伊藤野枝の子孫、娘は改名。夫は大杉栄ではない。生家跡は今宿村

大正時代、文筆活動を通じて結婚制度や社会問題に意見を述べ続けた女性解放運動・伊藤野枝(いとう のえ)。

2022年には吉高由里子さんがNHKBSの特集ドラマ『風よあらしよ』で野枝を演じ、話題を呼んでいます。

最終的には虐殺によって命を落としますが、子孫は無事に成長していたことがわかりました。

西洋風の名前を改名した娘たち、夫は大杉栄ではないという情報、今宿村の生家を順に紹介します。

伊藤野枝のプロフィール

本名:伊藤ノヱ

生年月日:1895年1月21日

死没:1923年9月16日

身長:不明

出身地:福岡県糸島郡今宿村(現在の福岡市西区今宿)

最終学歴:上野高等女学校(上野学園中学校・高等学校の前身)

伊藤野枝の子孫、娘は両親の死後に改名

野枝はわずか28歳で憲兵である甘粕正彦によって虐殺されましたが、子孫を残していました。

子供たちは両親である無政府主義者の大杉栄と野枝から、海外の無政府主義者の名前を付けられています。

長女は「悪魔の子」にちなんで魔子、次女と三女はどちらもエマ、四女はルイズ、長男はネストルです。


記録文学作家として活動した松下竜一さんの著書『ルイズ 父に貰いし名は』に詳細が記されています。

松下さんはルイズさんにインタビューを行い、大杉と野枝の遺児たちについてまとめました。

本書によると大杉と野枝は結婚制度に反抗し、正式に籍を入れず、パートナーとして暮らしていました。

そのため子供たちは無戸籍でした。

いずれも両親の死後は改名しています。

魔子は眞子、2人いたエマは次女が幸子、三女が笑子、ルイズが留意子。

ネストルは栄と改名させられたものの、1歳で病死しています。

幸子さんは大杉の妹の養女となっており、両親が大杉と野枝であることを長い間知りませんでした。

また眞子さんは大杉の弟に育てられ、横浜紅蘭女学校を卒業し、タイピストとして勤務。

結婚後は初婚相手との間に1男3女、再婚相手との間に1男1女をもうけています。

野枝は多くの子孫を残し、その血筋は今でも続いているのです。

子供たちは奇妙な名前を付けられたうえ、歴史上の有名人の子孫ということで、嫌でも注目を浴びてきました。

ごく普通の家庭に生まれ育った人には想像できない苦労を経験したに違いありませんね。

伊藤野枝の夫は大杉栄ではない

野枝はパートナーの大杉とともに無政府主義者として活動し、関東大震災の混乱に乗じて憲兵によって殺されました。

多くの子供をもうけ、最期の瞬間まで2人で一緒に活動していたことから、2人を夫婦だと考えている人も多いはず。

しかし先ほど説明した通り、2人は正式な婚姻関係を結んでおらず、あくまでパートナー同士でした。

ただし大杉と出会う前、野枝には正式な夫がいました。

野枝の元夫・辻潤

野枝は上野高等女学校に在学中、英語教師の辻潤と恋に落ちました。

しかし卒業後、故郷の福岡県に帰り、親が決めた相手である末松福太郎と結婚することになります。

どうしても辻と結婚したかった野枝は、結婚のわずか8日後に出奔して上京し、辻の元に戻りました。

ロマンチストだった辻はなんと教職を捨てて野枝と同棲を開始したのです。

その後、野枝は辻にすすめられ、女性解放運動家の平塚らいてうに手紙を出しました。

結果的にらいてうが主宰する女性解放雑誌「青鞜」に参加し、文筆家・女性解放運動家の道を進み始めたのです。


野枝が名を残すきっかけを作ったのは辻だったのですね。

らいてうが「青鞜」を退くと、20歳で編集長に就任します。

「無主義、無規則、無方針」をモットーとし、幅広い層の読者の獲得を目指しました。

プライベートでは、1915年に辻と結婚し、長男・まこと、次男・流二をもうけます。

しかし辻は野枝の従姉妹と不倫をしていました。

野枝の方も無政府主義者の大杉栄に惹かれ、辻との結婚生活は4年ほどで終わりを告げます。

大杉栄は自由恋愛論者

大杉は「自由恋愛論者」として「フリー・ラブ」を提唱し、妻のほかに多くの愛人を作っていました。

しかし愛人の1人である神近市子に刺された「日蔭茶屋事件」の後、妻と破局。

ようやく懲りたのか、野枝1人だけと交際するようになったのです。

野枝は子供も編集長の仕事も捨てて、大杉との恋愛に熱中します。

世間に批判されても愛を重視した彼女には、「わがまま」「奔放」というイメージが定着していくのです。

伊藤野枝の生家は今宿村

野枝の生家は福岡県糸島郡今宿村にありました。

現在の福岡市西区今宿にあたります。

生家は現存していないものの、野枝の足跡を辿り、近くを散策する人は後を絶ちません。

特集ドラマ『風よあらしよ』の原作者である小説家・村山由佳さんも生家跡を訪れていました。

風のように自由に、嵐のように奔放に生き、男性中心の社会に異議を申し立てた野枝。

奔放な生き方には賛否両論があるものの、閉塞感漂う時代を打破するには、彼女のような気概が必要なことは確かではないでしょうか。


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