アメリカの有名な音楽賞「グラミー賞」の受賞経験があり、世界的なピアニストとして知られる内田光子(うちだ みつこ)さん。
数々のコンサートに出演してきた有名なピアニストですから、かなりの年収を稼いでいるのではないでしょうか。
今回は、内田さんの気になる年収、ピアニストとしてのすごさ、演奏中の顔芸について見ていきましょう。
また後年は天才として扱われながらも、若い頃に苦労した時期があったという情報を確認。
併せて、ピアノの練習内容をまとめていきます。
内田光子のプロフィール
🇯🇵内田光子🎹
圧倒的な個性と空気感😆
This is世界的ピアニスト👍In Vienna, everybody knew how to play Mozart
ウィーンでは、みんなモーツァルトの演奏の仕方を知っていたbut everybody said something else
でもみんな違うことを言っていたpic.twitter.com/XmPbH9mrhZ— 世界の英語/洋書/メディカルライター (@leons_room) March 21, 2022
本名:内田光子
生年月日:1948年12月20日
身長:非公表
出身地:静岡県熱海市
最終学歴:ウィーン音楽院
所属事務所:Kathryn Enticott
内田光子の年収は推定1,000万円以上
世界を舞台に活躍してきた内田さんは、どれくらいの年収を稼いでいるのでしょうか。
ピアニストはコンサートの出演数によって収入が決まる不安定な仕事です。
日本においてコンサートだけで年収500万円以上を稼いでいるピアニストは、ほんの一握りと言われています。
ほとんどのピアニストが、教室で生徒に演奏を教えて生計を立てているそうです。
非常にシビアな世界ですが、トップレベルのピアニストであれば、年収1,000万円以上を稼ぐ人もいます。
1回のコンサートの出演料が100万円以上、なおかつCDの売上も手に入れている人なら、それくらいの年収を稼ぐことも可能です。
内田さんは世界各国のコンサートに出演し、CDも販売しており、知名度も高いピアニスト。
おそらく年収1,000万円以上を稼ぐ、数少ない人材の1人なのではないでしょうか。
内田光子のすごさ、前期ロマン派に対する深い理解
「世界のウチダ」と呼ばれるほど、各国で高く評価されてきた内田さん。
これまで前期ロマン派と呼ばれる、ショパンやシューマンなどの作曲家の作品を、数多く演奏してきました。
レパートリーは決して幅広いわけではないものの、前期ロマン派の作品の演奏では右に出る者はいません。
広く浅くスキルを磨くのではなく、特定の時代の曲に対する理解を深め、強みを確立したのです。
前期ロマン派のほかには、モーツァルトやベートーヴェンなどが該当する古典派の作曲家の作品も得意です。
【Mitsuko Uchida】
日本が誇る世界的ピアニスト #内田光子🎹6年ぶりの新作『ベートーヴェン:ディアベッリ変奏曲』 (4/8発売) から「第24変奏:Fughetta: Andante」先行配信!https://t.co/WoV9avTudI
— UNIVERSAL MUSIC CLASSIC (@UNIVERSAL_CLS) March 18, 2022
武満徹作品に代表される現代曲を演奏することもありますが、基本的には古典派と前期ロマン派の範疇から出ることはありません。
「何でもできます」と豪語するのではなく、自分独自のセンスと得意分野を磨き続け、専門性を高めることは一種の戦略です。
内田さんのすごさは、ある特定分野の演奏スキルを、最高峰レベルにまで磨き上げた点にあったのですね。
内田光子は顔芸ピアニストとして話題
「顔芸」と呼ばれる、大げさな表情をするピアニストは多くいます。
“@pianoaruaru: ラン・ランの動画を見て笑ってしまう。顔芸を真似したいと思う。#ピアノ #あるある”
友人との間で内田光子さんの顔芸の真似が流行っている。会うといつも一緒にやる。こういうの^ ^ pic.twitter.com/SRc6pb9FEE
— バビンチョ楽曲研究☆かえで☆ (@yumijobim1207) May 7, 2014
偉大なピアニストであるアルフレート・ブレンデルさんも、顔芸で知られたピアニストの1人です。
演奏中に恍惚とした表情を浮かべたり、顎の辺りを過剰に揺らしたりと、その顔芸は伝説として語り継がれています。
モーツァルト:ピアノ協奏曲第12番、第17番
アルフレート・ブレンデル(Pf)
チャールズ・マッケラス、スコティッシュ室内管弦楽団ブレンデルが開示するモーツァルトの小宇宙。それに寄りそうオケ。限りなく、しなやかでやさしい。ブレンデル引退間近の。 pic.twitter.com/6dHhYYuoyg
— Classic Darling (@classicfunfun) February 15, 2020
内田さんも演奏中の顔芸が話題となることが多いです。
眉を寄せたり、目を見開いたりと、作品にのめり込んでいる様子がうかがえます。
【内田光子あるある】上に引き寄せられがち pic.twitter.com/AHJWwVbYC8
— オーケストラあるあるbot (@Orch_aru) March 19, 2022
まあ、顔芸と言ったら我らの内田光子先生ですがね。
弾き振り中なんてもう感動ですよ。
死ぬまでに一回は生で聴きたいのよね。 pic.twitter.com/pwFbjPDHc4— 🌕丸山 麿🌕(maro maruyama) (@maro_fashion358) March 4, 2020
観客の中には、演奏以上にその表情を気にしてしまう人もいるかもしれません。
筆者はピアニストの表情に気を取られて、演奏に集中できないことが多々あります。
人それぞれ好みは異なるものの、筆者としては内田さんの顔芸を楽しみながら、演奏にも感動できる心の余裕が欲しいものです。
ピアニストの顔芸には賛否両論があるものの、人柄や個性が出やすく、味わいたい要素の1つでもありますからね。
内田光子は不遇の天才
内田さんは古典派と前期ロマン派を得意とする、唯一無二の世界的ピアニストです。
1970年に世界的な「ショパン国際ピアノコンクール」で2位に輝き、翌年に23歳の若さでロンドンデビューを果たしています。
数々のコンクールで名演奏を披露し、「天才ピアニスト」と呼ばれました。
ピアノと一体化したような彼女の演奏は圧巻で、天才と呼ばれるにふさわしい技術を身に付けています。
しかし1970年代は、才能にふさわしい評価を得られず、不遇の時代を送っていました。
内田光子の若い頃の苦労
内田さんは23歳でロンドンデビューを果たすと同時に、ロンドンで暮らし始めました。
ロンドンをメインに、ヨーロッパの各地で演奏しましたが、レコード会社からのオファーは一切なかったそうです。
特に若い頃から海外で活動していたため、日本では知名度が低く、リサイタルを開くことさえなかなかできませんでした。
なんとかリサイタルの開催にこぎつけたものの、今度は両親が必死になってチケットを売りさばいていました。
ピアノ講師として公開レッスンを行い、どうにか生計を立てていた時期もあります。
ショパン国際ピアノコンクールの2位入賞者でありながら、一般層からの人気を獲得するまで、10年以上かかりました。
転機となったのは1982年のこと。
ロンドンで開催されたモーツァルト「ピアノ・ソナタ連続演奏会」で大絶賛されたのです。
2年後には小澤征爾さんが指揮するベルリン・フィル定期演奏会で演奏。
以降は各国のオーケストラの演奏に参加し、各地で高く評価されて、今ではコンサートに引っ張りだこのスターとなりました。
知名度の低さにもめげず、ピアニストの道を突き進んだ結果、実力にふさわしい名声を手に入れたのですね。
内田光子の練習内容の変化
内田さんが1日に何時間くらいピアノの練習に励んできたのかはわかっていません。
世界的なピアニストですから、多いときは半日以上、ピアノに触れていたのではないでしょうか。
練習内容は、10代の頃はチャイコフスキーやラフマニノフなど、ロシアの大作曲家の難曲をひたすら弾いていたそうです。
しかしこれらは本当に弾きたい曲ではありませんでした。
徐々に自分が弾きたいものを弾きたくなり、これまで弾いてきた曲がつまらなく感じられるようになりました。
少しずつ自分の好きなものだけを弾くようにした結果、古典派と前期ロマン派の、おなじみのレパートリーが完成したのです。
やはりプロもアマも問わず、好きな曲に取り組むのが、長くピアノを続けるコツなのでしょう。
小林愛実は反田恭平と幼なじみ。天才の練習時間と弾き方。先生と出身大学について
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