どこか可愛らしさがある風貌と独特の台詞回しで強い存在感を残した個性派俳優の常田富士男(ときたふじお)さん。
父と同じ俳優の道に進んだ息子の倉崎青児さんは、いつのまにか姿をほとんど見かけなくなってしまいました。
倉崎青児さんの近況を追うとともに、語り手として市原悦子さんとコンビを組んだ『まんが日本昔ばなし』や、謎多きポムじいさんを演じた『天空の城ラピュタ』、ビートルズをネタにしてリリースした迷曲について取り上げます。
常田富士男のプロフィール
本名:常田富士男
生年月日:1937年1月30日
死没:2018年7月18日
血液型:AB型
出身地:長野県 木島平村
最終学歴:熊本県立済々黌高等学校定時制
常田富士男の息子は元俳優の倉崎青児
2018年7月18日、脳内出血のため81歳でこの世を去った常田富士男さん。
私生活では双子の子供、息子、孫、やさしい妻がいることが市原悦子さんの追悼コメントから明らかになっています。
親族で営まれた葬儀の喪主を務めたのは長男の青児さんでした。
倉崎青児さんは1960年2月17日生まれ。
父親が33歳の時に誕生した子供です。
「常田富士男」は本名ですから、「倉崎」という名字はおそらく芸名と思われます。
映像作品に出演しはじめたのは80年代からで、代表作にドラマ『なっちゃんの写真館』『青が散る』、映画では『楢山節考』『きけ、わだつみの声』などがあります。
ところが近年は新作が途絶えているようで、確認できた最後の作品は2008年公開の映画『実録・連合赤軍 あさま山荘への道程(みち)』でした。
もちろん俳優の仕事はテレビドラマや映画だけではありませんから、映像作品から離れただけで劇団で活躍しているとも考えられます。
ですが、ウィキペディアには「元俳優」と記載されていることもあり、2023年現在は俳優活動をしていない可能性が高そうです。
ネット上には会社員になったという噂も流れていますが、出どころが不明なうえに根拠もなし。
倉崎青児さんの近況はつかめませんでした。
市原悦子との名コンビで親しまれた『まんが日本昔ばなし』
1975年1月7日放送の第1回「こぶとり爺さん」「笠地蔵」で幕を開け、約20年にわたってお茶の間に親しまれた『まんが日本昔ばなし』。
ナレーションをはじめ、登場人物の何役もの声は、すべて常田富士男さんと市原悦子さんの二人でこなしていました。
市原さんの声は明るく、時に可愛らしいハイトーンボイス。
常田さんの声は温かく、どこかとぼけた感じもあるおじさんの声。
「むかぁし、むかしのことじゃったぁ」という味わい深い語りは今でも耳に残ります。
「あんころ餅が食いてえ~!」という名台詞は「あんころもちこぞう」で登場。
まさに名人芸であり、テレビ史に刻まれる名作でしょう。
市原悦子さん「相棒」常田さんと天国でも再会約束 #市原悦子 #常田富士男 #まんが日本昔ばなしhttps://t.co/bWgtNhezZi
— 日刊スポーツ (@nikkansports) January 13, 2019
『まんが日本昔ばなし』の語り口がゆっくりとしたテンポだったのは大きな理由がありました。
それは、めまぐるしく移り変わる社会のスピードから、ちょっぴり外れた人たちに焦点を合わせたいという信念があったから。
小さい子供が対象だからではなかったのですね。
常田さんの訃報を受けて、「まさに昔話の中から抜け出てきたような人だった」と語った市原悦子さん。
収録前に常田さんとプロデューサー、演出家で談笑するのが楽しみで、常田さんは現代社会の理不尽な出来事を嘆くことが多かったそうです。
#まんが日本昔ばなし は#市原悦子 #常田富士男 の二人だけで何役も演じていましたね。
作品の絵の作風も一作品ずつバラバラで・・🎵ぼうやぁ良い子だねんねしな~ pic.twitter.com/Gv3Nagdzvv— ミコ ン (@kig_Mikon) April 12, 2017
それだけに、現実社会の理不尽さを昔話に昇華しようとしていたのかもしれません。
現代とは価値観が異なる昔話の世界ですから、そういう価値観を共有した大切な相棒でもあったのでしょう。
『天空の城ラピュタ』では謎多きポムじいさん
常田富士男さんが声優として活躍した作品といえば、宮崎駿監督の『天空の城ラピュタ』も外せませんね。
同作で演じたのは、パズーとシータが廃坑の底で出会う謎多きポムじいさん。
世捨て人のような人なのに鉱物に詳しく、ラピュタの伝説を知っていて、飛行石の力について二人に警告する役どころです。
常田富士男さん。どうぞ安らかにお眠りください。#常田富士男#RIP pic.twitter.com/OwRgmgIKIM
— エメットXL.ブラウン🚂 (@EmmettBrown1955) July 19, 2018
登場場面こそ少ないものの、味わい深い語りは『まんが日本昔ばなし』と同じくインパクト抜群。
神秘的な光景もあいまって、ポムじいさんのシーンが印象深かったという声も多いですね。
わずかな登場シーンにもかかわらず、ポムじいさんの謎については考察的なツイートも散見されることから、多くの人を魅了していることがうかがえます。
歌手・常田富士男の『私のビートルズ』
常田富士男さんは俳優、声優、ナレーターとしての認知度が高いため、歌手活動をしていたことはあまり知られていないかもしれません。
1970年には、のちにカルト的な人気を獲得することになるシングル『私のビートルズ』をリリースしています。
タイトルが示す通り、ビートルズをネタにしてリリースした迷曲です。
出だしから登場する「ハッシッシ」とは大麻樹脂のこと。
ビートルズと大麻とインドの関係を意識した歌詞でしょうか。
あとに続く歌詞もジョンとポールが愛し合っていたり、ヨーコが空を飛んでいたりと、なかなかシュールな世界観。
作詞者を調べたところ、なんと美空ひばりさんの『真赤な太陽』、石川さゆりさんの『天城越え』、都はるみさんの『大阪しぐれ』などを手がけた紫綬褒章受章者、吉岡治(旧名義は吉岡オサム)さんでした。
『私のビートルズ』は、吉岡さんの作品群では確実に異彩を放っていますね。
というよりも、『まんが日本昔ばなし』の常田さんとあまりにかけ離れた破天荒なイメージに驚愕です。
時を経ても人々の心をとらえて離さない迷曲や珍曲はあるもので、2001年には大槻ケンヂさんがロックバンド・電車のアルバム『電車トーマソ』でカバーしています。
常田富士男さんの訃報を受けて、ツイッターでは「常田富士男」「まんが日本昔ばなし」がトレンド入りし、死を悼む声や温かな語り口に思いをはせる声が多く寄せられました。
耳慣れた懐かしい声を思い起こした人は多かったのではないでしょうか。
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