ミヤコ蝶々の遺産で息子が相続争い。自宅が更地、2人の夫。上沼恵美子を評価

長く上方演芸・喜劇界を牽引した女性芸人であり、『夫婦善哉』の司会者として親しまれたミヤコ蝶々(みやこちょうちょう)さん。

没後は息子と親族の遺産相続騒動が世間の注目を集めました。

骨肉の争いはどんな結末をみたのでしょう。

また「蝶々御殿」と呼ばれた大阪府の自宅は今どうなっているのでしょうか。

あわせて二人の夫との出会いと別れ、生前に高く評価していた上沼恵美子さんについても取り上げます。

ミヤコ蝶々の遺産をめぐる息子と親族の争い 

 
一座の座長として7歳から芸の道に入り、後年は女優としても活躍したミヤコ蝶々さん。

「大阪のオカン」のイメージが強いですが、意外なことに日本橋生まれの江戸っ子です。


生誕100年、没後20年のメモリアルイヤーとなった2020年には「生誕100周年 追悼ミヤコ蝶々展」が大阪で開催。

「私がおとなしゅうなったら気色悪いでっせ」と言い放ち、強気な発言と辛口コメントで知られた蝶々さんでしたが、晩年は病気と闘い続けていました。

80歳で73年の芸歴に幕を下ろしたのは2000年10月12日のことです。

没後2年ほどたった頃、蝶々さんの「義弟」なる男性と異父弟妹3人の間で遺産相続トラブルが報じられました。

義弟・日向利一さんとは、蝶々さんの父親と養子縁組した人で、戸籍上は弟にあたりますが、じつは蝶々さんの隠し子。

異父弟妹3人とは、蝶々さんの母親が再婚後にもうけた父親の違うきょうだいです。

莫大な遺産の総額は、現金預貯金2億数千万円と、自宅不動産1億数千万円など4億円超。

息子である自分がすべてを相続するものと思っていた利一さんですが、3人は蝶々さんと血縁関係があることを理由に相続権を主張。

さらに、蝶々さんと利一さんの親子関係に不信感を抱いてDNA鑑定も要求しました。

利一さんと異父きょうだいのDNA鑑定をしたところ、なんと血縁関係がないことが判明します。

利一さんは、自分はミヤコ蝶々の子ではなかったのかと愕然としますが、それならば父方ともDNA鑑定をしてみようと思い立ち、鑑定を依頼。

すると、今度は「母親はミヤコ蝶々でほぼ間違いない」という結果が出たのだそう。

じつは蝶々さんは父の愛人が産んだ子供で、正妻とは血縁関係がなかったのです。

したがって異父弟妹との血縁もないことになりますね。

ミヤコ蝶々さんも隠し子だったことを知った利一さんは、この鑑定結果を調停に提出せず、185坪の敷地の三分の一にあたる65坪を彼らに分割することで和解が成立。

調停は7年にも及んだそうです。

自宅は記念館を経て更地に

遺産相続騒動は、自宅を記念館として公開したい利一さんと、売却を希望する異父弟妹の対立でもありました。

大阪府箕面市の鉄筋コンクリート2階建ての自宅は利一さんが98%を相続し、改装を経て、2008年に「ミヤコ蝶々記念館」としてオープン。

蝶々さんのトレードマークだった帽子やメガネ、漫才の台本など約600点が展示されていました。

正規の学校教育を受けていない蝶々さんは「字ぃ知らん」と公言していましたが、きれいな字で書かれた日記や自筆原稿も公開されていたそうです。

2018年6月に入館者減少による財政困難のため閉館していますが、すでに休館状態が続いていたとのこと。

ファンの高齢化もあり、客足が遠のいてしまったのかもしれません。

その後は更地の分譲地になったそうです。

南都雄二はミヤコ蝶々の二番目の夫

恋多き女としても有名だったミヤコ蝶々さん。

最初の夫が17歳年上の三遊亭柳枝さんで、二番目の夫が4歳年下の南都雄二さんです。


「私って、もてる男に惚れますねん」と語っていたとおり、夫たちの女性関係にはずいぶん泣かされたようです。

最初の夫は妻子を捨てて蝶々さんと再婚しますが、早くも新婚時代に3人の愛人がいることを告白。

南都雄二さんと結ばれたのも夫の浮気癖がきっかけでした。

南都雄二さんと夫婦で司会を務めた『夫婦善哉』は、ラジオ版も含めると20年も続いた人気番組。

のちの『新婚さんいらっしゃい!』につながる素人夫婦とのトーク番組の草分け的存在です。

夫妻は法的な婚姻関係ではなく、事実婚だったようですが、雄二さんの不倫が原因で1958年に破局。

数年間は「離婚」を伏せたまま夫婦コンビとして活動しています。

ミヤコ蝶々は上沼恵美子を高く評価

ミヤコ蝶々さんに代わる上方芸能界の女帝といった感のある上沼恵美子さん。

姉妹漫才コンビ、海原千里・万里の海原千里としてデビューした時は高校生でした。

高校生とは思えない卓越した話術が反響を呼び、人気アイドルの天地真理さんにならって「漫才界の白雪姫」と呼ばれていたそうです。

駆け出し芸人だった頃の島田紳助さんは、彼女たちの漫才のセリフをノートに書き起こして研究していたというエピソードも。

ミヤコ蝶々さんは、上沼恵美子さんを海原千里時代から高く評価していました。

『夫婦善哉』は1987年にラジオ番組『新夫婦善哉』としてリニューアルされていますが、司会者には上沼さんが起用されています。

浪花の女喜劇王として一時代を築いたミヤコ蝶々さん。


男性以上に活躍する女性芸人がたくさん登場する時代になりました。

その道筋を切り拓いた一人がミヤコ蝶々さんだったことは間違いないでしょう。

コメント