細胞内のたんぱく質を分解する「オートファジー」の仕組みを解明した大隅良典(おおすみ よしのり)さん。
功績が認められ、2016年のノーベル生理学・医学賞を受賞しました。
今回は大隅さんをノーベル賞へ導いた、オートファジーと断食の関係に迫ります。
また息子、妻、父も立派な人材であるという情報を確認し、家族情報をまとめます。
大隅良典のプロフィール
本名:大隅良典
生年月日:1945年2月9日
身長:不明
出身地:福岡県福岡市
最終学歴:東京大学大学院理学系研究科相関理化学専攻
大隅良典が解明。オートファジーと断食の関係
オートファジーとは、細胞が自らのたんぱく質を分解し、再利用する仕組みです。
今週の日曜日の朝はFOREVER23ラン。
オートファジー「自食作用」とは何か?ガンやアルツハイマー予防とどう関係があるのだろうか?ノーベル生理学・医学賞受賞者、大隅良典博士の難しい研究結果をどう僕たちに生活にあてはめることができるのかを紹介。#ライブラン5/17(日)8AM pic.twitter.com/2SeDHzkktW
— LiveRun (@LiveRunApp) May 13, 2020
自食作用とも呼ばれ、飢餓状態になったとき、とくに活発化します。
大隅さんが解明した仕組みによると、オートファジーは最後に食事してから12時間以上経つと徐々に活性化。
さらに16時間経てば、より活発化して、細胞内の浄化作用や病原菌を排除する働きが生じるそうです。
イスラムにおける「ラマダン」は、早朝から日没までの間に行う断食。
ちょうどオートファジーの活性化に効果がある時間帯とされています。
つまり適度な断食をすると、オートファジーの浄化作用が体内で働くのです。
ラマダンのような16時間程度のプチ断食を行うことで、病気のリスクが低くなる可能性もあるといいます。
医学的な仮説は常に変化するため、断定はできないものの、確かに食事をしない状態の方が作業や仕事もはかどりますね。
オートファジーは、細胞が飢餓状態になっても生き残れるように、活発化する仕組みです。
あえて身体を飢餓状態に追い込み、浄化作用を生じさせることが、健康の秘訣なのかもしれません。
16時間食事を我慢して健康的になれるなら、プチ断食に挑戦してみる価値はありそうですね。
息子は小児科病院院長の噂
大隅さんには息子が2人いることがわかっています。
ネット上には、息子が小児科病院の院長という噂が流れていました。
しかし調べたところ、息子たちに関する詳細な情報はなく、小児科病院の院長という情報はあくまで噂だったようです。
ただ日本を代表する生物学者である大隅さんの息子たちであれば、きっと幼少期から成績優秀だったはず。
病院の院長ではないにせよ、おそらく理系分野に強い人材として活躍しているのでしょう。
大隅良典の妻も東大出身の研究者
大隅さんの妻は大隅萬里子さんです。
ノーベル賞授賞式から帰国した東工大の大隅良典栄誉教授(左)。羽田空港でメダルを手に、萬里子夫人と笑顔を見せてくれました。為広剛撮影https://t.co/z06pzgzAtS pic.twitter.com/Rf1mdUHrS1
— 日経 写真映像 (@nikkeiphoto) December 14, 2016
彼女もかなり優秀な女性で、東京大学大学院で大隅さんと同じ研究室に所属していました。
2人は交際を始め、1971年に結婚します。
大隅さんは26歳、萬里子さんは24歳で、大学院生同士の結婚でした。
翌年には長男が誕生。
萬里子さんは出産後すぐに働きながら、夫をサポートし続けました。
1988年に大隅さんが世界初となるオートファジーの機能観察を成し遂げた時期には、彼女は実験室にも出入りしていました。
ノーベル賞学者の妻は、多くが陰で夫を支えています。
しかし萬里子さんは、同じ研究者として、研究面でも補佐していたのです。
彼女は帝京科学大学生命環境学部の教授を務めていたため、自身の研究室から夫を援助することもできました。
家庭を省みなかったという大隅さん。
彼がノーベル賞に輝けたのは、萬里子さんが子育てに励みながら、研究でも力添えしたおかげだったのです。
父は鉱山学者。家族には歴史学者の兄も
大隅さんの父もまた、著名な研究者でした。
父は鉱山学者として知られた大隅芳雄さんです。
東京帝国大学工学部鉱山学科を卒業し、1943年に九州大学の教授となりました。
元々は広島県の出身で、1945年8月6日には、故郷の広島に帰っていたそうです。
たまたま宮島にいる親戚宅に泊まっていたため、原爆の直撃は免れました。
翌日は親戚を探して、焦土と化した広島市内を歩き回ったそうです。
大隅さんは、「父は間違いなく二次被爆した」と語りました。
彼の兄・大隅和雄さんも、当時は広島高師附属中学校の「特別科学学級」に在学中でした。
原爆投下時は、クラスが山間に疎開していたため、兄もまた被爆を免れています。
父の芳雄さんは原爆のことを語りたがらなかったといいます。
一方で兄の和雄さんは、戦争を含む日本の歴史と向き合おうとしたようです。
東京大学に進み歴史学者となり、東京女子大学名誉教授にまで上り詰めました。
ヘーゲル翻訳者として知られる長谷川宏先生や、弟君がノーベル賞受賞された日本史家の大隅和雄先生といった大家の先生方と長らく一緒に研究会に参加できたことは、私の編集者人生の中でも滅多にない経験でした✨その成果をやっと刊行することができ感慨一入😌
今回も装幀は間村俊一さんです。#平凡社 pic.twitter.com/I0TwQtjHjW— ヤスイリエコ (@riekoy2000) March 14, 2019
大隅さんは、自身や家族が被爆を免れた意味を考え続けてきたのかもしれません。
生かされていることに感謝しながら、生命の尊さを学ぶために、細胞学者の道を突き進んできたのでしょう。
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