2015年、有田焼の狛犬「天地の守護獣」が高く評価され、大英博物館に永久保存された実績がある小松美羽(こまつ みわ)さん。
日本を代表する現代アーティストとして活躍し続けていますが、なぜ国内外で絶賛されているのか見ていきましょう。
また作品の価格と年収、経歴を確認しつつ、農業高校から美術大学に進学したという情報に迫っていきます。
小松美羽のプロフィール
本名:小松美羽
生年月日:1984年11月29日
身長:非公表
出身地:長野県坂城町
最終学歴:女子美術大学短期大学部
所属事務所:風土
小松美羽の作品はなぜすごいのか。作品は人類の歴史に残る資料
小松さんの代表作は、2015年に制作した有田焼の狛犬「天地の守護獣」です。
いまさら思い出の振り返りですが
大英博物館で一番見たかったやつ見れて嬉しかったです
小松美羽さんの天地の守護獣 pic.twitter.com/shzPtyQkWF— しー@早寝早起 (@C_D_40) February 13, 2020
どこかユーモラスな表情をした狛犬は高く評価され、ロンドンの大英博物館に永久保存されました。狛犬は日本でも展示され、多くの人を魅了しました。
なぜ小松さんの作品は国内外で高く評価されているのでしょうか。
筆者は、小松作品には作者の熱い魂と平和への祈りが込められているからこそ、人々の心を揺さぶる力があるのだと感じています。
小松さんは日々瞑想に取り組み、殺生を嫌って肉や魚は口にしないという、修行僧のような生活を送っています。
「世の中のために殺生はしない」などと正義感をふりかざすことはせず、黙々と質素な生活を送り続けているのです。
日々の生活を送ること自体が、彼女にとっての「社会への祈り」だと言われています。
身勝手な現代人が増え続けている中、小松さんは気取らず、おごらず、淡々と時を過ごしている様子です。
作品を創り上げる際も瞑想状態に入り、物質的ではなく精神的な世界の中で過ごしているように見えます。
小松さんは絵画や焼き物などさまざまな作品を発表していますが、多くの作品のモチーフは、狛犬のような守り神です。
守り神の大きく力強い瞳の中には、争いのない世界の実現に向けた、作者の祈りが込められているようにも見えます。
もしかすると小松さんは瞑想状態の中で、目には見えない守り神たちと話し合っているのかもしれません。
神獣たちとの対話の中で平和な世界の実現を目指すようになり、殺生を控える禁欲的な生活を送り始めたのでしょう。
そして神獣たちの声を代弁するつもりで、社会への強い祈りを作品に込めたのです。小松さんは文字通り、作品に魂を吹き込んでいるに違いありません。
現代に対する魂・祈り・念が込められた小松作品は、時代を代表する作品として扱われ、大英博物館に所蔵が決まるほど高く評価されたのです。
単なる芸術作品ではなく、人類の歴史に刻まれるべき貴重資料だと認識された結果、美術館ではなく博物館に所蔵されたのかもしれません。
小松美羽作品の価格は数百万円以上
2015年、大英博物館に作品が所蔵されたことで、小松さんは世界各国から注目されるようになりました。
注目度合いに比例して作品の価値も高まり、オークション落札価格はどの作品も100万円以上です。
絵画については数万円から数百万円と高値でやり取りされている状況。もっとも安価な絵画「酔いどれ」でさえ、本体は5万円、額装費を加えた合計金額は74,800円です。
またデザインを手掛けたTシャツがネットオークションにかけられた際は、たった1枚でありながら15,900円で落札されました。
デザインした浴衣や着物についてはさらに高値で販売され、「プレタ浴衣/六道輪廻と四十九日のコラージュ」は53,784円です。
数万円のものであれば小松作品を買いたい人もいるかもしれませんね。
小松美羽サイン入りシルクスクリーン買った、やばいやばい激レア!ホワイトストーンギャラリーが福屋に来たから譲ってもろた…これはほんとに手に入らない!まじのまじで家宝!! pic.twitter.com/fEkpZUDX1l
— RIKA (@RIKA_lxl) July 14, 2021
ただ年々作品の価値が増しており、2023年現在は限られた場所でしか購入できない状況です。
不定期ですがアートギャラリー「ホワイトストーンギャラリー」が小松作品を販売することがあるため、こまめにチェックするのがおすすめですよ。
小松美羽の年収は推定1,000万円以上
小松さんの年収は公表されていないものの、推定1,000万円以上とされています。
安い作品でも5万円の値段が付き、高い作品は1,000万円以上で販売されてきました。
さらに小松さんが得意とする銅版画は量産しやすいため、価値のある作品を次々発表できるはず。
そのため推定1,000万円は余裕で超えている可能性が高いです。
小松美羽の経歴、幼少期から動物を描く
幼少期から「画家として生きていける」と思い込んでいた小松さん。
暇さえあればチラシの裏などに落書きをして、絵の道で生きていくことを当然のこととして考えていました。
女子美術短期大学女子美で銅版画に熱中し、卒業後も2年間は研究生として制作を続けていたそうです。
研究室を卒業後は百貨店のアート部門でアルバイトをする傍ら、絵を描き続けました。
しかし百貨店を訪れるアート関係のお客様に作品を見せたところ、酷評されてしまったそうです。
酷評された絵の中にはのちに代表作となる、20歳のときの作品「四十九日」もありました。
そんな中たった1人だけ、小松さんの作品に興味を持ってくれたのが、アートプロデューサーの高橋紀成さんです。
小松美羽展では、進化し続ける作家の歩みをたどります。銅版画家として評価された「四十九日」(2005年)。後にこの代表作を超える覚悟から断ち切った銅板も展示されています。→(続 pic.twitter.com/yJe4YajtFn
— 美術展ナビ (@art_ex_japan) June 24, 2022
高橋さんからは「阿久悠さんのトリビュートアルバムのジャケットを描かないか」と提案されました。
締め切りは3日後で、しかも採用されるかわからないという厳しい条件付きでした。
しかし「勝負どき」と感じた小松さんは睡眠時間を削り、必死にジャケット絵を何枚も提出したのです。
するとその中の1枚が採用され、見事に画家デビューを果たしました。
1人のプロデューサーによって、小松さんという稀有な芸術家の存在は世間に注目されることとなったのです。
小松美羽は農業高校から女子美術大学短大に進学
小松さんは自然豊かな長野県で育ち、犬やウサギなど多くのペットとともに過ごしていました。
幼少期から画家を志望していたものの、高校は美術とは関係のない長野県更級農業高校に進学。
自然や動物に囲まれて育った小松さんにとっては、地元の農業高校に進学することは当然の選択だったのでしょう。
しかし「画家になりたい」という信念があったため、大学は美術系の学校に進学するつもりでした。
そのため高校時代から美術系の受験予備校で画力を磨いていたそうですよ。
結果、女子美術大学短期大学部に合格して、本格的にアーティストとしての第一歩を踏み出したのです。
小松美羽に結婚歴なし。ハーフではないが美人。祖父の死、長野で育まれた死生観
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