大正時代、文筆活動を通じて結婚制度や社会問題に意見を述べ続けた女性解放運動・伊藤野枝(いとう のえ)。
2022年には吉高由里子さんがNHKBSの特集ドラマ『風よあらしよ』で野枝を演じ、話題を呼んでいます。
最終的には虐殺によって命を落としますが、子孫は無事に成長していたことがわかりました。
西洋風の名前を改名した娘たち、夫は大杉栄ではないという情報、今宿村の生家を順に紹介します。
伊藤野枝のプロフィール
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いよいよ本日!
村山由佳さん原作
ドラマ「風よ あらしよ」
\吉高由里子さんの伊藤野枝と
ぜひ出会ってください🔥NHK BS8Kにて19時から放送開始です!
(秋にはBSプレミアムでも放送予定とのこと!)https://t.co/HRhjEjUeDk— 集英社文芸書 (@shueisha_bungei) March 31, 2022
本名:伊藤ノヱ
生年月日:1895年1月21日
死没:1923年9月16日
身長:不明
出身地:福岡県糸島郡今宿村(現在の福岡市西区今宿)
最終学歴:上野高等女学校(上野学園中学校・高等学校の前身)
伊藤野枝の子孫、娘は両親の死後に改名
野枝はわずか28歳で憲兵である甘粕正彦によって虐殺されましたが、子孫を残していました。
『自叙伝』(大杉栄) 再読のことーーー
1916(大正5)年11月9日〈日蔭茶屋事件〉
大杉栄(31歳)・神近市子(28歳)・伊藤野枝(21歳) 大杉栄は孤立、村木源次郎が支える。 今年の秋ドラマが放映されるが、伊藤野枝を演じるのは、なるほど、なるほど、吉高由里子。 pic.twitter.com/dx96ywYoiU— 牛嶋徳太朗 (@39nmNDHimdm7NsX) March 28, 2022
子供たちは両親である無政府主義者の大杉栄と野枝から、海外の無政府主義者の名前を付けられています。
長女は「悪魔の子」にちなんで魔子、次女と三女はどちらもエマ、四女はルイズ、長男はネストルです。
記録文学作家として活動した松下竜一さんの著書『ルイズ 父に貰いし名は』に詳細が記されています。
松下さんはルイズさんにインタビューを行い、大杉と野枝の遺児たちについてまとめました。
松下竜一「ルイズ-父に貰いし名は-」 #読了
大杉栄と伊藤野枝の間に生まれた娘のルイの半生を描く。
両親やその命を奪った甘粕大尉など戦中のアナーキストやそのシンパを取り巻く環境を臆面無く記述する。大杉と伊藤の命取りにもなったブッ飛んだ行動力、結婚を期に満州へやって来たルイと因縁とも→ pic.twitter.com/WJR9F2L93L— ナナシ (@omoide_dokusyo) September 5, 2021
本書によると大杉と野枝は結婚制度に反抗し、正式に籍を入れず、パートナーとして暮らしていました。
そのため子供たちは無戸籍でした。
いずれも両親の死後は改名しています。
魔子は眞子、2人いたエマは次女が幸子、三女が笑子、ルイズが留意子。
ネストルは栄と改名させられたものの、1歳で病死しています。
幸子さんは大杉の妹の養女となっており、両親が大杉と野枝であることを長い間知りませんでした。
また眞子さんは大杉の弟に育てられ、横浜紅蘭女学校を卒業し、タイピストとして勤務。
結婚後は初婚相手との間に1男3女、再婚相手との間に1男1女をもうけています。
野枝は多くの子孫を残し、その血筋は今でも続いているのです。
子供たちは奇妙な名前を付けられたうえ、歴史上の有名人の子孫ということで、嫌でも注目を浴びてきました。
ごく普通の家庭に生まれ育った人には想像できない苦労を経験したに違いありませんね。
伊藤野枝の夫は大杉栄ではない
野枝はパートナーの大杉とともに無政府主義者として活動し、関東大震災の混乱に乗じて憲兵によって殺されました。
多くの子供をもうけ、最期の瞬間まで2人で一緒に活動していたことから、2人を夫婦だと考えている人も多いはず。
しかし先ほど説明した通り、2人は正式な婚姻関係を結んでおらず、あくまでパートナー同士でした。
ただし大杉と出会う前、野枝には正式な夫がいました。
野枝の元夫・辻潤
野枝は上野高等女学校に在学中、英語教師の辻潤と恋に落ちました。
しかし卒業後、故郷の福岡県に帰り、親が決めた相手である末松福太郎と結婚することになります。
お知らせです。
3/31放送
NHK8K「#風よあらしよ」#吉高由里子 さん演じる
伊藤野枝の最初の旦那役
末松福太郎を #池田倫太朗 が
やらせていただきました。主演をはるかたの現場での居方。
雰囲気作り。全てがためになりました。吉高さんからの
「ボコボコにして下さいね☺️」
震え上がった。 https://t.co/LnmoPhzzfa pic.twitter.com/YIaoLrWemC
— 池田 倫太朗 (@Rintaro_05) March 30, 2022
どうしても辻と結婚したかった野枝は、結婚のわずか8日後に出奔して上京し、辻の元に戻りました。
ロマンチストだった辻はなんと教職を捨てて野枝と同棲を開始したのです。
その後、野枝は辻にすすめられ、女性解放運動家の平塚らいてうに手紙を出しました。
結果的にらいてうが主宰する女性解放雑誌「青鞜」に参加し、文筆家・女性解放運動家の道を進み始めたのです。
野枝が名を残すきっかけを作ったのは辻だったのですね。
らいてうが「青鞜」を退くと、20歳で編集長に就任します。
「無主義、無規則、無方針」をモットーとし、幅広い層の読者の獲得を目指しました。
プライベートでは、1915年に辻と結婚し、長男・まこと、次男・流二をもうけます。
しかし辻は野枝の従姉妹と不倫をしていました。
野枝の方も無政府主義者の大杉栄に惹かれ、辻との結婚生活は4年ほどで終わりを告げます。
大杉栄は自由恋愛論者
大杉は「自由恋愛論者」として「フリー・ラブ」を提唱し、妻のほかに多くの愛人を作っていました。
Japanese lesson :noe ito 伊藤野枝 :sakae osugi 大杉栄 pic.twitter.com/4TSdTleU5b
— 渋谷デザインステッカーbot (@shibuyadesign) March 24, 2022
しかし愛人の1人である神近市子に刺された「日蔭茶屋事件」の後、妻と破局。
ようやく懲りたのか、野枝1人だけと交際するようになったのです。
野枝は子供も編集長の仕事も捨てて、大杉との恋愛に熱中します。
世間に批判されても愛を重視した彼女には、「わがまま」「奔放」というイメージが定着していくのです。
伊藤野枝の生家は今宿村
野枝の生家は福岡県糸島郡今宿村にありました。
現在の福岡市西区今宿にあたります。
生家は現存していないものの、野枝の足跡を辿り、近くを散策する人は後を絶ちません。
特集ドラマ『風よあらしよ』の原作者である小説家・村山由佳さんも生家跡を訪れていました。
初めて訪れる伊藤野枝の故郷、福岡県今宿。波に足を浸せただけで泣きそうなのに、探しあてた野枝の生家跡を撮影中に出会ったこの方。お話の途中でふと、
「わしゃ野枝の甥ですけん」
声が裏返るほどびっくりして、全身に鳥肌が立った。
野枝の実兄の息子さん、86歳。
(画像掲載は許可を得ています) pic.twitter.com/kjBTvAdFMl— 村山由佳(時々もみじ) (@yukamurayama710) June 10, 2021
風のように自由に、嵐のように奔放に生き、男性中心の社会に異議を申し立てた野枝。
奔放な生き方には賛否両論があるものの、閉塞感漂う時代を打破するには、彼女のような気概が必要なことは確かではないでしょうか。
伊藤野枝は美人&激しい名言。最期&死因は甘粕事件での虐殺。平塚らいてうの青鞜に参加
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