日本映画全盛期に東映ニューフェイスとして芸能界入りし、ビッグスターと数多く共演した花園ひろみ(はなぞのひろみ)さん。
芸能界から姿を消して久しいですが、2023年の今もお元気なのでしょうか。
結婚・離婚・再婚・再離婚をした夫・山城新伍さんとの馴れ初めと絶縁、娘の南夕花さんについてみていきます。
あわせて経歴もまとめました。
花園ひろみ、2023年の今はメディアと距離をおく
花園ひろみさんは1962年の映画『右門捕物帖』で女優業を引退し、のちに山城新伍さんと結婚しました。
ですが、これを最後に芸能界から完全に退いたわけではなく、以降も何本かの映像作品に出演しています。
確認できたかぎりでは、最新の映画は山城新伍さんの脚本・監督による1994年の『やくざ道入門』。
菅原文太さんが息子の菅原加織さんと父子共演した映画です。
当時、花園ひろみさんと山城新伍さんは二度目の婚姻関係にありました。
2009年8月、東京・町田市の特別養護老人ホームでひっそりと息をひきとった山城新伍さん。
この時、東京・目黒区の花園さんの自宅はインターフォンの応答がなく、窓もカーテンを閉めきったまま。
しかし、花園さんがこの家で暮らしていたことは近隣住民の証言で明らかになっています。
元夫の通夜、葬儀、四十九日法要と納骨式、お別れの会には一切姿をみせませんでした。
その後の消息が気になりますが、2023年の暮らしぶりについては手がかりがない状況です。
もちろん近年の画像もなく、メディアとは完全に距離をおいたまま。
【映画の美男美女画像】(181)
中村錦之助
花園ひろみ『お役者文七捕物暦 蜘蛛の巣屋敷』
1959年
監督:沢島忠#映画美女 #映画美男 #中村錦之助 #花園ひろみ #お役者文七捕物暦 #蜘蛛の巣屋敷 #沢島忠 #映画の美男美女画像 pic.twitter.com/YZVxC32Dvc— 小諸橋マイルス@歌謡曲生活者 (@miles_kom) June 15, 2020
東映時代に松方弘樹さんや梅宮辰夫さんと豪遊するなど、華やかな私生活で知られた山城新伍さんとは違い、あまり社交的な性格ではないのかもしれません。
ですが、静かに暮らしたいという考えがご本人にあるとすれば、山城新伍さんとの絶縁も大きく関係しているでしょう。
夫・山城新伍との愛憎劇
プレイボーイを自認し、派手な女性関係で知られた山城新伍さんとは結婚と離婚を繰り返して話題を呼びました。
二人は東映の同期生で、最初の結婚は1966年。
花園さんに夢中になった山城さんは、ドライブのデート中、湖を眼前に「結婚してくれなきゃ湖に突っ込んで死ぬぞ!」と大芝居まで打ってプロポーズ。
情熱的な思いがうかがえますね。
しかし結婚生活は19年で破綻。
引き金は山城さんの不倫騒動でした。
結婚以来、夫の女癖の悪さには目をつぶってきた花園さんでしたが、1985年、山城さんに広告代理店OLの愛人がいることを写真週刊誌がスクープ。
このスキャンダルが決定打となって夫妻は別居、まもなく離婚が成立します。
その後も「復縁したい」「今でも愛してます」などと元妻にラブコールを送り続けていた山城さん。
和解して復縁したのは、離婚から6年後の1991年のことでした。
しかし、これも長続きせず、 1999年に二度目の離婚。
関係者によると、この時も山城さんの女性問題が原因だったそうです。
山城新伍さんは2005年に糖尿病で入院し、事実上の引退状態に。
2007年の夏ごろからは、徘徊するようすが報じられるようになりました。
山城さんの実弟の鎮雄(しずお)さんによると、2008年、老人ホーム入居の際に花園さんと娘の南夕花に連絡をしたところ、「金輪際関わりたくない」と拒絶されたとのこと。
また、この話を聞いた山城さんも、自身の葬儀に二人を呼ばないように要求したといいます。
2009年8月12日、山城新伍さんは特別養護老人ホームで誤嚥性肺炎により70歳で逝去。
2009年8月12日 山城 新伍(やましろ・しんご)【俳優】
戒名『白慧院彰芸日安居士』
享年70#山城新伍#仁義なき戦い#アイ・アイゲーム#チョメチョメpic.twitter.com/SPOCMA82Mn— 命日bot (@meinichi_bot1) August 11, 2021
ネット上には孤独死という書き込みもありますが、鎮雄さんが臨終を看取っています。
遺骨を京都に持ち帰り、本葬の喪主を務めたのも鎮雄さんです。
花園ひろみ&山城新伍元夫妻の娘は南夕花
山城新伍さんと一度目の結婚生活を送っていた1967年3月2日に誕生したのが娘で元女優の南夕花さんです。
夕花さんは東京女子大学2年の時に、南夕子名義で昼ドラ『夢恋し』の主演に抜擢されているのですが、両親ほどには芸能界で活躍できなかったようです。
父の山城新伍さんとは『新伍のワガママ大百科』などで共演していますが、夕花さんの起用に関しては山城さんの意向があったとみる向きが強いですね。
その中で結果を出せれば、また展開は変わっていたかもしれませんが、父親と断絶すると同時に芸能界からも姿を消してしまいました。
両親の二度目の離婚後の2000年、雑誌のインタビューで「父と呼びたくない」と不信感をあらわにし、父の戸籍から自分の戸籍を抜く分籍まで行った夕花さん。
年頃の娘からすれば、実の父親の女性問題に強い嫌悪感を抱いたとしても不思議ではありません。
芸能界を去ったのは、父と同じ世界に身をおきたくなかったからとも受けとれます。
山城さんは自身の葬儀に二人を呼ばないように要求する一方で、「娘に会いたい」とこぼすこともあったとのこと。
晩年の孤独に自業自得の側面があったのは事実ですが、愛娘から絶縁宣言された父親の心中はいかばかりのものでしょう。
昭和のスターは公然と浮気することもめずらしくありませんでしたが、それが許されなくなった新しい時代に育ったのが夕花さんでした。
親子の断絶は、時代の変化が生んだ不幸という気もします。
花園ひろみの経歴
花園ひろみさんは1957年に第4期東映ニューフェイスに合格して東映へ入社しました。
同期は山城新伍さんのほか、室田日出男さん、佐久間良子さんという顔ぶれです。
東映「霧丸霧がくれ」1961
(松方弘樹と) pic.twitter.com/wProwqzE3B— Hello George (feel free to chat in English) (@ryochikun22) August 31, 2021
デビューは翌1958年、大川橋蔵さん主演の『花笠道中』。
デビュー後の1年間で12本の映画に出演しており、その中には市川右太衛門さん主演の『大江戸七人衆』もありました。
1962年、『右門捕物帖』に出演したのち、引退。
1994年には、清水次郎長5代目をモデルに任侠道を描いた『やくざ道入門』に出演。
メガホンをとったのは夫・山城新伍さんでした。
山城新伍さんの晩年および逝去後のエピソードから、複雑な愛憎劇が明るみになった花園ひろみさん。
高齢ということもあり、体調も心配ですね。
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