物憂げな雰囲気をたたえた「アンニュイ」な女優として、女性たちの憧れの的だった小林麻美(こばやし あさみ)さん。
1991年に女優業を引退後、現在までどのように過ごしてきたのでしょうか。
また若い頃の活動、作詞家・橋本淳さんの恋人だったという噂、病気によって女優として成長したという情報を確認します。
さらに実家の場所や家族などの詳細に迫ります。
小林麻美のプロフィール
本名:田邊稔子(たなべ としこ)
生年月日:1953年11月29日
身長:167cm
出身地:東京都大田区大森
最終学歴:文化学院
小林麻美は現在、芸能界に復帰
1991年、小林さんは芸能プロダクション「田辺エージェンシー」社長の田邊昭知さんと結婚しました。
夫の意向に従い、結婚後は芸能界を引退し、専業主婦として家庭を支えていたそうです。
立派に育て上げた一人息子の泰三さんは、慶應義塾大学を卒業後、電通に入社して活躍しています。
ただ女優や歌手、モデルとしての小林さんのファンたちにとって、引退は残念なニュースだったはずです。
そのような往年のファンたちに、2016年7月、嬉しいニュースが舞い込みました。
小林さんがファッション誌「Kunel 9月号」の表紙を飾り、25年ぶりに芸能界に戻って来てくれたのです。
小林麻美、現在の画像ww夫との息子を極秘出産後に引退した彼女が25年ぶりに復帰!ファッション誌「Kunel」の表紙を飾る!【昔・若い頃の写真あり】 https://t.co/bcqUxHSAmy pic.twitter.com/QqrPeG02Kd
— ツナマヨ速報! (@cutecat66237) July 20, 2016
当時62歳とは思えないほど美しい姿に、見とれてしまった人も多いのではないでしょうか。
若い頃から細身で大人っぽい雰囲気を漂わせていましたが、今もその魅力は変わっていませんね。
小林麻美の若い頃の幅広い活動
小林さんは15歳のとき、少女向け雑誌のモデルとしてスカウトされ、芸能界に入りました。
モデルを経て、1970年に「ライオン歯磨き」のCMモデルとなります。
しかし撮影中に複雑骨折をして、長期休業を余儀なくされました。
治療を終えると、1972年に『初恋メロディー』で歌手としてデビューを果たします。
しかしうつむきがちで気だるい雰囲気の彼女を見た人々は「暗そうな子」と感じ、結局人気は出なかったのです。
1970年代後半にようやく注目されたのは、出演したCMの反響が大きかったためでした。
特に1977年のパルコのCM「淫靡と退廃」は、暗い雰囲気がコンセプトに合っていたため好評だったのです。
1984年にリリースした『雨音はショパンの調べ』は、歌手として初の大ヒット曲となりました。
女優としては映画『野獣死すべし』やドラマ『宮本武蔵』などに出演。
バラエティ番組にも出演してお茶の間で知られる存在となりました。
そして1991年、所属事務所「田辺エージェンシー」の社長・田邊昭知さんと結婚し、引退するのです。
橋本淳の恋人だったかは不明
歌手としての小林さんを支えていたのが、作詞家の橋本淳さんです。
作曲家の筒美京平さんとタッグを組み、『初恋のメロディー』や『落葉のメロディー』を発表しました。
いずれも小林さんの初期の代表曲ですが、ヒットには恵まれませんでした。
しかし根強い小林ファンにとっては、再評価されて欲しい隠れた名作にほかなりません。
追悼・筒美京平。小林麻美の初期のベストを。「初恋のメロディー」「海辺の白い家」「さよならのブルース」「恋のレッスン」「落葉のメロディー」「女の子は淋しくても」「あふれる愛に」(以上、橋本淳作詞)、続く pic.twitter.com/KhWkev26PB
— shinichi A BE-AR (@purissima_bear) October 13, 2020
結局、小林さんにヒット作を提供できなかった橋本さん。
世間の関心は曲ではなく2人の関係に向いてしまい、「恋人同士だ」と噂する声もあったようです。
しかし2人が恋愛関係にあった証拠はありません。
また小林さんは長年、夫の田邊さんに寄り添ってきました。
浮いた話とは無縁の女性ですから、橋本さんとは特別な関係になかった可能性が高いでしょうね。
小林麻美は病気により女優として成長
小林さんは暗いイメージのある女優として人気を博しました。
その背景には15歳前後の多感な時期に複数の病気を患い、病院で過ごしていたという事情があります。
1つ目の病気は神経性の胃潰瘍でした。
入院して治療に取り組んでいたものの、その後、足の骨が細菌に感染する骨髄炎を発症。
さらに院内感染で肝炎も患ってしまったのです。
「もしかすると悪い病気で死んでしまうかもしれない」という思いを抱きながら、悶々と過ごしていたようです。
共働きだった両親は忙しく、お見舞いの時間も限られていたため、1人で考え込む時間が多かったといいます。
このときに「生きていることは当たり前ではない」と悟ったのでしょう。
結果的に周囲の健康な10代とは異なる、やや陰のある女優として成長できたに違いありません。
小林麻美の実家は美容院
小林さんの実家は東京都大田区大森にありました。
父親は技術者として、国鉄の信号機を設計する仕事の傍ら、工場を経営していたそうです。
また母親は美容師で、美容院を経営していました。
実家の美容院は現存していないようですが、きっと地域の女性たちを支える頼もしい存在だったのでしょう。
両親は手に職がある経営者でしたから、かなりの高収入を稼いで、小林さんを育て上げたのかもしれませんね。
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