脇谷亮太の現在はスカウト。引退発表後の最終打席で敬遠。結婚した嫁や子供、年俸は?

脇谷 亮太(わきや りょうた)さんは勝負強い打撃で相手から恐れられました。

引退後は現場を離れてスカウトになり、チームを裏から支えているそうです。

今回は脇谷さんの現在や結婚、現役時代の年俸をチェックして行きましょう。

脇谷亮太のプロフィール

本名:脇谷 亮太 (わきや りょうた)

身長:177cm

血液型:A型

出身地:大分県大分市

生年月日:1981年11月4日

所属球団:読売ジャイアンツ(2006~13 / 2016~18) 西武ライオンズ(2014~15) ※選手歴

現在の脇谷亮太はジャイアンツのスカウトに就任

まずは現役を引退した2023年現在の脇谷亮太さんについて見て行きましょう。


脇谷さんは2018年シーズンをもって現役生活にピリオドを打ちましたが、第二の人生はユニフォームからスーツに着替えてドラフト候補を探す「スカウト」の仕事に就いていました。

現役選手が引退後にスカウトに転身することは珍しいことではなく、自らがグラウンドで養った感覚を生かして隠れた逸材を見つけ出すことも多々あるそうです。

スカウトの仕事は高校や大学、社会人野球を観てドラフト候補を見つけることですが、2020年から始まったコロナウイルスの感染拡大は活動に大きな影を落としました。

緊急事態宣言などによってアマチュア野球は軒並み中止となり、出身地の九州と関東の一部地域を担当する脇谷さんは観戦どころか移動すらままならない状況だったそうです。

在宅ワーク中でもSNSやYoutubeに投稿されている動画を丁寧にチェックしつつ、電話で意中の選手や監督と関係を構築しているのでスカウトの適性は高いと言えるでしょう。

その努力が実を結び、担当した平内龍太さん(亜細亜大学)が2020年のドラフト1位で入団。

もちろん脇谷さん1人の手柄では無いものの、1位選手を担当したことは自信に繋がるでしょう。

コロナウイルスだけでなく若い世代の考え方が大きく変わってきているので活動も一筋縄では行かないでしょうが、持ち前のガッツでこの難局を乗り越えて欲しいですね。

公式戦最終打席で発生したハプニング

次は引退発表後の公式戦最終打席で起こった珍しい勝負を見て行きます。

脇谷亮太さんは2018年9月19日に現役を引退することが報じられ、同月28日の日本ハムファイターズ戦(ファーム公式戦)で選手人生最後の試合に挑みました。

同点で迎えた9回裏1アウト、ランナー2塁の場面に代打で登場して大きな歓声が上がりましたが、日本ハムベンチは対決を避けて「申告敬遠」という作戦に出たのです。

この作戦については両チーム以外のファンからも賛否両論が噴出しており、多くは”最終打席なんだから対戦をするべきだ”という申告敬遠を批判するものでした。

一方で1塁が空いている状況ならば歩かせてダブルプレーを狙うのは当然の作戦ですし、日本ハムベンチも勝負に徹したからこその決断だったと言えるでしょう。

また、これは引退発表後であっても脇谷さんの実力が脅威だったと言える事例かもしれません。

ちなみに、チームメイトの阿部慎之助さんも最後の公式戦(打席)で申告敬遠をされていました。

結婚や嫁、子供について

ここでは脇谷亮太さんの結婚や嫁さんについて見て行きましょう。

脇谷さんが結婚したのはジャイアンツ2年目を迎えた2007年の元旦のことでした。

お相手は母校である柳ヶ浦高校の1年先輩の角渕悦子さんいう女性で、夫となった脇谷さんも取材に対して「僕が選んだんですが、美人というか・・」と照れていたそうです。

ちなみに、角渕の読み方は「つのぶち」や「すみぶち」など複数あって断定できませんでした。

結婚に関してはちょっとした裏話があり、日刊スポーツに記事が出ると決まった時は悦子さんの実家に許可を取っておらず、脇谷さんは急いで電話をして了承を得たそうです。


その点からも、記者のスクープが結婚に踏み切らせたキッカケと言えるかもしれません。

結婚式は入籍から1年後の2007年12月22日に夫婦の地元である大分市で開かれたそうです。

脇谷さん夫婦は2010年8月18日に第一子となる長女、2013年9月14日に第二子となる長男を授かっており、子供たちは父親の引退セレモニーに登場してイベントに花を添えました。

名前については公表していませんでしたが、着用しているユニフォームに「MOMOKA」と「HIRO」とあるので、そのまま本名もしくは本名の一部と考えるのが自然でしょう。

まだまだ子供が小さいので、良き夫や父親として今まで以上に頑張って欲しいですね。

脇谷亮太の通算年俸は3億円以上?

最後に脇谷亮太さんの稼ぎである年俸についてリサーチして行きます。

脇谷さんはジャイアンツや西武ライオンズで通算12年の現役生活を送っており、最高年俸は132試合に出場して打率(.273)や28盗塁を記録した2010年オフに結んだ4,400万円でした。

プロ野球における通算年俸は約3億円にもなり、さらに2005年のドラフト会議で5位指名を受けた際の契約金7,000万円を合わせると稼ぎは約3億7,000万円ということになります。

タイトルを獲ったりチームの主力になることはありませんでしたが、平均すると2,500万円の年俸を貰っていたことになるので球団から評価されていたのは間違いないでしょう。

現役を引退後は球団職員のスカウトに転身しているので年収は大きく減ったでしょうが、それでも数百万円の年収が保証されているので幸せな第二の人生と言えるかもしれません。

ちなみに、掲載した年俸は推定の金額なので参考程度に受け止めて下さい。


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