京唄子、旦那4人と鳳啓助。一人娘&上沼恵美子の敬愛。ミヤコ蝶々に似てる?

漫才コンビ「唄子・啓助」で人気を集め、『渡る世間は鬼ばかり』など女優としても強い印象を残した京唄子(きょううたこ)さん。

男勝りの強気なツッコミが十八番でしたが、私生活では恋多き女として有名で、結婚・離婚をくり返しました。

この記事では二人目の旦那さんでコンビの相方でもあった鳳啓助さんに注目します。

葬儀で喪主を務めた娘の父親は誰なのかも気になりますね。

また京唄子さんを「神」とあがめる上沼恵美子さんや、よく混同されるミヤコ蝶々さんの話題も取り上げます。

京唄子のプロフィール

本名:鵜島ウタ子(うじま うたこ)

生年月日:1927年7月12日

没年月日:2017年4月6日(89歳没)

出身地:京都府京都市上京区西陣

所属事務所:さち子プロ(最終所属)

京唄子の結婚と芸能生活

京唄子さんは、日本の芸能界で長年活躍した女優・漫才師として知られています。

彼女の結婚生活は、芸能活動と同様に波乱に富んだものでした。

最初の結婚は、10代で大衆演劇の劇団に入り、舞台女優になってしばらくたったころでした。


お相手は俳優の浪花五郎さん。

しかし結婚生活は数年で破綻し、妊娠するも離婚。

その後、瀬川信子一座で座付き作家を務めた鳳啓助さんと出会うことになります。

結婚と芸能人生の関係

京唄子さんの結婚歴は、彼女の芸能人生と密接に関わっています。

4度の結婚を経験し、その中でも特に注目されたのが鳳啓助さんとの結婚でした。

二人は「夫婦漫才」として人気を博しましたが、実際には結婚生活は長くは続きませんでした。

  • 4度の結婚を経験
  • 鳳啓助さんとの夫婦漫才で人気を得る
  • 鳳啓助さんとは早期に離婚

京さんと鳳さんの関係は、プライベートでは別れていても、舞台上では夫婦として活動を続けるという、芸能界ならではの複雑なものでした。

この経験は、京さんの芸能活動に深みを与えたと考えられます。

4度目の結婚相手は一般人の方で、京さんの晩年を支えたとされています。

この最後の結婚は、京さんにとって安定した生活の基盤となったようです。


10歳年下の夫と娘さんが、京さんの最期を看取ったという報道もあります。

京唄子さんの人生は、芸能活動と私生活の両面で波乱に満ちたものでした。

複数回の結婚と離婚を経験しながらも、常に前を向いて生きる姿勢は、多くの人々に感銘を与えたと言えるでしょう。

京さんの芸能活動は、結婚生活とも深く関わっていました。

特に鳳啓助さんとの夫婦漫才は、二人の関係が変化した後も続けられ、多くの人々に笑いを届けました。

この経験は、京さんの演技力や表現力を磨く上で大きな影響を与えたと考えられます。

晩年の京さんは、やせ細り口数も少なくなっていたと報じられています。

しかし、最後まで芸能活動を続け、多くのファンに愛され続けました。

4度目の結婚相手である一般人の夫は、京さんの晩年を支える重要な存在だったと言えるでしょう。

京唄子さんの人生は、芸能界での成功と私生活での苦労が交錯する、まさに波乱万丈のものでした。

4度の結婚を経験しながらも、常に前を向いて生きる姿勢は、多くの人々に勇気と希望を与えたと考えられます。

京さんの生き方は、芸能人としてだけでなく、一人の人間としても多くの人々の心に残るものとなったでしょう。

京唄子の娘・鵜島節子について

京唄子さんには一人娘がいました。

その方が葬儀で喪主を務めた鵜島節子(うじませつこ)さんで、父親は初婚の夫・浪花五郎さんです。

2017年4月の時点で67歳ということから、生年は1950年頃でしょう。

20代前半で出産したことがわかります。

節子さんは一般人のため詳細はわかっていません。


京唄子さんの本名は「鵜島ウタ子」であり、節子さんも同じ名字を名乗っているため独身の可能性がありますね。

没後、壮絶な晩年が節子さんから明かされて話題になりました。

最後の数年間は寝たきりの状態になり、介護生活を送っていたそうです。

一般的に、複数の結婚歴があると相続トラブルを招きやすいものですが、京唄子さんの場合はどうだったのでしょう。

幸いなことに、鵜島家の相続は「争続」にはならなかったと節子さんは語っています。

もちろん一人娘だったことも関係していると思いますが、ともに介護にあたった義父の萩清二さんが金銭に執着しない人柄なのだそう。

また夫と娘が困らないように、事前に介護費用を準備していた京唄子さんの終活のおかげもあったでしょう。

亡き母は遺言書まで作成していました。

そこには、全財産を節子さんに相続させるという内容が記されていたそうです。

上沼恵美子は京唄子を「神」と崇拝

女性漫才師の後輩であり、京唄子さんにはことのほか可愛がってもらったという上沼恵美子さん。

京さんがいたからこそ自分があると断言する背景には、若き日の出来事がありました。

それは上沼さんが結婚して引退を公言し、2年後にNHKの朝ドラで復帰した時のこと。

メディアや業界ではバッシングが起こり、ドラマの撮影現場でも心ないいやがらせが続いていたそうです。

「あの時のことはしっかり覚えてる、誰一人フォローしてくれなかった」と上沼さん。


そんな彼女を救ったのが京唄子さんでした。

唄子さんは全員に聞こえるような大きな声で、あんたは続けなあかんねんで、大阪の宝やねんからと声をかけてくれたのです。

上方演芸界の大御所である唄子さんが復帰を歓迎したことで、バッシングはぴたりとやんだといいます。

先輩も後輩も関係なく仕事を奪い合い、足の引っ張り合いも行われていた当時、ライバルにエールを贈る唄子さんは次元が違う存在で、まさに「神」だったと上沼さんは述べています。

ミヤコ蝶々との共通点

京唄子さんのトレードマークは、吸い込みネタにもなった大きな口と帽子でした。

ミヤコ蝶々さんとよく混同されるのは、これらの印象のせいもあるでしょう。

蝶々さんが夫の南都雄二さんと漫才コンビを結成し、『夫婦善哉』の司会など夫婦で活躍したところも共通していますね。

京唄子・鳳啓助コンビは『唄子・啓助のおもろい夫婦』放送開始時にすでに離婚していましたが、ミヤコ蝶・南都雄二コンビは『夫婦善哉』ラジオ版の放送途中で破局。

一般人の夫婦をゲストに招くトーク番組の傑作である二つの番組が、どちらも離婚した元夫婦による司会だったというのもおもしろいところです。


芸人・女優としてのプライドからか、病床の撮影を許さず、お見舞いの申し出も丁重に断っていたという京唄子さん。

まさに芸の道一筋の人生だったといえるでしょう。

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