大河ドラマやサスペンスドラマに出演し、バラエティ番組でも知られてきた水谷八重子(みずたに やえこ)さん。
2023年現在、現役で活動している水谷さんは、二代目です。
今回は水谷さんについて、初代水谷八重子、家系図の情報に迫ります。
また結婚情報、新派について、馬主情報をご紹介しましょう。
水谷八重子のプロフィール
本名:松野好重(まつの よしえ)
生年月日:1939年4月16日
身長:不明
出身地:東京都港区
最終学歴:文化学院
所属事務所:キャスト・プラス
水谷八重子、初代の経歴
まず水谷さんの母である、初代水谷八重子さんの経歴を見ていきます。
水谷八重子さんは、芸術座の看板女優、新派でも大活躍された女優さんでした。
私が知る水谷さんはかなりご高齢の時ですが、母に聞くと色白の美人女優さんだったそうです。
二代目水谷八重子さん(水谷八重)は、初代の娘さんです。 pic.twitter.com/UmCRMJyugX— nabe7738 (@nabe77381) September 21, 2020
『朝日ソノラマ 現代名優舞台集』。どれもすばらしいが、例えば初代水谷八重子と森雅之の『鹿鳴館』。初代八重子&山形勲版は聴いたことがあるけど、森雅之版は初めて。森雅之は声だけでも、じゅうぶん芸が堪能できる。公演のライブ録音ではなく、スタジオで吹き込んだものらしく、ラジオドラマに近い。 pic.twitter.com/pQa6iEiO3v
— 濱田研吾 (@hamabin1) July 23, 2018
初代は1905年に生まれ、1979年に亡くなった名女優です。
姉の夫で劇作家の、水谷竹紫(ちくし)が設立した劇団芸術座で、幼少期から女優活動を開始。
演劇界の重鎮だった演出家の小山内薫に見出されると、帝劇公演『アンナ・カレーニナ』にヒロインの息子役で出演しました。
以降は『青い鳥』のチルチル役を始め、少年役を中心に活動。
1921年、『寒椿』で映画デビューを果たしました。
舞台では竹紫と共に活動していましたが、彼が亡くなると「新派劇」の井上正夫と行動を共にします。
新派劇は後で触れますが、「旧派」である歌舞伎に対する、新しい現代劇のことです。
水谷さんは新派劇の隆盛に尽力しながら、歌舞伎俳優の十四代守田勘彌(もりた かんや)と結婚。
二代目の水谷さんは2人の娘で、本名は好重さんです。
1949年、初代は花柳章太郎と「劇団新派」を結成。
看板女優としてキャリアを積むものの、私生活はうまくいかず、離婚しました。
1962年、がんを発症して以降は、新派の若手俳優育成に尽力。
娘の好重さんや菅原謙次さんらを育てました。
1979年、乳がんにより舞台公演中に倒れ、74歳で死去。
文字通り舞台と共に歩んだ人生でした。
「水谷八重子」の名跡は、伝統芸能と同じく、娘に引き継がれます。
好重さんは新派の『相続人は誰だ』と『八月十五夜の茶屋』で初舞台を踏みました。
以降はジャズ歌手やテレビ女優としても活躍。
母の死後は、菅原さん、安井昌二さん、波乃久里子さんと並ぶ「新派四本柱」と称され、新派の活動に力を注ぎます。
『滝の白糸』や『佃の渡し』などで活躍し、1995年に二代目水谷八重子を襲名、座頭になったのです。
テレビ番組で見かける水谷さんは、親しみやすい雰囲気の女性というイメージが強いかもしれません。
しかし実際の彼女は、伝統ある新派劇の継承者として、トップの地位に君臨し続けている大女優なのです。
水谷八重子の家系図まとめ
水谷さんは歌舞伎俳優の五代目坂東玉三郎さんと義理の姉弟です。
新派より
初代水谷八重子(明治一代女)と今の水谷八重子(水谷良重時代の仮名屋小梅 左は若き日の坂東玉三郎)。
守田勘弥の養子に入った坂東玉三郎の方が新派の世界に溶け込んでいるという皮肉。 pic.twitter.com/pg8oz6WoLP— Sho (@sh5tokyo) February 19, 2019
彼女の父は十四代目守田勘彌。
後継ぎがいなかった彼の家へ、玉三郎さんは養子に入ったのです。
したがって血のつながりはないものの、2人は親戚関係にあります。
水谷さんは「もし自分が男子だったら、玉三郎を襲名していた」と語っていました。
また守田家には七代目坂東三津五郎が養子に入って以降、坂東家ともつながりがあります。
大河ドラマや映画で活躍した十代目坂東三津五郎さんと、息子の二代目坂東巳之助さんも、水谷さんと遠縁にあたるのです。
歌舞伎と新派の役者が入り混じる、俳優一族といえますね。
水谷八重子の結婚
水谷さんは1959年、ジャズドラマーの白木秀雄さんと結婚しました。
@shibahumoere 白木秀雄は週刊誌の表紙を飾るほどのスターだったのか。水谷八重子と結婚(四年で離婚)していたし、加山雄三との共演盤もあるし。 pic.twitter.com/1dey2iu1qs
— 廣川貴広 (@shibahumoere) May 19, 2015
当時の彼女はジャズ歌手やタレントとして活躍し、NHK紅白歌合戦に出演するほどのスターでした。
白木さんも「白木秀雄クインテット」を結成したスタードラマー。
映画『嵐を呼ぶ男』で石原裕次郎さんのドラム演奏シーンの吹替や、主題歌のシングル盤でバック演奏を担当しました。
スター同士の結婚は話題となり、2人は時代の寵児として人気を不動のものとします。
しかし63年に離婚。
多忙なスター同士では、すれ違いや衝突が多かったのでしょう。
離婚会見で彼女が発した、「愛しているから別れます」は、流行語になりました。
「愛しているから」こそ、お互いの存在が仕事の障壁にならないよう、離婚したのかもしれませんね。
新派について
水谷さんが長年活動してきた「新派」の世界。
そもそも新派は、明治時代の「書生芝居」にまでさかのぼる、古い演劇といえます。
しかし本来は伝統演劇である歌舞伎に対して、「新しい劇」として生まれた芝居です。
「書生芝居」の名前の通り、散切り頭の書生が登場する新派は、髷を結った侍が登場する歌舞伎と大きく異なります。
『滝の白糸』や『金色夜叉』など、当時の人にとって「今ドキ」の小説だった作品を上演するのが新派でした。
昭和に入ってからは、当時人気作家だった三島由紀夫の『鹿鳴館』を新派で上演しています。
近代以降の人々にとって、歌舞伎が時代劇なのに対し、新派は現代劇だったことがうかがえますね。
水谷さんは新派の世界で、数々のヒロインを演じてきました。
彼女の発する台詞は、歌舞伎の台詞と異なり、現代人でも理解できるものです。
やや古臭い言い回しでも、現代人が聞いてもわかる内容の台詞である点が、やはり伝統的な歌舞伎との違いでしょう。
ただ水谷さんが山場で名演を見せると、観客が「水谷!」と掛け声をかける点については、歌舞伎と似ていますね。
名優の芸をとことん楽しむという点で、新派は「現代風の歌舞伎」と呼べるかもしれません。
水谷八重子は馬主?
水谷さんは中央競馬の馬主としても知られています。
調教師の高松三太さん、高松邦男さんと親しく、持ち馬を高松厩舎へ預けていました。
馬はミュージカルのタイトルにちなみ、「キスミー・ケイト」や「ラマンチャノオトコ」、「ミスサイゴン」などと名付けています。
いかにも女優らしいネーミングセンスです。
全部で15頭の持ち馬がいましたが、最も成績優秀だったのは、「スイートチャリティ」です。
通算成績21戦3勝で、賞金は3,120万円でした。
引退後は登録抹消されていますが、かなり優秀な馬だったといえますね。
「スイートチャリティ」以外は目立った成績の持ち馬がいないとはいえ、水谷さんは競馬そのものを楽しんでいたのでしょう。
長年、新派の座頭として活躍してきた水谷さん。
同時に親しみやすいタレントのイメージが強いのは、彼女の飾らない人柄のお陰かもしれませんね。
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