大村智の妻と兄弟、家族について。温泉オーナーの経歴。海外の反応は?

抗寄生虫薬「イベルメクチン」の研究を行い、アフリカや中南米における感染症の撲滅に貢献した大村智(おおむら さとし)さん。

有機化合物の研究により多くの命を救い、2015年にはノーベル生理学・医学賞に輝きました。

偉業を成し遂げた大村さんですが、今回は彼の知られざる家族と経歴に迫りましょう。

妻と兄弟に焦点を当てて家族情報を見ていき、温泉オーナーとしての一面を確認。

経歴をまとめたうえで、ノーベル賞受賞に対する海外の反応もご紹介します。

大村智のプロフィール

本名:大村智

生年月日:1935年7月12日

身長:不明

出身地:山梨県韮崎市

最終学歴:東京理科大学大学院理学研究科修士課程

大村智の妻は2000年に死去

大村さんの妻は、文子さんという女性でした。

2人はお見合いの末、1963年に結婚しています。


お見合い当時、大村さんは都立高校で教員をしながら、東京理科大学大学院で水素結合の研究をしていました。

研究に明け暮れていた彼との結婚に、文子さんの両親は大反対します。

彼女の生まれた秋山家は、デパートを経営する裕福な家庭でした。

両親としては、お嬢様育ちの文子さんが、お金のない研究者と結婚すれば苦労すると考えたのでしょう。

しかし彼女は決して諦めませんでした。

「彼は将来、必ず偉くなる」と言い張り、ついに両親の説得に成功。

晴れて結婚したものの、やはり夫婦は苦労することになります。

文子さんは夫の研究費用が足りないため、毎月のように実家へ無心に行く羽目になりました。

しかし彼女は非常に明るい性格だったようで、そろばん塾の講師をしながら、前向きに夫を支え続けます。

大村さんが36歳でアメリカに留学した際は、どうしても和食を食べたがる彼のために、毎日お弁当を届けました。


「夫は必ずノーベル賞を取る人」と信じ、懸命に彼を支え続けたのです。

しかし文子さんは乳がんを患い、やがて腫瘍が全身に転移。

2000年、夫が米国化学会の授賞式に出る際、文子さんは医者の制止を振り切って渡米。

夫の晴れ舞台を見届けたのち、帰国直後に入院し、2か月後に亡くなりました。

夫婦には、「いつか2人でスウェーデンへ行き、ノーベル賞授賞式に出席する」という夢がありました。

2015年、悲願のノーベル賞に輝いた大村さん。

受賞会見時、妻に受賞を伝えられないことについて、「残念だね」と口にしました。

しかしその後大村さんは、文子さんの写真を手に、ノーベル賞授賞式へ出席を果たすのです。

「2人で」ノーベル賞授賞式に出席するという夢を、夫婦はついに叶えたのでした。

大村さんは長年支え続けてくれた妻に対して、心の中で感謝を伝えながら、授賞式に臨んだのでしょう。

大村智の兄弟、家族まとめ

大村さんは、山梨県北巨摩郡神山村(現在の韮崎市)の農家に生まれた、5人兄妹の長男です。

三男にあたる弟・大村泰三さんも優秀な人物で、元三菱マテリアル取締役でした。

その後は学校法人開智学園の理事・客員教授を務めました。

開智学園は兄の大村さんが名付け親のため、兄弟そろって教育界で活躍してきたことがうかがえますね。

ちなみに泰三さんの甥は、毎日放送アナウンサーの山中真さんです。

多分野で活躍する、優秀な人材が多い家系のようですね。

大村兄弟の両親もまた教育熱心で優秀な人々でした。

父は農業に従事しながら、地元にいち早く簡易水道を引き、地域に貢献。

さらに小中学校のPTA会長を務め、地元の世話役のような地位で活躍したそうです。

母は女子師範学校を卒業後、教師として国民学校で勤務。

太平洋戦争時に夫が召集されると、教師を辞めて家業の農業と養蚕業に従事します。

研究熱心だったため、養蚕の記録をこまめにつけて、大村家を山梨でもトップクラスの繭生産農家に押し上げました。

教え上手だったため、養蚕学校の講師を務めた時期もあるそうです。

大村さんの家族は、いずれも教育面に秀でた人材だったことがわかりましたね。

大村智は温泉のオーナー

意外な一面かもしれませんが、大村さんは研究者だけでなく、日帰り温泉のオーナーとしても活動してきました。

温泉を始めたきっかけは、薬の特許で獲得したお金で、故郷に恩返ししようと考えたことだそうです。

こうして2005年、故郷の山梨県韮崎市に、「武田乃郷 白山温泉(たけだのさと はくさんおんせん)」をオープン。

かけ流しで、ほのかにウグイス色をした美しい温泉は、訪れる人の心身を癒してきました。

美術収集が趣味の大村さんがオーナーというだけあり、館内には数々の美術品が飾られているといいます。

筆者は学生時代から大村さんのファンだったため、ぜひ一度温泉に行きたいと考えていました。

彼のコレクションを集めて開館した「韮崎大村美術館」も、憧れのスポットです。

しかし周辺にある飲食店は、「そば処 上小路」のみ。

気軽に休憩できるカフェがない分、やや不便な土地に思えたため、結局一度も足を運んでいません。

ただし新型コロナウイルス流行で移動できなくなった際、真っ先に「白山温泉へ行っておけばよかった」と考えたのも事実。

美術鑑賞ののち、温泉で癒され、おそばを食べるだけでも十分に贅沢な時間になるはずと気づいたのでした。

状況が落ち着いたときには、ぜひ足を運び、ゆったりと時間を過ごしたいものです。

大村智の経歴まとめ

大村さんは山梨大学学芸学部(現在の教育学部)自然科学科を卒業後、夜間高校の教師となりました。


学業に励む生徒たちに刺激を受け、自身も勉強を再開。

夜に教員を続けながら、東京理科大学大学院理学研究科を修了。

その後は山梨大学の助手となるため地元に帰ります。

山梨大学を退官後、北里研究所へ技師補として赴任し、抗生物質「ロイコマイシン」の構造を解明。

その後は、抗生物質「イベルメクチン」の解析をはじめ、先進的な研究に邁進しました。

480種超の新規化合物を発見したのち、新規化合物の創製にも成功し、感染症の予防や撲滅に使える薬を開発するのです。

とくにイベルメクチンは、オンコセルカ症やフィラリア症などの感染症に効果を発揮。

発展途上国の約2億人の人々に投与され、多くの命を救いました。

大村智の功績に対する海外の反応

イベルメクチンは元々、大村さんが研究費確保のため、製薬会社を回るうちに生まれた薬です。

1974年、静岡県のゴルフ場付近で見つけた「アベルメクチン」を使用し、化合物として生み出しました。

当初は家畜用の寄生虫薬でしたが、その後は多くの人命を救い、売上高は世界トップクラスの薬となります。

北里大学白金キャンパスには、アフリカの少年が盲目の人を杖で導く銅像があります。

西アフリカ共和国ブルキナファソの彫刻家が、大村さんのイベルメクチン発見の功績を讃えて作りました。

感染症撲滅の象徴として、同じ銅像が世界保健機関本部や世界銀行本部の前にも建てられているそうです。

イベルメクチンが新型コロナウイルス予防に効果的かどうか、世界中で議論されています。


大村さんの偉業は常に世界から注目され、結果的には高く評価されてきました。

イベルメクチンがコロナウイルスの予防につながるかは不明ですが、世界にとって良い結果がもたらされることを願ってやみません。

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