんの薫陶を受けた声楽家でもあります。

1949年10月14日に福島県福島市で生まれた佐藤陽子さんは3歳からバイオリンをはじめ、来日したレオニード・コーガンさんに才能を見いだされて、ソ連邦文化省の招きでソ連に渡りました。


モスクワ音楽院を首席で卒業後はフランスに留学。

1976年に帰国したあとの音楽活動やエッセイの執筆、タレント活動などはおなじみですね。

池田満寿夫さんの芥川賞受賞作『エーゲ海に捧ぐ』を原作とした同名映画にも音楽家として参加していました。

エーゲ海のまばゆい空と青い海、エンディングの美しい音楽が心に残る作品です。

リアルタイムで観た世代には懐かしい映画ではないでしょうか。

音楽を担当したのは筆者が大好きなエンニオ・モリコーネさん。

2020年7月6日の逝去が心から惜しまれます。

巨匠のメロディと佐藤陽子さんの官能的なバイオリンにノックアウトされる神曲です。

池田満寿夫さんの死去と前後して一時的に演奏活動が停滞していた佐藤陽子さん。

ここ数年は定期的に開催する演奏会やワークショップでの指導に力を注いできました。

2019年には、これまでCDで発売されていた名盤がLP用のリマスタリングを施されて新たにリリース。

1974年2月18日に東京文化会館で行われた凱旋帰国公演の音源で、名演奏と話題を呼んだチャイコフスキーを収録しています。

終生連れ添った池田満寿夫さんの他界後、再婚したという情報はありませんでした。

佐藤陽子のバイオリンはストラディバリとグァルネリによる名器

佐藤陽子さんが所有するバイオリンはストラディバリウスとグァルネリ・デル・ジェズ。

アントニオ・ストラディバリとバルトロメオ・ジュゼッペ・アントーニオ・グァルネリという二人の製作者が特に有名ですね。

佐藤さんはこの二大名器の弾き比べを試みる演奏会も開いていますが、ご本人はストラドよりグァルネリを愛用することが多いそう。

弾き比べを聴いたことのある方の感想では、やはり印象は異なるそうで、グァルネリのほうが音色に深みを感じたとのこと。

ふだん使いこまれているからでしょうか。

グァルネリは1742年に製作されたもので、お値段は4億円だったそうです。

バイオリニスト羨望の的であるストラディバリウスのお値段は不明でした。

どちらも過去の所有者たちの人生を見つめてきたバイオリンということで、佐藤さんの手に渡るまでの歴史を感じますね。

岡本行夫と離婚して池田満寿夫の内縁の妻に

佐藤陽子さんに離婚歴があることと、前夫が元外交官の岡本行夫さんだったことは意外と知らない人が多いようです。

岡本さんは外務省に入省後、日米外交の主要ポストを歴任し、退官後は橋本内閣や小泉内閣で首相補佐官を務めた人物。

元東京都知事の石原慎太郎さんが後継者として出馬を打診したこともあったそうで、断られたことを石原さんが明かしています。

2020年4月24日に新型コロナウイルス感染症のため死去したことが5月に入ってから報じられましたが、亡くなる1か月前までは外交評論家として『サンデーモーニング』に出演していたこともあり、訃報に驚いた方は多かったことでしょう。

外務省時代は容貌がどこか高倉健さんに似ていて、本当にかっこいい方でした。

外交官時代にパリで出会った二人は大恋愛の末に結婚。

佐藤さんは24歳でした。

その後、佐藤さんは池田満寿夫さんと電撃的な出会いをして、1979年に岡本さんと離婚。

佐藤さんが『エーゲ海に捧ぐ』に参加した年でした。


この頃には二人の愛はゆるぎないものになっていたのでしょう。

翌1980年には高橋三千綱さん、戸川昌子さんらが発起人となって「新しい門出を祝う会」と銘打った結婚披露パーティーが開かれています。

しかし、二人は戸籍上は夫婦ではありませんでした。

池田さんには若い頃に入籍した妻がおり、すでに関係は破綻していたものの、相手が離婚に応じなかったために、法律上の妻は生涯この女性だったのです。

佐藤陽子の家はマンション?

1997年3月8日、池田満寿夫さんは熱海の自宅で心不全で急逝。

この自宅は1982年12月に二人が熱海に移り住んでから、住まいとして、またアトリエとして暮らした家でした。

その後は佐藤陽子さんによって熱海市に寄贈され、「池田満寿夫・佐藤陽子 創作の家」として一般公開されています。

佐藤さんは市内のマンションに転居したようですが、これまで再婚の報道がないことから、一人暮らしをしていた可能性が高そうです。

池田満寿夫さん逝去の際は「彼から真心を学んだ」と語った佐藤陽子さん。


既成の芸術に挑戦し続けた池田さんのいちばんの理解者が佐藤さんだったのかもしれませんね。

アーテイスト同士、響き合うものがあったということでしょうか。

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コメント

  1. エーゲ海に捧ぐは当時情報が少ない中ものすごいセンセーショナルな映画でした。海と裸の若い金髪の女性ということで、世の中の男性はもう夢中になったことともいます。艶かしい音楽とエーゲ海金髪美女まさにギリシャ神話の世界でした。私はまだ少女だったのでなにやら怪しげな見ては行けない世界のような気もしましたね。池田満寿男が映画監督ということで日本人がこのような頽廃的で官能的な映像を作ることに非常にびっくりしました。その音楽を佐藤陽子がひいてたということも知ってました。2人とも当時ぶっとんでましたからね。1970年代は世界中がなんか自由だとか、性の開放だとかいっていろんな映画や視点でものを作っていたのである意味興味深い時代でした。今でもあまり深入りしない方がいいと思っています。身を持ち崩しかねないです。恐ろしいです。ヒッピーになった人たちはいまごろどうなったんでしょうね?時代に翻弄されるとはまさにこのことだったのかもしれません。