水谷八重子(初代)の家系図。結婚と離婚。新派について。馬主としても有名

大河ドラマやサスペンスドラマに出演し、バラエティ番組でも知られてきた水谷八重子(みずたに やえこ)さん。

2021年現在、現役で活動している水谷さんは、二代目です。

今回は水谷さんについて、初代水谷八重子、家系図の情報に迫ります。

また結婚情報、新派について、馬主情報をご紹介しましょう。

水谷八重子のプロフィール


本名:松野好重(まつの よしえ)

生年月日:1939年4月16日

身長:不明

出身地:東京都港区

最終学歴:文化学院

所属事務所:キャスト・プラス

水谷八重子、初代の経歴

まず水谷さんの母である、初代水谷八重子さんの経歴を見ていきます。

初代は1905年に生まれ、1979年に亡くなった名女優です。

姉の夫で劇作家の、水谷竹紫(ちくし)が設立した劇団芸術座で、幼少期から女優活動を開始。

演劇界の重鎮だった演出家の小山内薫に見出されると、帝劇公演『アンナ・カレーニナ』にヒロインの息子役で出演しました。

以降は『青い鳥』のチルチル役を始め、少年役を中心に活動。

1921年、『寒椿』で映画デビューを果たしました。

舞台では竹紫と共に活動していましたが、彼が亡くなると「新派劇」の井上正夫と行動を共にします。

新派劇は後で触れますが、「旧派」である歌舞伎に対する、新しい現代劇のことです。

水谷さんは新派劇の隆盛に尽力しながら、歌舞伎俳優の十四代守田勘彌(もりた かんや)と結婚。

二代目の水谷さんは2人の娘で、本名は好重さんです。

1949年、初代は花柳章太郎と「劇団新派」を結成。

看板女優としてキャリアを積むものの、私生活はうまくいかず、離婚しました。


1962年、がんを発症して以降は、新派の若手俳優育成に尽力。

娘の好重さんや菅原謙次さんらを育てました。

1979年、乳がんにより舞台公演中に倒れ、74歳で死去。

文字通り舞台と共に歩んだ人生でした。

「水谷八重子」の名跡は、伝統芸能と同じく、娘に引き継がれます。

好重さんは新派の『相続人は誰だ』と『八月十五夜の茶屋』で初舞台を踏みました。

以降はジャズ歌手やテレビ女優としても活躍。

母の死後は、菅原さん、安井昌二さん、波乃久里子さんと並ぶ「新派四本柱」と称され、新派の活動に力を注ぎます。

『滝の白糸』や『佃の渡し』などで活躍し、1995年に二代目水谷八重子を襲名、座頭になったのです。

テレビ番組で見かける水谷さんは、親しみやすい雰囲気の女性というイメージが強いかもしれません。

しかし実際の彼女は、伝統ある新派劇の継承者として、トップの地位に君臨し続けている大女優なのです。

水谷八重子の家系図まとめ

水谷さんは歌舞伎俳優の五代目坂東玉三郎さんと義理の姉弟です。

彼女の父は十四代目守田勘彌。

後継ぎがいなかった彼の家へ、玉三郎さんは養子に入ったのです。

したがって血のつながりはないものの、2人は親戚関係にあります。

水谷さんは「もし自分が男子だったら、玉三郎を襲名していた」と語っていました。

また守田家には七代目坂東三津五郎が養子に入って以降、坂東家ともつながりがあります。

大河ドラマや映画で活躍した十代目坂東三津五郎さんと、息子の二代目坂東巳之助さんも、水谷さんと遠縁にあたるのです。

歌舞伎と新派の役者が入り混じる、俳優一族といえますね。

水谷八重子の結婚

水谷さんは1959年、ジャズドラマーの白木秀雄さんと結婚しました。

当時の彼女はジャズ歌手やタレントとして活躍し、NHK紅白歌合戦に出演するほどのスターでした。

白木さんも「白木秀雄クインテット」を結成したスタードラマー。

映画『嵐を呼ぶ男』で石原裕次郎さんのドラム演奏シーンの吹替や、主題歌のシングル盤でバック演奏を担当しました。

スター同士の結婚は話題となり、2人は時代の寵児として人気を不動のものとします。

しかし63年に離婚。

多忙なスター同士では、すれ違いや衝突が多かったのでしょう。

離婚会見で彼女が発した、「愛しているから別れます」は、流行語になりました。

「愛しているから」こそ、お互いの存在が仕事の障壁にならないよう、離婚したのかもしれませんね。

新派について

水谷さんが長年活動してきた「新派」の世界。

そもそも新派は、明治時代の「書生芝居」にまでさかのぼる、古い演劇といえます。

しかし本来は伝統演劇である歌舞伎に対して、「新しい劇」として生まれた芝居です。

「書生芝居」の名前の通り、散切り頭の書生が登場する新派は、髷を結った侍が登場する歌舞伎と大きく異なります。

『滝の白糸』や『金色夜叉』など、当時の人にとって「今ドキ」の小説だった作品を上演するのが新派でした。

昭和に入ってからは、当時人気作家だった三島由紀夫の『鹿鳴館』を新派で上演しています。

近代以降の人々にとって、歌舞伎が時代劇なのに対し、新派は現代劇だったことがうかがえますね。

水谷さんは新派の世界で、数々のヒロインを演じてきました。

彼女の発する台詞は、歌舞伎の台詞と異なり、現代人でも理解できるものです。

やや古臭い言い回しでも、現代人が聞いてもわかる内容の台詞である点が、やはり伝統的な歌舞伎との違いでしょう。

ただ水谷さんが山場で名演を見せると、観客が「水谷!」と掛け声をかける点については、歌舞伎と似ていますね。

名優の芸をとことん楽しむという点で、新派は「現代風の歌舞伎」と呼べるかもしれません。

水谷八重子は馬主?

水谷さんは中央競馬の馬主としても知られています。

調教師の高松三太さん、高松邦男さんと親しく、持ち馬を高松厩舎へ預けていました。

馬はミュージカルのタイトルにちなみ、「キスミー・ケイト」や「ラマンチャノオトコ」、「ミスサイゴン」などと名付けています。

いかにも女優らしいネーミングセンスです。

全部で15頭の持ち馬がいましたが、最も成績優秀だったのは、「スイートチャリティ」です。

通算成績21戦3勝で、賞金は3,120万円でした。

引退後は登録抹消されていますが、かなり優秀な馬だったといえますね。


「スイートチャリティ」以外は目立った成績の持ち馬がいないとはいえ、水谷さんは競馬そのものを楽しんでいたのでしょう。

長年、新派の座頭として活躍してきた水谷さん。

同時に親しみやすいタレントのイメージが強いのは、彼女の飾らない人柄のお陰かもしれませんね。

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