池田満寿夫は妻(佐藤陽子)と入籍できず。自宅が創作の家&子供は?その生き方とは

およそ芸術と呼ばれるもの多くで見事な活躍を見せた池田満寿夫(いけだますお)さん。

今後も日本芸術史で語り継がれる存在である事は間違いないでしょう。

池田満寿夫のプロフィール

本名:池田満寿夫

生年月日:1934年2月23日

死没日: 1997年3月8日没

出身地:中華人民共和国 瀋陽市

最終学歴:早稲田大学

池田満寿夫と妻の佐藤陽子が入籍できなかった

画家、彫刻家、陶芸家、作家に映画監督など多才すぎる活躍をみせた池田満寿夫さん。

芸術に関わる分野はほぼ網羅したと言っても過言ではないかもしれません。


更にはその殆どで高い評価を集めたのは流石と言う他ありません。

池田満寿夫さんは高校在学中に絵画が入選した事で画家を目指して上京。

その後、芸大の中で最難関として知られる東京藝術大学を3度受験するも合格は果たせず。

ただ、それでも画家になる事を諦めなかった池田満寿夫さん。

似顔絵を描いて生活する日々を過ごしながら描き上げた作品が自由美術家協会展に入選。

そして画家、版画家として活動する瑛九さんに勧められ、色彩銅版画に取り組むと才能が開花。

東京国際版画ビエンナーレ展で文部大臣賞を受賞し、版画の世界で最高の権威とされるヴェネツイア・ビエンナーレ展版画部門の国際大賞まで受賞。

こうして日本のみならず世界でも一目置かれる存在となった池田満寿夫さん。

その後は文学でも才能を発揮した池田満寿夫さんは「エーゲ海に捧ぐ」では芥川賞を受賞。

同作を小説の他、絵画や歌、映画など様々な形式で表現し大きな話題となりました。

これらの多彩な活躍が注目を集めた事でテレビにも頻繁に出演するように。

こうして池田満寿夫さんは日本を代表する文化人として世間からも広く知られるようになりました。

そんな池田満寿夫さんと言えば、バイオリニストの佐藤陽子さんとのおしどり夫婦ぶりも有名でした。

1977年の雑誌の対談で初めて対面した池田満寿夫さんと佐藤陽子さん。

その2年後に池田満寿夫さんの映画「エーゲ海に捧ぐ」で佐藤陽子さんが音楽を担当した事で一気に距離が縮まり交際に発展。

実は初対面の当時、既婚者だった佐藤陽子さん。

ですが、池田満寿夫さんに強く惹かれてしまった事で離婚しているんです。

そして1979年に有限会社「M&Y事務所」という二人の個人事務所を設立。


その翌年に作家の高橋三千綱さん、作家で歌手の戸川昌子さんが発起人となり結婚披露宴が開催されました。

著名人が発起人になった事からも多くの人々が池田満寿夫さんと佐藤陽子さんの結婚を祝福していた事が分かりますよね。

ただ、池田満寿夫さんと佐藤陽子さんは入籍はしていない事実婚なんです。

事実婚の場合は結婚式を挙げない事が少なくないですよね。

ですが、池田満寿夫さんと佐藤陽子さんは結婚式まで挙げたのになぜ入籍しなかったのか疑問に思う人も多いでしょう。

その理由は「池田満寿夫さんが既婚者だったから」。

池田満寿夫さんに惹かれ離婚している佐藤陽子さん。

一方の池田満寿夫さんも佐藤陽子さんと出会う前に結婚歴があるんです。

池田満寿夫さんが結婚したのは21歳の時でお相手は10歳年上の女性。

ただ、その女性とは3年で破局するも、何と女性が離婚を拒否。

つまり、夫婦関係が破綻したにも関わらず戸籍上は夫婦のまま。

そのため池田満寿夫さんと佐藤陽子さんは事実婚とならざるを得なかったのです。

家庭裁判所に訴える事で正式に離婚する事は出来たはず。

ただ、池田満寿夫さんと佐藤陽子さんにとって籍を入れるかどうかは大した問題では無かったのでしょう。

それよりも共に時間を過ごす事が大事だと考えていたのでしょうね。

池田満寿夫さんが亡くなった後、遺体と添い寝をしていたという佐藤陽子さん。

戸籍上は夫婦でなかったとしても、実の夫婦以上に深い愛情で結ばれていた事が良く分かりますよね。

自宅兼アトリエを「創作の家」として公開

池田満寿夫さんの死後、共に暮らした自宅を熱海市に寄贈した佐藤陽子さん。

その自宅は今では「創作の家」として熱海の隠れた人気観光スポットの1つとなっています。

創作の家には池田満寿夫さんの代表作の1つである「エーゲ海に捧ぐ」の直筆原稿を展示。

その他、絵画や写真、陶板などの作品に加え、佐藤陽子さんの衣装や楽譜なども展示されているそうです。

また、単なる美術館ではなく元々は二人の自宅兼仕事場。

そのため二人が生活した状態のままで残されているものも少なくありません。

池田満寿夫さんによる書きかけのデッサンや出しっぱなしの絵筆。

お風呂もそのまま残されている事から、二人の暮らしぶりを垣間見る事が出来ます。

作品を見るだけでなく「この場所でどんな時間を過ごしていたのか」と考えるのも楽しいかも知れませんね。

そして広大な自然が眺められるリビングにはドリンクを頼めるカウンターが。

そのままリビングのソファーやダイニングテーブルでドリンクが飲めるそうです。

池田満寿夫さんと佐藤陽子さんが腰かけたであろうソファーや椅子に座れるなんて。

コアなファンでなくても嬉しい事ですよね。

きっと池田満寿夫さんと佐藤陽子さんもリビングでは穏やかでゆったりとした時間を過ごしていた事でしょう。

池田満寿夫さんと佐藤陽子さんの人生の一部に触れられると言っても過言ではない「創作の家」。

何だか時間を忘れて長居をしてしまいそうですね。

池田満寿夫には子供がいる?

21歳の時に10歳年上の女性と結婚した池田満寿夫さん。

当時は芸術家として駆け出しだったためか、その女性との間に子供はいないようです。

その後、佐藤陽子さんと出会う前に作家の富岡多恵子さんと同棲していた池田満寿夫さん。

また、海外で入籍した米国人の女性もいたそうです。

ですが、富岡多恵子さんや米国人の女性、佐藤陽子さんとの間にも子供はいません。

芸術家としての地位を確立した池田満寿夫さん。

ですが、芸術家が不安定な職業である事には変わりありません。

そのため大黒柱として家庭を守る、という感じではなかったのかも知れません。

そんな池田満寿夫さんは愛犬を子供のように可愛がっていたそうです。

多い時には20匹もの犬を飼い、犬好きが高じて「しっぽのある天使—わが愛犬物語」という著書も出版。

きっと創作活動で疲れた心を愛犬が癒してくれたのでしょう。

ただ、池田満寿夫さんが亡くなるきっかけになったのも愛犬でした。

池田満寿夫さんが帰宅したちょうどその時に地震が発生。


その地震に驚いた愛犬が足元に絡まった事で池田満寿夫さんは激しく転倒。

佐藤陽子さんが救急車を呼び病院に搬送されるもそのまま亡くなってしまいました。

あまりに突然の死に大変なショックを受けた佐藤陽子さん。

もしかすると熱海市に自宅を寄贈したのは、自宅にいると池田満寿夫さんを思い出して辛いからかも。

それだけ佐藤陽子さんにとって池田満寿夫さんはかけがえのない存在だったという事なのでしょう。

女性との出会いが生き方に影響した池田満寿夫

これまでに4人の女性と生活を共にした池田満寿夫さん。

それらの女性との出会いと別れが芸術家としての活動に変化を与えてきたそうです。

池田満寿夫さんと言えば官能的な作風を思い浮かべる人も多いでしょう。

ですが、それも生活費を稼ぐため。

池田満寿夫さんは24歳の時に官能的な画集を自費出版。

その3年前に結婚している事から、妻を養うためにお金を稼ぐ必要があったのは自明ですよね。

もし池田満寿夫さんが早くに結婚していなければ官能的な作風となる事は無かったかもしれません。

続いて出会った女性が富岡多恵子さん。

富岡多恵子さんが詩人や作家として活動していた事から、池田満寿夫さんの交友関係が作家界にまで広がる事に。

幼いころから文学を嗜んで来たという池田満寿夫さん。

とはいえ富岡多恵子さんと出会わなければ本格的に執筆活動は行っていなかったかもしれません。

そうなると「エーゲ海に捧ぐ」は誕生していなかったはず。

もし「エーゲ海に捧ぐ」が誕生しなければ池田満寿夫さんが日の目を見るのはもう少し先となっていた事でしょう。

そして生涯を共にすることになった佐藤陽子さん。

世界的なバイオリニストでクイズ番組にレギュラー出演するなど世間でも知られた存在だった佐藤陽子さん。

そんな佐藤陽子さんと結婚したのは池田満寿夫さんが世間から注目されて暫くしてから。

そのためテレビ番組やCMに二人で出演することも少なくありませんでした。

池田満寿夫さんがメディアに出演する機会が増えたのは結婚相手が佐藤陽子さんという事が少なからず影響しているはず。

また、個人事務所を設立したのも佐藤陽子さんと出会ってから。


もし佐藤陽子さんと出会わなければ池田満寿夫さんが「芸術家のアイコン」となる事もなかったかも。

こんなにも女性が生き方に影響を与えるなんて珍しい事と言えますよね。

池田満寿夫さんが内面を表現する芸術家だからこそ出会いが人生に大きく影響したのかも知れませんね。

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