杉下茂が名球会に入れなかった理由。戦争や手榴弾の練習で成長?死因は肺炎

杉下 茂(すぎした しげる)さんは大正生まれの数少ないプロ野球OBでした。

2023年に亡くなっており、球界のレジェンドの訃報に、ファンからは悲しみの声があがっていましたね。

今回は杉下茂さんが、名球会に入れなかった件を調べてみました。

戦争のエピソードや死因となった病気なども、あわせて紹介していきましょう。

杉下茂のプロフィール

生年月日: 1925年9月17日

没年月日: 2023年6月12日(97歳没)

身長: 182cm

出身地: 東京府東京市神田区(現: 東京都千代田区)

投球・打席: 右投右打

ポジション: 投手

杉下茂が名球会に入れなかった理由

名球会は金田正一さんらが発起人になった「昭和名球会」が始まり。

当時の名称を見て分かる通り「昭和」というキーワードを使って世代(年号)の区別をしています。

名球会への入会条件には成績以外にも「昭和生まれ以降」というルールがあり、大正生まれの杉下茂さんや赤バットで知られる川上哲治さんも入会条件を満たしていません。


これについて金田正一さんらが主導権をにぎるために「昭和」を入れたといわれていますが、もしかするとここまで大きな組織になるとは想像していなかったのかも知れません。

また、自分たち後輩が作った会に偉大な先輩を招くのは逆に失礼かもしれませんよね。

現在の名球会は平成生まれの選手が多く加入するなど若返りが進んでおり、会員が日本各地に出向いてイベントや野球教室を開催して野球の普及を進めています。

大人たちはまだしも、子供たちに名球会会員の凄さが分かるかどうかは疑問ですね(笑)

広澤克実さんは名球会の”昭和ルール”について「理解できない」と疑問を投げかけ、野茂英雄さんは会合で「何をする組織なのか?」と活動に疑念を持っています。

ようやく”昭和から昭和以降”に入会ルールが変わるなど改革も進んでいますが、そろそろ抜本的な改革や新しい組織を立ち上げる時期になって来たのかも知れませんね。

戦争や手榴弾を投げる練習が名投手・杉下茂を生んだ

次に杉下茂さんの戦争体験や手榴弾のエピソードを見て行きましょう。

大正14年生まれの杉下茂さんは、太平洋戦争中の昭和19年3月に帝京商業学校(現在の帝京大学中学・高校)を卒業。

旧日本軍に召集されて12月に陸軍(事務職)に配属されました。

杉下茂さんは幹部候補生試験に合格していたエリート。

中国(南京)の予備士官学校に行く予定で日本を離れましたが、戦局の悪化や書類の紛失もあって倉庫番になりました。

軍隊で手榴弾を投げる訓練がありましたが、これは野球経験があったから選ばれたそうです。

戦法として匍匐(ほふく)前進をした体勢で投げなければならず、野球の球とは全然違う鉄の塊を投げることから親戚の沢村栄治さんは肩を故障してしまったそうです。


一方の杉下茂さんは、過去に軟式から硬式に変わった際に重い球を無理に投げてヒジを故障した経験があり、手榴弾の訓練でヒジを真っすぐ伸ばす投げ方を身に付けました。

さらに、手榴弾を投げる訓練によって肩が強化されて以前とは比べ物にならない速球を投げられるようになり、高校時代のあだ名「弱肩の茂」を返上することが出来ました。

食事面も日本に居た頃より豊富で毎日のように”トンカツ”を食べられたそうです。

しかも、現地では3度の食事もキチンとあったので体重が100キロくらいになったらしく、むしろ帰国してからの方が食糧事情は厳しくて痩せたそうです。

軍隊生活で十分な栄養を摂ることが出来ただけでなく、手榴弾を投げる練習によって肩を強化されて大投手の一歩を踏み出したのは何とも不思議な運命ですよね。

杉下茂の死因は肺炎

杉下さんは、2023年6月12日、都内の病院にて97歳で亡くなっています。

公表された死因は肺炎でした。

97歳というのはすごいですね。

ファンの間でも、その年齢はよく話題になっていました。

亡くなってしまったのは残念ですが、あと数年で100歳だったわけですから、本当に長生きでしたね。

以前から肺が弱ってきていた

1996年以降、中日ドラゴンズの臨時コーチをずっと続けていた杉下さん。


高齢になっても元気にコーチとして活躍する姿から、パワーをもらっていたファンも多いのではないでしょうか。

しかし、杉下さんの肺機能は、2019年頃から少しずつ低下していたのだとか。

そこへコロナウイルスの蔓延があったため、杉下さんはなるべく自宅で過ごすようにしていたそうです。

臨時コーチの仕事が2019年春季までだったのも、そうした事情があったからでした。

毎年の活躍を楽しみにしていたファンは寂しかったと思われますが、健康のためなら仕方がないですね。

ただでさえ肺が弱っている状態なら、コロナウイルスに感染して体調が悪化すれば、命の危険もあったはず。

杉下さんとしても臨時コーチを続けたい気持ちはあったかもしれませんが、自宅で静かに過ごしていた方がよかったでしょう。

しかし、杉下さんは前述のとおり肺炎になってしまいました。

診断されたのは2022年6月。

そこから療養生活に入りましたが、なかなか回復しなかったのか、2023年に力尽きてしまいます。

肺機能低下からの肺炎は、かなりダメージが大きかったのかもしれません。

コロナには注意していたと思われるので、別の病気にかかってしまったのはとても残念ですね。

北別府学の訃報も同時期で野球ファンショック

杉下さんの訃報は、北別府学さんの訃報と一緒に話題になっていました。

北別府さんが亡くなったのは、2023年6月16日。

杉下さんの4日後だったため、訃報もかなり近い時期に流れたのです。


有名な野球選手が続けて旅立ってしまい、衝撃を受けたファンは多かったようですね。

どちらも好きだった人にとっては、つらいダブルショックとなったことでしょう。

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