ロシア語通訳者・作家として活躍した米原万里(よねはら まり)さん。
見事な描写力で知られるエッセイや小説の他、下ネタトークでも愛された女性でした。
今回は彼女がプライベートでどのように過ごしていたか確認し、晩年の闘病生活に迫りましょう。
夫、結婚の情報、死因となったがんの詳細、近藤誠医師との闘病生活について見ていきます。
米原万里のプロフィール
本名:米原万里
生年月日:1950年4月29日
死没:2006年5月25日
身長:不明
出身地:東京都中央区
最終学歴:東京大学大学院露語露文学修士課程
米原万里の夫、結婚について
まず米原さんの夫と結婚についてです。
前から気になる人。 #米原万里 やっと現物を手に入れました。 pic.twitter.com/3Zkznljf6S
— Puggy (@puggy_r) August 21, 2018
彼女は生涯独身を貫いたため、夫はいませんでした。
家庭に煩わされることなく、通訳や文筆などの仕事を、思う存分楽しんでいたイメージが強いですね。
彼女は動物が大好きで、常に6匹前後の猫に加え、犬も飼っていたそうです。
エッセイ『ヒトのオスは飼わないの?』では、猫6匹と犬1匹との生活をつづりました。
男性と恋に落ちたことはあるものの、「ヒトのオス」にはやや手厳しかった彼女は、結局独身を貫いたのです。
代わりに自身を猫や犬たちの「母」と考え、彼らには惜しみなく愛情を注いだのでしょう。
仕事に生涯を捧げるために独身を貫いたのではなく、人間の男性との関係を保つのが面倒だったのでしょう。
ただもし理想の男性に出会っていれば、動物たちだけでなく、自身の子供にも愛情を注ぐ「よき母」になっていたかもしれませんね。
ちなみに彼女の妹で、料理研究家・作家の井上ユリさんは、劇作家・井上ひさしさんの妻です。
「姉・米原万里」読了
ロシアの小噺や食べ物の話が珍しく作品あらかた読んだ
これは妹から姉を見た作品
両親が共産党で当時は日本でどんな扱いだったのだろう
妹井上ユリは井上ひさしと再婚したが前妻への暴力はきっぱりした姉としてはスルーだったのかなどと pic.twitter.com/FuWxsJYBWm— Yukie (@nyanpararira71) August 25, 2020
米原さんは、ひさしさんが会長だった「日本ペンクラブ」の常務理事でした。
自身は独身だったものの、妹夫婦のことは思いやり、2人の結婚生活を祝福していたことがうかがえますね。
米原万里の死因はがん
米原さんは2006年5月25日、鎌倉市の自宅にて、56歳の若さで亡くなりました。
亡くなった当時も「サンデー毎日」や「週刊文春」でエッセイを連載中でした。
死因は卵巣がんで、2003年から闘病していたことがわかっています。
2003年10月、卵巣嚢腫と診断され、内視鏡で摘出手術を行いました。
しかし嚢腫と考えられていた腫瘍は、卵巣がんだったのです。
2006年2月頃には抗がん剤治療を受けました。
しかしその後は嘔吐と吐き気などの後遺症に3週間以上苦しみます。
同年の4月末には鎌倉市の自宅で療養生活に入りました。
原稿依頼もほとんど断り、寝たきり生活を送った末、1か月後に亡くなったのです。
生前はかなり活動的だった彼女にとって、身動きの取れない状況は想像を絶するほど苦しいものだったことでしょう。
近藤誠医師との闘病生活
没後の2006年10月に刊行された著書『打ちのめされるようなすごい本』には、彼女の闘病生活がつぶさにつづられています。
#読了 【打ちのめされるようなすごい本】
ブロードキャスターで歯に衣着せぬ発言が印象的だった米原万里さん。その知識とユーモアたっぷりの文章は結婚式の名スピーチのような不思議な魅力がある。これは晩年の書評集で次の一冊を探すには最高の内容だと思う。当時闘病中だったと全く知らなかった。 pic.twitter.com/4cIWcvxKsu
— カフェス (@namake_mononoke) June 22, 2020
ときには医師との軋轢が生じ、手術を提案されても拒否して、各種療法での治療を望んだそうです。
「文藝春秋」の編集者・藤田淑子さんの紹介で、近藤誠医師が治療を担当しました。
近藤医師は『患者よ、がんと闘うな』や『医師に殺されない47の心得』などの著作で知られています。
米原さんは彼の著作に影響を受け、手術や抗がん剤に頼らない治療法によって、最後まで命を燃やし続ける道を選びました。
近藤医師も彼女の意思を尊重したといわれています。
抗がん剤治療を受けた場合、後遺症によって壮絶な苦しみを経験することは必至でした。
米原さんはより自然な治療法を求め、温熱療法をはじめ各種療法での治療を選択。
しかしがんは勢いを増すばかりでした。
結局療法では効果がなく、最終的に彼女は抗がん剤治療を受け、後遺症に苦しんだ末に亡くなったのです。
「もっと早く抗がん剤治療を受けていれば助かったかもしれない」という意見もあるでしょう。
作家の森奈津子さんは、米原さんが信じていた近藤医師の代替治療では効果がなく、結果的に彼から見放されたことに言及。
代替医療は詐欺であり、手術や抗がん剤治療など一般的な治療法を選択する重要性を訴えました。
以前にもご紹介しましたが、米原万里さんががんの標準治療を拒絶し、代替療法を次々ためし、近藤誠医師にも頼り、しかしがんは転移し、近藤医師に冷たい態度をとられた様は、書評集『打ちのめされるようなすごい本』に綴られています。米原万里さん、生前から、私、大好きだったんですよ……。
— 森奈津子 (@MORI_Natsuko) January 18, 2017
米原さんが選んだ治療法には賛否両論があります。
彼女の人生は、「最期まで人間らしくありたい」という強い思いを貫いた、見事な生涯だったかもしれません。
ただし自分ががん当事者になったとき、本当に適切な治療法を見極めることの重要性を考えさせられる事例といえますね。
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