日本プロ野球で初のノーヒットノーランの達成。
初代最高殊勲賞(MVP)に選出。
日本野球界最初の永久欠番に選ばれた背番号14。
その年のプロ野球シーズンにおいて、最も活躍をした先発完投型投手に贈られる沢村賞。
数々の伝説をを作り、没後なお語り継がれる沢村栄治投手の能力にせまります。
沢村栄治のプロフィール
【沢村栄治】巨人
プロ野球草創期に活躍した悲劇の剛腕投手
ルースやゲーリックを擁するMLB選抜チームを相手に9回1失点の好投をしたことで有名
三度の徴兵の末、東シナ海で戦死
彼の功績を称え、戦後には沢村賞が設立 pic.twitter.com/kFNNK27ixY— プロ野球名選手BOT (@basefrom1934) May 21, 2022
名前:沢村栄治(サワムラエイジ)
生年月日:1917年2月1日(1944年12月27歳の若さで他界)
身長:174cm
体重:74㎏
出身地:三重県宇治山田市(現在の伊勢市)
出身校:京都商業中退
ポジション:投手
所属チーム:東京巨人軍(現在の読売巨人軍)
沢村栄治はどのような球種を投げていたのか
カーブ、シンカー、フォーク、チェンジアップ、スライダー。
細かく分けると50種類以上とも言われる球種の数々。
4‐5種類の球種を使い分けるのが当たり前といわれる2020年代のプロ野球投手。
通算3度ものノーヒットノーランを達成(1936年,1937年,1940年)した沢村投手はどのような球種を投げたのでしょうか。
沢村投手の球種は、主にストレートと、ドロップボール(縦スライダーに該当)の2種類と言われております。
たった2種類の球種で、並み居る強豪打者を抑え、最高投手の一人として選ばれるなんて、すごいですよね。
一体、どれほどすごいストレートと、変化球だったのでしょうか。
沢村栄治の160超えといわれた球速
沢村投手といえば、まず注目されるのがその球速。
火の玉投手ともいわれるほどの速球を投げていたといわれていますね。
過去、実際に様々な方法で沢村投手の球速が分析をされました。
1990年には、実際の沢村投手の投球を見た、千葉茂さんと青田昇さんが、ピッチングマシーンを使い球速を分析。
その際にこれだと感じた球速は、165キロもありました。
1999年には、中京大学の湯浅景元教授が、キャッチボールの映像を基に球速を分析しています。
その結果は、150キロ後半はかなりの確率で出ていたと、コメントをしていました。
120キロ前後のストレートを投げる投手がほとんどだった当時のプロ野球で、150キロ台のストレートは相当速く感じたでしょうね。
球速と共に特徴としてあげられるのが、球がホップ(浮き上がる)したかにみえる現象。
同様のストレートでは、阪神タイガーズの藤川球児投手、昭和の怪物とよばれた江川卓投手が有名ですね。
浮き上がるストレートは、強烈なボールの縦回転が重要となります。
沢村投手は、常日頃から右手首や指のストレッチを欠かさなかったといいます。
沢村投手が現役選手の頃、実際に打者として対戦をした1937年阪神の主将松木選手はこのようなコメントを残しています。
球が二段階に浮き上がるような錯覚を受けた。
懸河のドロップ、3段ドロップとも言われた変化球
剛速球に次ぐ伝家の宝刀、沢村投手のドロップボール。
球速が速くするどく曲がるカーブをドロップボールと言います。
また懸河(けんが)とは、勢いよく流れる川を指し、それほど急激にボールが落ちることからそのような譬えがされました。
懸河のドロップ
川に橋をかけられると言われるくらい大きな変化をするカーブ。
沢村栄治の代名詞でもあった。でいいのかな。
— 八川社 きめらにせん (@kimera2000) July 13, 2020
沢村投手をはじめ、金田正一選手(1933年~2019年)、権藤正利選手(1934年~)がドロップボールの使い手として有名です。
今ではあまり耳慣れない言葉となってしまいましたね。
原因としては、球種が増えたことにより縦スライダーや、縦のカーブという言葉に置き換わってきたと考えられます。
「懸河のドロップ」、言葉の響きが美しいね…。 pic.twitter.com/EMe4BaFXs9
— Larry Spencer (@wildrunner_2510) May 13, 2021
沢村栄治の独特な投球フォーム
靴底が見えるほど高々と左足を上げたフォームが有名ですね。
宇治山田駅には沢村栄治さんの銅像があります。野球に興味がある方はご存じだと思いますが、プロ野球で活躍した投手に贈られる沢村賞はこの人から名付けられたそうです。体の硬いぼくはこんなに足をあげられません😁⚾ pic.twitter.com/w3q0DLztXG
— かんべい (@kanbeij) May 16, 2022
この特徴的なフォームは、1935年のアメリカ遠征時の三宅大輔監督の指導の下、身につけたとされています
しかし、このフォームはたまにしか使っていなかったようですね。
2015年に放送された『クローズアップ現代』では、試合時の投球映像が見つかり、足をほとんど上げていないフォームが見て取れます。
野球の神様、ベーブ・ルースをも三振に抑えた沢村栄治の能力
大谷翔平、鈴木一郎、松井秀喜、佐々木主浩、野茂英雄。
メジャーリーグで活躍する数々の日本人がいる中で、一番最初に名を轟かせた日本人選手。
それが、沢村栄治投手です。
時は遡ること1934年11月。
当時、読売新聞社が主催で日米野球が開催されました。
伝説の一戦といわれたのが、第10戦。
2番ゲリンジャー選手(三冠王)を三振に打ち取ると、続くベーブ・ルース選手、ゲーリッグ選手(三冠王)、フォックス選手(得点王)を4連続三振に抑えたのです。
自慢の速球と懸河のドロップが冴えわたり、8回1失点の好投を見せました。
試合そのものは0‐1で敗れたものの、「スクールボーイ・サワムラ」という名称で、称賛を受けました。
174cmという、決して大きくはない身長から投げ出される剛速球と大きく曲がる変化球。
それを可能にする強靭な肉体と投球フォームこそが、沢村投手の最大の能力なのかもしれませんね。
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