沢村栄治の娘が始球式に登板、妻は貿易商の娘。澤村拓一は孫でも子孫でもない

沢村 栄治(さわむら えいじ)さんは戦争で命を落とした「悲運のエース」として現代に至るまで球史に名を遺しています。

一方、グラウンド外の姿については謎が多い人物と話題になっているそうなので、今回は沢村さんの娘や妻、澤村拓一さんとの関係について見ていきましょう。

沢村栄治のプロフィール

本名:沢村 栄治 (さわむら えいじ)

出身地:三重県

生年月日:1917年2月1日

没年月日:1944年12月2日 (27歳没 ※戦死)

投球・打席:右投・左打

ポジション:投手

所属球団(選手):大日本東京野球倶楽部 (現・読売ジャイアンツ)

沢村栄治の娘・美緒が始球式に登場

まずは沢村栄治さんの忘れ形見である一人娘の美緒さんについて見ていきます。

美緒さんの経歴は明らかになっていませんでしたが、2017年3月22日の始球式に登場した際に(72歳)という紹介がありました。

さらに調べると、親子を紹介しているニュースに「生後5ヶ月の娘を遺して」という表記があったので、栄治さんが亡くなった1944年12月2日から逆算すると7月生まれと推測できます。

その後の美緒さんは成城大学を経て某広告代理店に就職したそうですが、始球式の記事に「愛媛県八幡浜市」とあることから母の故郷に戻ったことが分かりました。


やはりというか大学や職場では「あの沢村さんの娘さんか!」と話題になり、栄治さんのファンだった教授や取引先の社長さんたちに目を掛けてもらったそうです。

苗字が「酒井」に変わっているので結婚をした可能性もありますが、母の旧姓も同じく「酒井」なので実家に戻ってそのまま独身ということも考えられるでしょう。

ちなみに、沢村家と読売ジャイアンツの確執に長らく関係者の心を悩ませていましたが、美緒さんが取材や始球式に参加していることからも”雪解け”が伺えました。

美緒さんは様々な思いを背負って両者の和解を象徴するマウンドに立ち、そこで見せた投球は栄治さんに負けない素晴らしいものだったことは間違いありません。

沢村栄治の妻は貿易商の娘だった

この項目では沢村栄治さんの妻について見ていきましょう。

妻の名前については「米井良子」や「酒井優子」という表記がありますが、最近の報道を見る限りだと”酒井優”さんが正しい本名と推測されます。

なぜ本名に諸説があったのか調べると、今の時代にもある身分差別のようなものがありました。

沢村さんは大学を出ておらず仕事も創立されて間もない職業野球、一方の優さんは東京女子大学を卒業した才女で実家も富豪だったことから両親は反対したそうです。

ただ、結婚をした1941年当時は家柄が大きくモノを言う時代だったことを考えると、現代社会を生きる私たちの感覚で優さんの両親を責めるのは酷と言えるでしょう。


そんな身分違いのふたりが知り合ったのは当然のように野球で、優さんが”ハンドバッグの裏にサインして下さい”と声を掛けたことが始まりだったとのことでした。

ふたりの新婚生活は沢村さんが軍に召集されたこともあって約5ヶ月で終わり、除隊後は肩を壊した影響で満足に投げられずに解雇という憂き目に遭っています。

その後、沢村さんは1944年12月2日に東シナ海で戦死を遂げ、戦争未亡人になって以降の優さんに関する情報や足跡は特に見当たりませんでした。

数少ない情報としては同姓同名の沢村拓一さんがジャイアンツ入りをした際に、優さんが応援のメッセージを寄せたというニュースがあったぐらいです。

2010年10月時点で91歳と紹介されていたので2022年現在もご存命であれば103歳になりますが、元気に余生を過ごされていることをお祈りするばかりですね。

沢村拓一は沢村栄治の孫でも子孫でもなかった

最後に沢村栄治さんと沢村拓一さんの血縁関係について見ておきましょう。

拓一さんが読売ジャイアンツ入りをした際には「67年ぶりの沢村」として盛り上がりましたが、沢村の先代である栄治さんとの血縁関係は特に無いそうです。

仮に栄治さんとの孫や子孫であればメディアが大きく取り上げているはずなので、両者の間に血縁関係があるという可能性はゼロと断言しても良いでしょう。


同じ沢村でも栄治さんと拓一さんの見た目はかなり違うものの、ストレートに命を懸けた真っすぐな男という点は同じなので力の投球を堪能できるはずです。

同じ苗字だったことはプレッシャーだったかもしれませんが、自分の野球を全うできれば「栄治よりも拓一」と言われてもおかしくない結果を残せることでしょう。

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