逸見太郎、現在は仕事激減で豪邸売却?結婚した妻と母・晴恵。待望の子供

逸見政孝さんの長男で、タレント・司会者でもある逸見太郎(いつみたろう)さん。

一時期は仕事の激減や、父が建てた豪邸の維持に四苦八苦するようすが伝えられました。

2024年現在は何をしているのでしょうか。

また、豪邸売却は考えているのでしょうか。

あわせて40歳のケジメとして結婚した妻や子供について、また他界した母・晴恵さんについてもまとめました。

逸見太郎のプロフィール

本名:逸見太郎

生年月日:1972年12月24日

出身地:東京都

学歴:エマーソン大学(アメリカ合衆国マサチューセッツ州)

逸見太郎の現在の活動

逸見太郎さんは、かつて人気を博したフリーアナウンサー・逸見政孝さんの長男として知られています。

現在、テレビ司会者やタレントとして活躍しており、その活動は多岐にわたっています。

ここでは、逸見太郎さんの現在の活動について詳しく見ていきましょう。

逸見太郎のテレビ出演と司会業

逸見太郎さんの現在の主な活動は、テレビ番組の司会業です。


特に、ある地上波テレビ局の夕方帯情報番組の司会者として長年活躍しています。

この番組では、社会問題や芸能ニュースなど、幅広いトピックを扱っており、逸見さんはその進行役として重要な役割を果たしています。

番組内では、「太郎ちゃん」という愛称で親しまれ、視聴者からの人気も高いようです。

逸見さんの司会スタイルは、父親である逸見政孝さんを彷彿とさせるものがあると言われています。

しかし、単に父親の真似をするのではなく、自身の個性を活かした進行で番組を盛り上げています。

また、この定期的な番組出演以外にも、様々な情報番組やバラエティ番組にゲスト出演しています。

そこでは、自身の経験や知識を活かしたコメントで、番組に彩りを添えています。

逸見さんは、特にスポーツに関する知識が豊富で、スポーツ関連の番組にも多く出演しています。


野球やゴルフなどの実況や解説を務めることもあり、その的確な分析は視聴者から高い評価を得ています。

さらに、逸見さんは司会業だけでなく、俳優としての一面も持っています。

時折、ドラマや映画にも出演し、演技力の高さを示しています。

特に、父親をモデルにしたドラマなどでは、その演技が話題を呼んだこともあります。

逸見さんの現在の活動は、テレビ出演にとどまりません。

ラジオ番組のパーソナリティとしても活躍しており、その温かみのある声で多くのリスナーを魅了しています。

ラジオでは、より親密な雰囲気で視聴者とコミュニケーションを取ることができるため、逸見さんの人柄がよく表れる場となっています。

また、逸見さんは社会貢献活動にも積極的に参加しています。


特に、父親が亡くなった原因でもあるがんに関する啓発活動に力を入れています。

がん検診の重要性を訴えるイベントに参加したり、自身の経験を語ったりすることで、多くの人々に影響を与えています。

さらに、逸見さんは執筆活動も行っています。

父親や母親について綴ったエッセイを出版するなど、自身の経験を通して読者に様々なメッセージを伝えています。

これらの著作は、芸能人の子供として育った経験や、有名人の両親を亡くした経験など、独特の視点から書かれており、多くの読者の共感を得ています。

逸見さんの現在の活動は、メディアを通じた情報発信にとどまりません。

講演会やトークイベントなどにも積極的に参加し、直接観客と交流する機会も多く持っています。


これらのイベントでは、自身の経験や考えを語ることで、参加者に新たな気づきや励ましを与えています。

逸見さんの活動の特徴として、常に新しいことにチャレンジする姿勢が挙げられます。

最近では、動画配信サービスやSNSなどの新しいメディアにも積極的に取り組んでいます。

これらのプラットフォームを通じて、より幅広い層の視聴者やフォロワーとつながりを持つことができています。

逸見さんの現在の活動は、父親の影響を受けつつも、独自の道を切り開いていると言えるでしょう。

テレビ、ラジオ、執筆、社会貢献活動など、多岐にわたる分野で活躍することで、逸見太郎さんという個性的なタレントとしての地位を確立しています。

これからも、新たな挑戦を続ける逸見さんの活動に、多くの人々が注目し続けることでしょう。

逸見太郎の豪邸売却はどうなった?

逸見さんの収入が激減し、月収2万8000円の月があることなどが明らかになったのは2013年でした。

太郎さんの頭を悩ませているのは、父・政孝さんが1992年に世田谷区に新築した12億円といわれる豪邸。

大黒柱だった父が逝き、母の晴恵さんもこの世を去ったあと、その豪邸に住んできた太郎さん。

SNSの投稿画像には妹の愛さんの表札も確認できることから、その後も愛さんと同居している可能性がありますね。

140坪、7LDKという広さのために、維持費もばかにならないという大豪邸。

光熱費が月に10万円、固定資産税は年間で400万円以上。


今後は大規模な修繕なども必要になるでしょう。

こうした理由から、太郎さんに一刻も早い売却をすすめる人もいたそうですが、豪邸売却のニュースはいっこうに聞こえてきません。

そもそもご本人が売却を望んでいるのか、できれば家を守りたいのかもいまいちはっきりしていません。

ですが、現実として維持が難しい状況であることは明らかです。

父親が遺した自宅とはいえ、土地や家屋にかかる固定資産税が住人の身の丈に合わなくなってしまったということでしょう。

逸見太郎が結婚した妻は一般女性

逸見太郎さんが結婚したのは収入激減の報道と同時期でした。

お相手はアラフォーの一般女性で、入籍日は2013年1月23日。

40歳のケジメとして身を固めたと明かしています。

妻は一般女性ということで、名前や年齢、経歴などの詳細は不明。

アラフォーという言葉から、さほど年齢差はないのでしょう。

夫婦ともにやや遅めの結婚といえますが、じつは太郎さんに仕事の減少傾向がみられるのは2003年頃から。

もっと収入が安定してから妻を迎えたいという考えも当初はあったようで、そのため入籍が遅れてしまったのかもしれません。

202年現在は、おそらく夫婦で世田谷の豪邸に住んでいると思われます。

逸見太郎の母・晴恵と待望の子供誕生

逸見政孝さんが家族のために建てた豪邸は1992年10月に完成。


胃がんが発覚したのはその3か月後であり、逸見さんは新居に1年も暮らすことのないままこの世を去りました。

太郎さんの母・晴恵さんは夫のフリー転向を機に専業主婦から「オフィスいっつみい」の取締役社長に就任。

逸見政孝さんの死後、残された家族には莫大な自宅のローンがのしかかります。

豪邸を売却すれば楽になるとわかっていても、頑として反対したという晴恵さん。

自宅は夫の形見であり、成功の証であり、思い出のつまった大切な場所だったのでしょう。

夫の死の半年後には晴恵さんにも子宮がんが発覚。

この子宮がんは完治したものの、追いうちをかけるように骨髄異形成症候群を発症。

晴恵さんは病と闘いながら、医学関連のエッセイを何冊も執筆し、講演で全国各地を飛び回ってローンをほぼ返済します。

晴恵さんが闘病の末に息をひきとったのは2010年10月21日でした。

死因は肺胞蛋白症、61歳でした。

生前にこれといった親孝行はできず、『5時に夢中!』の司会に抜擢されたことが唯一の親孝行だったと述べた太郎さん。

晴恵さんは病床でも「家をよろしくね」とくり返し伝えていたそうですから、彼女にとっていかに自宅が思い入れの強いものであったかがわかります。

その後、結婚した太郎さんには2019年4月29日に長男が誕生。

平成最後の昭和の日生まれです。

結婚時に妻はすでにアラフォーであり、高齢出産になりますが、母子ともに健康で、太郎さんも立ち会ったとのこと。

父親になった喜びとともに、新たな責任も感じたことでしょう。


長男誕生をきっかけに、芸能活動にも勢いがつくといいですね。

逸見家が一丸となって守ってきた感のある豪邸ですが、天国の両親も、子供たちが維持に苦しむ姿は望んでいないのではないでしょうか。

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