京唄子、旦那4人と鳳啓助。一人娘&上沼恵美子の敬愛。ミヤコ蝶々に似てる?

漫才コンビ「唄子・啓助」で人気を集め、『渡る世間は鬼ばかり』など女優としても強い印象を残した京唄子(きょううたこ)さん。

男勝りの強気なツッコミが十八番でしたが、私生活では恋多き女として有名で、結婚・離婚をくり返しました。

この記事では二人目の旦那さんでコンビの相方でもあった鳳啓助さんに注目します。

葬儀で喪主を務めた娘の父親は誰なのかも気になりますね。

また京唄子さんを「神」とあがめる上沼恵美子さんや、よく混同されるミヤコ蝶々さんの話題も取り上げます。

京唄子と旦那・鳳啓助の夫婦漫才

ユニークなルックスを持ちネタにして笑いをとる芸人も多いなか、凜とした美人漫才師として異彩を放っていた京唄子さん。

スーツ姿に帽子といった、ふだんのファッションのおしゃれなセンスも有名でした。

『唄子・啓助のおもろい夫婦』では、一般人のゲスト夫婦の苦労話に思わずもらい泣きすることも。


美人で情の深い女性として、かなり男性にモテたのではないかと思います。

恋多き女として知られる京唄子さんの結婚歴は、なんと四回。

最初の結婚は、10代で大衆演劇の劇団に入り、舞台女優になってしばらくたったころでした。

お相手は俳優の浪花五郎さん。

しかし結婚生活は数年で破綻し、妊娠するも離婚。

その後、瀬川信子一座で座付き作家を務めた鳳啓助さんと出会い、漫才コンビ「唄子・啓助」を結成して結婚。

唄子さんの強烈なツッコミと、それをけむに巻く啓助さんの呼吸は夫婦漫才のお手本と称されるように。

「唄子・啓助」は女性主導のしゃべくり漫才で、女性上位のネタや演出はすべて啓助さんが考え、唄子さんはそれに従っていたそうです。

当時の映像をみると、やはり絶妙のテンポです。

夫妻は啓助さんの女性問題が原因で60年代半ばに離婚しますが、以降もコンビは継続。

おそらく唄子さんにとって、啓助さんの才能はなくてはならないものだったのでしょう。

1969年にスタートした人気番組『唄子・啓助のおもろい夫婦』でも二人のやりとりは名物に。

1994年に啓助さんが71歳で死去した際は、「もう漫才はやりません」と漫才との決別を誓った京唄子さん。

2008年には上方演芸の発展に貢献した演芸人を讃える「上方演芸の殿堂入り」に「唄子・啓助」として選出されました。

なお、啓助さんと離婚したのちは元漫才師の三田マサルさんと再々婚。

三田さんは啓助さんの実弟・志織満助さんの元相方です。

四人目の夫は俳優で10歳年下の萩清二さん。

最後の結婚は事実婚だったそうです。

京唄子さんの最期を看取ったのは四人目の夫と娘の節子さんでした。

京唄子の娘・鵜島節子について

京唄子さんには一人娘がいました。

その方が葬儀で喪主を務めた鵜島節子(うじませつこ)さんで、父親は初婚の夫・浪花五郎さんです。

2017年4月の時点で67歳ということから、生年は1950年頃でしょう。

20代前半で出産したことがわかります。

節子さんは一般人のため詳細はわかっていません。

京唄子さんの本名は「鵜島ウタ子」であり、節子さんも同じ名字を名乗っているため独身の可能性がありますね。

没後、壮絶な晩年が節子さんから明かされて話題になりました。

最後の数年間は寝たきりの状態になり、介護生活を送っていたそうです。

一般的に、複数の結婚歴があると相続トラブルを招きやすいものですが、京唄子さんの場合はどうだったのでしょう。


幸いなことに、鵜島家の相続は「争続」にはならなかったと節子さんは語っています。

もちろん一人娘だったことも関係していると思いますが、ともに介護にあたった義父の萩清二さんが金銭に執着しない人柄なのだそう。

また夫と娘が困らないように、事前に介護費用を準備していた京唄子さんの終活のおかげもあったでしょう。

亡き母は遺言書まで作成していました。

そこには、全財産を節子さんに相続させるという内容が記されていたそうです。

上沼恵美子は京唄子を「神」と崇拝

女性漫才師の後輩であり、京唄子さんにはことのほか可愛がってもらったという上沼恵美子さん。

京さんがいたからこそ自分があると断言する背景には、若き日の出来事がありました。

それは上沼さんが結婚して引退を公言し、2年後にNHKの朝ドラで復帰した時のこと。

メディアや業界ではバッシングが起こり、ドラマの撮影現場でも心ないいやがらせが続いていたそうです。

「あの時のことはしっかり覚えてる、誰一人フォローしてくれなかった」と上沼さん。

そんな彼女を救ったのが京唄子さんでした。

唄子さんは全員に聞こえるような大きな声で、あんたは続けなあかんねんで、大阪の宝やねんからと声をかけてくれたのです。

上方演芸界の大御所である唄子さんが復帰を歓迎したことで、バッシングはぴたりとやんだといいます。

先輩も後輩も関係なく仕事を奪い合い、足の引っ張り合いも行われていた当時、ライバルにエールを贈る唄子さんは次元が違う存在で、まさに「神」だったと上沼さんは述べています。

ミヤコ蝶々との共通点

京唄子さんのトレードマークは、吸い込みネタにもなった大きな口と帽子でした。

ミヤコ蝶々さんとよく混同されるのは、これらの印象のせいもあるでしょう。

蝶々さんが夫の南都雄二さんと漫才コンビを結成し、『夫婦善哉』の司会など夫婦で活躍したところも共通していますね。

京唄子・鳳啓助コンビは『唄子・啓助のおもろい夫婦』放送開始時にすでに離婚していましたが、ミヤコ蝶・南都雄二コンビは『夫婦善哉』ラジオ版の放送途中で破局。

一般人の夫婦をゲストに招くトーク番組の傑作である二つの番組が、どちらも離婚した元夫婦による司会だったというのもおもしろいところです。


芸人・女優としてのプライドからか、病床の撮影を許さず、お見舞いの申し出も丁重に断っていたという京唄子さん。

まさに芸の道一筋の人生だったといえるでしょう。

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