吉田松陰の死因は処刑。老中の暗殺計画。最後の言葉、家紋と墓について

松下村塾の代表者として、幕末の志士たちを育て上げた吉田松陰(よしだ しょういん)。

わずか28歳で亡くなっていますが、今回は最期の詳細を確認してみましょう。

死因、老中暗殺計画の詳細、最後の言葉を順番に見ていきます。

併せて家紋と墓の詳細も確認しましょう。

吉田松陰のプロフィール

幼名:寅之助、通称:寅次郎

生年月日:1830年9月20日(文政13年8月4日)

死没:1859年11月21日(安政6年10月27日)

身長:不明

出身地:長州萩城下松本村(現在の山口県萩市)

最終学歴:松下村塾

吉田松陰の死因

まず松陰の死因を確認します。

松陰は1859年11月21日(安政6年10月27日)、老中暗殺計画に関与したとして死罪を言い渡され、即日処刑されました。

処刑が行われたのは、現在の東京・小伝馬町駅にあった、「江戸伝馬処刑場」。


今では跡地であることを示す石碑が建っています。

世にいう「安政の大獄」に連座したとして、松陰を含む多くの人々が斬首された場所です。

大老・井伊直弼が日米修好通商条約を締結したものの、孝明天皇は外国との交流に反対しました。

そこで井伊大老は、天皇の許しを得ずに条約締結を強行したのです。

松陰ら尊王攘夷派は憤り、倒幕運動を推進。

結果的に多くの攘夷派の人々が斬首されました。

松陰は処刑当日、髪と髭が伸び放題でしたが、眼光は異様に鋭く光っていたといいます。

死刑を言い渡されると、一礼してくぐり戸から出て行きました。

直後に死刑執行人を務めた山田浅右衛門によると、「松陰は悠々としていて、首を刎ねられるまで落ち着いていた」といいます。

役人たちに「ご苦労様」と声をかけ、悠然と刑に服したため、役人たちも大いに驚嘆したそうです。

わずか29歳でしたしたが、いかにも偉人らしい貫禄を備えた人物だったことがうかがえますね。

吉田松陰による老中暗殺計画

松陰が処刑された理由は、老中首座・間部詮勝(まなべ あきかつ)の暗殺を計画したためです。

松陰は幕府から危険視されていた尊王攘夷思想の持ち主で、倒幕を唱える活動家でした。

幕府は彼を取り締まっていましたが、元々は処刑するつもりはなかったといいます。

松陰は安政の大獄とは無関係として、簡単な取り調べだけで解放される予定だったのです。

しかし彼は自ら、間部老中の暗殺計画を告白し、死罪となったのです。

おそらく松陰は、自分が処刑されることで、幕府の残酷さを世に知らしめようとしたのでしょう。

実際に安政の大獄後、尊王攘夷運動は活発化し、松陰の志を継いだ高杉晋作ら倒幕の志士たちが活躍し始めるのです。

吉田松陰、最後の言葉

最期の瞬間まで堂々たる貫録を見せた松陰。

多くの弟子を育て、理想的な指導者として君臨した彼にふさわしい死に様といえますね。

彼の辞世の句とされる言葉が伝わっています。

「吾れ今、国のために死す。死して君親に背かず。悠々たり天地の事。鑑照は明神にあり」

「私は今、国のために死ぬが、藩主と父母に逆らうことはない。神は私の行いの正しさをご覧になっている」という意味です。

最期の瞬間まで誇りを失わず、自身の正しさを強調することで、後に続く人々の模範であろうとしたのでしょう。

吉田家の家紋が独特

松陰の吉田家は、長州藩の山鹿流軍学師範の家系でした。

家紋は「五瓜に左卍(ごいにひだりまんじ)」という独特なデザインです。

「木瓜紋(もっこうもん)」と「卍紋(まんじもん)」の名家同士が婚姻し、両家のいずれの紋も複合させたといわれています。

吉田家の家紋を見て、「攻撃的」な印象を抱いた人もいるようです。

おそらくナチスのシンボル「ハーケンクロイツ(鉤十字)」を連想してしまうためでしょう。

両者に一切つながりはありませんが、過激な思想のイメージも含め、つい結びつけてしまうのは仕方ないかもしれません。

吉田松陰の墓は複数の場所に


松陰の墓は複数の場所にあります。

墓所の1つは東京都荒川区の「小塚原回向院」。

彼以外にも安政の大獄の犠牲者や、「桜田門外の変」で井伊大老を暗殺した十五浪士も眠っています。

松陰の弟子たちが努力した結果、遺体を回向院に葬ることができたそうです。

その後、門弟たちが今の東京都世田谷区にある「松陰神社」に改葬。

回向院には墓石だけが残りました。

死後も弟子たちによって手厚く葬られた松陰。

今なお彼の熱い志と見事な生涯は、多くの人々を魅了し続けているのです。


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コメント

  1. 莉犬くんが吉田松陰のことを言ってたので調べてたら、すごい細かく書いてあってわかりやすかったです。ありがとうございます。