宅八郎の現在。イケメン化して結婚していた。死因と国籍、若い頃の経歴まとめ

1990年代に「おたく評論家」として多数のメディアで活躍していた宅八郎(たくはちろう)さん。

「森高千里さんのフィギュア」「マジックハンド」「紙袋」を携え、そして長髪という独特な出で立ち。

良くも悪くも世間に「おたく」というものを印象付けました。

そんな宅八郎さんの経歴を振り返ります。

2020年に報道された死去のニュースや、「宅八郎」と名乗る以前の活動についてもお伝えします。

宅八郎のプロフィール

本名:矢野守啓(やのもりひろ)

生年月日:1962年(昭和37年)8月19日

出身地:静岡県浜松市

最終学歴:法政大学社会学部

宅八郎の現在。まさかのイケメン化でホストや音楽活動も

宅八郎さんは2022年現在どうされているか。

結論を言うと、もうお亡くなりになられています。

2020年8月にご逝去された事が、同じ年の12月に関係者のSNSから発信されたことで世間に広まりました。


では「おたく評論家」としてメディアに出なくなった以降はどうしていたのでしょうか。

「おたく」から「ホスト」に転身していた

2004年、宅八郎さんはイケメンの代名詞とも言える職業「ホスト」になっていました。

新宿歌舞伎町にある有名ホストクラブ「clubG」にホストとして勤務する姿がバラエティ番組で紹介され、昔の「おたく」な宅八郎からは考えられない姿に視聴者は驚きました。

ですが、お客さんのハートを掴むために、しっかり自分の武器は使っていたようです。

それが「マジックハンド」です。

グラスをマジックハンドで掴んで「マジックハンドイッキ」という余興で人気を集めていたそうです。

テレビで活躍されていた頃の宅さんを知る世代が盛り上がるのは必至ですね。

反面、人気がありすぎたためお酒を大量に飲みすぎ、体調を悪くされたようです。

そのため、2006年頃には指名を受けた時にだけ出勤をするような形になっていました。

ロックバンドやDJとして音楽活動も

2010年に「大追跡!あのニュースのつづき」というテレビ番組にはハチロックというロックバンドで出演されました。


ジャンル的にはテクノロックとも言えるような、シンセサイザーの入った緩めのロックです。

Youtubeにライブ映像が残っています。

もともと宅さんはテクノに関しての知識が深い方でした。

ハチロックとしての活動の傍ら、DJメカヤクザとしても音楽活動をされていました。

Mac book proを駆使してご自身でリミックスをされていたようです。

こちらの動画では田原俊彦さんの「抱きしめてTONIGHT」のDJミックスをプレイしてらっしゃいます。

死去のニュースで公になった結婚と、その死因

2020年12月に作曲家の片岡宏介さんがツイッターで「宅八郎さんの弟さんから連絡があり、8月に亡くなられたとのこと。」と発信し、宅さんが亡くなられていた事が世間に知れ渡りました。

亡くなった経緯は、2020年5月に小脳出血により自宅で倒れ、入院。

当初は意識があり会話もできていたが、6月に再度出血。

その後意識不明の状態が続き、8月11日に府中市の病院で死去されたそうです。

57歳でした。

12月の死去が報道されてから、弟の雄康(たけやす)さんがメディアへのインタビューに答えました。

死去から4ヶ月を経ての公表になった理由は、宅さんがテレビなどに出なくなってから10年以上経っていた事や、公表すれば宅さんの事をまた悪く書かれるのではないか、という懸念があったためと説明しました。

それでもなお公表に踏み切った事に関しては、宅さんの事実婚関係の妻が「かつてお世話になった関係者には報告した方がいいのではないか。」という意思があったからだそうです。

この事から宅さんには内縁の妻がいた事も明らかになりました。

国籍についての噂

「おたく評論家」時代のひょろっとした体型に長髪というインパクトのあるルックスから、国籍についてもさまざまな憶測があったようです。

ですが、静岡県浜松市出身という事実と、国籍についての信ぴょう性のある記事もない事から、国籍は日本で間違いないと思われます。

「宅八郎」になる以前の経歴

「宅八郎」を名乗る前は、テレビCMの制作会社で働いていた事が明らかになっています。

その会社では白元の「ダニ殺し」のCMなどを手がけたそうですが、対人関係の問題で退社されました。

退社後はフリーライターになり、女子高生向けファッション雑誌の「プチセブン」などに寄稿されていたそうです。

運命を決定づけたのは1989年に起こった「東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件」でした。

その事件をきっかけに世間に「おたく」という概念が広まり、宅さん自身もおたく文化に衝撃を受け、「宅八郎」を名乗るようになったそうです。

それ以降、宅八郎として雑誌に出たり、「天才・たけしの元気が出るテレビ!!」などのテレビ番組に出る事で一躍有名になりました。


現代では「おたく」かなりポップなイメージになり、誰もが何かしらの「◯◯おたく」と自称するほどになりました。

晩年の宅さんはその様子をどんな気持ちで見ていたのでしょうか。

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