尊王攘夷派の指導者として活躍し、安政の大獄で処刑された吉田松陰(よしだ しょういん)。
彼のドラマチックな生涯に魅了される人々は多いでしょう。
今回は偉大な松陰のDNAを継ぐ子孫がいるのか見ていきます。
また妻、子供について家系図でチェックしつつ、生家の現在も確認します。
吉田松陰のプロフィール
幼名:寅之助、通称:寅次郎
生年月日:1830年9月20日(文政13年8月4日)
死没:1859年11月21日(安政6年10月27日)
身長:不明
出身地:長州萩城下松本村(現在の山口県萩市)
最終学歴:松下村塾
吉田松陰の子孫
まず松陰の子孫について確認しましょう。
松陰は生涯独身を貫いたため、直系の子孫はいませんでした。
また松陰の妹・杉文は、長州藩士の久坂玄瑞に嫁いだことで知られています。
— 吉田松陰 名言 (@yosisi76) May 23, 2021
彼女は2015年の大河ドラマ『花燃ゆ』のヒロインとして描かれ、井上真央さんが演じましたね。
【今日の墓碑銘】
1921年9月7日。楫取美和子が死去。吉田松陰の妹。旧姓名は杉文。初め松陰門下の久坂玄瑞に嫁ぐ。玄瑞が禁門の変で自害した後は毛利元徳の長男・興丸の守役を務めた。後に実姉の元夫であり群馬県令を務めていた楫取素彦と再婚する。2015年大河ドラマの主人公
(78歳・病死) #生寄死帰 pic.twitter.com/JmsxvM7cqT— 義視🧑🏻🦲 (@kamo1868) September 6, 2018
彼女もまた子供ができなかったため、直系の子孫はいません。
ただし松陰の兄・杉民治の家系が今でも続いていることがわかりました。
民治の嫡孫・杉道助は、慶應義塾を卒業して、「大阪商工会議所」の初代理事長を務めました。
また鳩山一郎内閣では、日ソ交渉の全権顧問を務めており、政治外交でも重要な役割を果たします。
1964年に80歳で亡くなると、山口県萩市にある杉家の墓地に埋葬されました。
彼は生涯、祖先の松陰を尊敬し続けたそうです。
偉大な祖先のDNAを継いだ人物にふさわしく、華々しい生涯を送ったといえますね。
妻、子供おらず断絶の家系図
松陰は先述の通り、生涯独身を貫いており、妻と子供はいませんでした。
「終生不犯」、つまり生涯童貞と称されており、妻帯せずに尊王攘夷運動へ人生を捧げたことがうかがえますね。
さらに松陰は指導者としても優れていたため、高杉晋作や桂小五郎、伊藤博文ら多くの人材を育て上げました。
政治活動と人材育成で見事な手腕を発揮した、カリスマ的リーダーだったのです。
子供がいなかった彼にとって、育成した弟子たちこそ、かわいい子供のような存在だったのかもしれません。
自身の志を叶えるために、全生涯を捧げた松陰。
29歳で安政の大獄によって処刑された彼は、まさに怒涛の生涯を送ったといえます。
もう少し長生きして、倒幕の念願が叶っていれば、時代が落ち着いた頃に結婚していたかもしれませんね。
偉大な松陰の血を継ぐ、吉田家直系の子孫が残っていないのは非常に残念です。
吉田家は、松陰が22歳のときに脱藩事件を起こしたため、家名断絶に処されてしまいます。
しかし家系図を確認すると、松陰の没後に甥の小太郎が、吉田家再興を赦されていることがわかりました。
吉田小太郎は現代まで子孫を残してきた杉民治の血筋で、本来であれば長命だったかもしれません。
しかし彼は明治維新後、萩の乱で戦死してしまいました。
甥の吉田彦能が家督を継いだものの、彼も若くしてブラジルで客死。
結果的に吉田家は断絶してしまいました。
松陰の名前こそ歴史に刻まれましたが、断絶してしまった家系図を見ていると、やや寂しい気持ちになるかもしれませんね。
吉田松陰の生家の現在
松陰は1830年(天保元年)、萩藩士・杉百合之助の次男として、現在の山口県萩市に生まれました。
生誕の地は「団子岩」という高台にあります。
萩市吉田松陰生誕地 pic.twitter.com/lW2E1f3sFY
— スナフキン (@zOqDPWZA7WWinOR) November 22, 2020
生家は現存していませんが、間取りを表す敷石が、英雄が産声を上げた場所の空気を伝えています。
杉家は毛利家に仕えた武家で、松陰の曽祖父・文左衛門の頃から萩城下に暮らしていました。
文化・文政の大火後は、祖父・七兵衛が東郊松本村へ転居。
1825年(文政8年)、萩城下江向にあった俳人・八谷聴雨の別荘を、父・百合之助が購入したそうです。
松陰は吉田家に養子入りしますが、以降も19歳頃まで両親と共にこの地で暮らしました。
愛着のある土地だったことがうかがえますね。
設置されている石碑は、松下村塾の元塾生で、のちに総理大臣となった山縣有朋による揮毫です。
写真は今年3月に訪ねた山口県萩市の吉田松陰生誕の地の碑および、没後百箇日に遺髪を埋葬した墓所です。 pic.twitter.com/6UbDop20X8
— 竹中編集企画室(ホモ エーデンス) (@Takeridon) October 26, 2016
幕末の志士たちの息吹を感じられる風光明媚な土地のため、一度は訪ねてみたいスポットですね。
カリスマ的指導者として、今なお多くの人を魅了し続ける松陰。
混迷の時代だからこそ、彼のように卓越した指導力を持つリーダーを、人々は求めているのでしょう。
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