古尾谷雅人の複雑な生い立ち。死因と葬儀、遺書について。堂本剛との共演

ほとんどバラエティ番組に出ないことで知られ、長身とクールな演技で主役・脇役ともに存在感を示した古尾谷雅人(ふるおやまさと)さん。

田中邦衛さんの追悼番組として再放送された『北の国から ’87初恋』を見て、古尾谷さん演じる無骨なトラック運転手の名シーンが再び記憶に刻まれた方は多かったようです。

今回は複雑な生い立ちをはじめ、死因や葬儀、遺書についてみていきます。

通夜には『金田一少年の事件簿』で共演した堂本剛さんも参列したようですね。

古尾谷雅人のプロフィール

本名:古尾谷康雅

生年月日:1957年5月14日

死没:2003年3月25日

身長:188cm

出身地:神奈川県川崎市中原区

最終学歴:駒澤大学高等学校

最終所属事務所:正木ルーム

古尾谷雅人、実母と生き別れの生い立ち

188cmの身長に加え、個性的な役柄が多かったせいか、クールで近より難いイメージもあった古尾谷雅人さん。

その素顔はとてもシャイで、生真面目であるがゆえにナーバスになりやすい一面もあったそうです。

生家は神奈川県川崎市の旧家で、大家族。


何不自由なく成長していけるはずでしたが、幼少時に両親が離婚。

母が家を出ていったため、父に引き取られた古尾谷さんは母と別れることに。

さらに不幸は続きます。

父が後妻として迎えた継母との折り合いが悪く、古尾谷さんは父と継母のもとでつらい少年時代を送ることになりました。

幼い頃に実母と生き別れ、父の後妻との不和に苦しむというのは、かなりつらい生い立ちですね。

そのせいか、古尾谷さんにはいわゆるアダルトチルドレン的な気質があったと言う人も。

生育環境が人格形成に及ぼす影響には個人差があると思いますが、もしかしたら少年時代の不遇な体験が古尾谷さんの心に影を落としたのかもしれません。

古尾谷雅人の死因は自死。その原因は?

2003年3月25日、古尾谷雅人さんは自宅の寝室で死んでいるところを妻の鹿沼絵里さんに発見されました。

天井に渡された鉄パイプに空手の黒帯を結びつけ、長身の古尾谷さんの足が床につかないように、膝をくの字に曲げたかっこうで首を吊っていたそうです。

遺書は見つかっていませんが、警察は自殺と断定。

死因は自死ということになります。

突然の訃報に芸能界には衝撃が走り、当初はだれもが首をかしげた演技派俳優の自殺。

しかしその後、古尾谷さんの経済的な苦境や心の闇がしだいに明らかになっていきます。

妻・鹿沼さんの話によると、90年代のトレンディドラマブームのさなか、昔気質の役者である古尾谷さんは役柄にこだわって仕事を選り好みするようになったそう。

加えて俳優として大物視され、報酬のランクも上がったことで、起用する側も古尾谷さんを敬遠するように。


結果として収入が激減し、自宅マンションのローンや住民税の支払いも滞るようになりました。

最終的に借金は3億円にまでふくらんでいたそうです。

そんな中、古尾谷さんの父が他界。

自殺の前年のことですが、遺言により遺産の大部分を相続したのは継母でした。

遺産相続をめぐって、古尾谷さんは彼女と係争中だったのです。

台本を1冊丸暗記する完璧主義者で、洗面所では長いこと手を洗うほど潔癖症だった古尾谷雅人さん。

さまざまな不運が重なって、不安定な精神状態になっていたのかもしれません。

古尾谷雅人の葬儀に大勢の映画人

通夜は3月27日に東京都文京区の伝通院繊月会館で営まれました。

参列者は竹中直人さん、大杉漣さん、松岡昌宏さん、堂本剛さん、大森一樹監督ら約600人。

祭壇には、巨人関連のグッズや『あしたのジョー』のビデオ、日本酒や煙草など、故人が愛した品々が並べられました。

1980年の映画『ヒポクラテスたち』で共演して以来、生涯の親友となった斉藤洋介さんは号泣。

10年来のつきあいという竹中直人さんは、「役者の40代は不安定な時期だから、一人でため込んでしまったのかも」と涙をにじませていたそうです。

翌28日の葬儀にも多数の映画人が参列。

長門裕之さんは「俺の老獪(ろうかい)な生き方を教えてやりたかったよ」と、生真面目で一本気な古尾谷さんの死を悼んでいます。

古尾谷雅人、遺書は遺さず命を絶つ

前述のとおり、古尾谷雅人さんは遺書を遺していませんでした。


そのため、自殺の原因については妻である鹿沼絵里さんの言葉から推し量るしかないでしょう。

一周忌法要と納骨式が営まれた2004年3月25日、鹿沼さんは『最期のキス』を出版。

夫が自殺するまでの壮絶な日々をつづった告白本です。

日活RP女優・鹿沼絵里 息子が「古尾谷雅人」を名乗り再出発https://t.co/i4zCUGLXF0
古尾谷は『金田一少年の事件簿』に出演するなど順風満帆のように見えたが2003年に自殺。鹿沼は朝から介護の仕事を行ない、夜はスナックを切り盛り。働き詰めの生活を送るようになる。#鹿沼絵里 #古尾谷雅人 pic.twitter.com/k3B9zDasu7

— NEWSポストセブン (@news_postseven) April 28, 2019

同著によると、晩年の古尾谷さんは家族に暴力を振るうことも多く、鹿沼さんが子供たちを連れて夜中に逃げ出したこともあったとのこと。

その一方で、「現場で死ねたら役者の花道」「おれが死んだら泣く?」などと、死を連想させる言葉を口走るようになっていたそうです。

「古尾谷雅人という役者がいたことを忘れてほしくない」との思いから、末尾に墓所の住所を記した鹿沼さん。

お墓は埼玉県川口市の乗性寺にあります。

愛する妻と子供たちを残して自ら命を絶ってしまった古尾谷雅人さん。

第三者には理解できない心の闇を抱えていたことは想像に難くありません。

『金田一少年の事件簿』で堂本剛とタッグ

人気シリーズ『金田一少年の事件簿』は古尾谷雅人さんのドラマの代表作のひとつでしょう。

同ドラマはメインキャストが異なる初代から四代目まで製作されていますが、古尾谷さんが演じたのは初代の剣持勇警部。

タッグを組んだ初代の金田一 一少年役は堂本剛さんでした。


とりわけ初代の『金田一少年の事件簿』は高視聴率をマークして、1997年には劇場版『金田一少年の事件簿 上海魚人伝説』が公開。

演出を担当した堤幸彦さんの出世作にもなりました。

映画『ヒポクラテスたち』で共演して以来、深い親交を結んだ内藤剛志さんが二代目剣持警部を演じたのは奇遇ですね。

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