南 克幸(みなみ かつゆき)さんはプレーヤーとして多くの大会で活躍する一方、会社員としても営業部の課長を務めるなどマルチな才能を披露していました。
引退後は嫁の実家を継いだという展開が大きな話題になっているそうなので、今回は南さんの結婚や弟、加藤海運の社長就任について見ていくことにします。
南克幸のプロフィール
本名:南 克幸 (みなみ かつゆき)
出身地:宮崎県延岡市
生年月日:1970年9月30日
ポジション:ミドルブロッカー
所属チーム(国内):旭化成スパーキッズ / 大分三好ヴァイセアドラー
南克幸の嫁は社長令嬢
まずは南克幸さんの転機となった結婚や嫁について見ていきましょう。
嫁の名前は加藤陽子さんといい、知り合ったのは1999年頃とされています。
出会いの場や紹介者などは明らかになっていませんが、一目惚れをしてしまった南さんがプレーさながらの猛アタックをしたことで交際にこぎつけたそうです。
交際期間は遠距離も含めて約9年間にもなりましたが、ふたりは困難を乗り越えて2008年10月に結婚し、披露宴は大阪府内のホテルで大々的に執り行われました。
ふたりが結婚をした年は南さんが引退をした年と同じということを踏まえると、現役を退くまでは入籍を先延ばしするという考えがあったのかもしれませんね。
ここまでの話だと世間にありがちな結婚と言えますが、陽子さんの実家が1877年創業の「加藤海運」(神戸市)と判明して「逆玉 (玉の輿)」と話題になりました。
ただ、バレーボールと海運会社は全くジャンルが違うので狙ったことは考えにくく、たまたま一目惚れをした相手が社長令嬢だったという可能性が高いでしょう。
夫婦生活は変わらず円満ということは取材などで明らかになっていますが、子供については特に情報が無いので積極的に公開をしないということも考えられます。
しかしながら、南さん子供は加藤海運の跡取り候補でもあるので、会社の役員情報をこまめにチェックすると貴重な情報を得ることが出来るかもしれませんね。
ちなみに、陽子さんは代表取締役専務として仕事面でも南さんを支えています。
南克幸の弟は同じバレーボールの選手だった
南克幸さんは2メートルの身長を活かして大活躍をしましたが、2歳年下の弟・裕之(ひろゆき)さんも兄と同じ身長を持っていたバレーボール選手だったのです。
兄と同じ旭化成に入社し、1994年から1997年まで日本代表に選出された実力派だったものの、引退してからは特に情報が無いので近況も明らかになっていません。
ただ、2016年11月に「笑顔道アスリート会」という集まりに参加している様子が投稿されていたので、何らかの形でバレーに携わっている可能性もあるでしょう。
念のために紹介しておきますと、左端に立っている大きな男性が裕之さんです。
情報が少ないので物足りないと感じてしまいますが、ある意味で目立たないのは平和な日々を過ごしているという裏返しなので朗報と言えるかもしれませんね。
現在は義父の跡を継いで加藤海運の社長に就任
最後に2023年現在の南克幸さんが会社の社長になった話を見ておきましょう。
スポーツ関連の会社を起業するアスリートは珍しくありませんが、南さんは2013年2月1日に「加藤海運」の社長に就任して多忙な日々を過ごしているそうです。
南さんが社長に就任した経緯が気になったので調べてみると、2008年に結婚した妻・陽子さんの実家が加藤海運の創業家だったことが最大の要因と判明しました。
波乱が起こりがちの代替わりも陽子さんの父・栄一さんから「跡を継いで欲しい」と頼まれた”禅譲”だったので、目立った反対もなくスムーズに済んだそうです。
これだけの会社を元バレー選手に託した理由が気になりますが、娘婿というだけでなく旭化成で営業部課長をしていた経歴も影響を与えたと考えられるでしょう。
跡を継いだ加藤海運について調べると、年間取扱量は海上輸送が300万トン、関連企業を含めた社員は約400人、年商は約100億円を誇るという大きな会社でした。
現役時代はファンの期待を背負って戦い続けた日々でしたが、社長に就任後は社員とその家族の生活を守るという一段と大きな責任を背負っている様子が伺えます。
コロナ禍という非常に厳しい環境であったとしても、南さんであればバレーで培ったチームプレーや励まし合う精神で大きな危機を乗り越えてくれることでしょう。
加藤陽一の現在。結婚した嫁は大学時代の彼女。引退理由は達成感、監督の解任なぜ
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