四谷シモンの現在(2024)。結婚した妻&病気の噂はデマ。若い頃から人形制作に没頭

ボール状になった関節を動かせる球体関節人形の代表的な作家である四谷シモン(よつや シモン)さん。

2024年で80歳になりますが、どのように過ごしているのか調査しました。

また結婚した妻、病気の噂の詳細を確認しつつ、人形制作に没頭した若い頃の活動に迫ります。

四谷シモンのプロフィール

本名:小林兼光

生年月日:1944年7月12日

身長:非公表

出身地:東京都

最終学歴:中学校卒業

四谷シモンは現在(2024)も現役の人形作家

2024年現在、四谷さんは現役の人形作家として活動しています。

2022年5月には「人形とパステル画」展を開催し、ファンの前に元気な姿を見せてくれました。

かつてはアングラ演劇の女形として活動したこともありました。


しかし人形制作への情熱を断ち切れず、演劇と縁を切ってからは人形作家の道を突き進んできたのです。

物心ついた頃から人形に情熱を注ぎ続けてきたのですから、生涯現役で活動し続けることを望んでいるのではないでしょうか。

ただ、ツイッターの投稿は2020年4月10日を最後に、更新を停止しています。

原宿で運営している人形教室「エコール・ド・シモン」についても、最近はあまり宣伝していない様子です。

個展や生徒の発表会も開催しておらず、もしかすると少し活動をセーブしている可能性がありますね。

体調を崩しているのか心配しているファンもいるかもしれません。

ただイベントには元気に登場しているため、きっと年齢に配慮して以前よりも少し活動量を減らしているだけではないでしょうか。

四谷シモンの結婚と妻の情報はなし

四谷さんのプライベートに関する情報はベールに包まれており、結婚や妻に関する情報は見当たりません。

もし妻がいるとしても情報が一切見当たらないということは、一般人なのでしょう。

また人形作家という収入が不安定なアーティストの生活に理解のある、しっかり者の伴侶である可能性が高いですね。

あるいは独身の可能性も十分あります。「人形と結婚」するつもりで、人形制作だけに情熱を注ぎ続け、家庭を持たなかったのかもしれません。

四谷さんはおそらく、家庭というものを信用していないのではないでしょうか。


父親はタンゴの演奏者、母親はダンサーというアーティストの家庭で生まれ育ちました。

しかし両親は毎日喧嘩をしており、母親は四谷さんが9歳のときに恋人と駆け落ち。

父親、3歳年下の弟との3人暮らしが始まりました。

しかし四谷さんは母親が恋しくなり、10歳のときに弟を連れて、彼女を探し始めたのです。

見事に母親を見つけた後は、彼女の家で暮らし始めました。

しかし必死に探した母親は、今度は別の男性と浮気。

結果的に家族で何度も引っ越しをすることになります。

ついに母親は再婚したものの、再婚相手が事業に失敗して家を失いました。

過酷な幼少期を送った四谷さんは情緒不安定になり、万引き事件を起こしてしまいます。

このようにすさんだ生活を送っていた四谷さんは、幸福な家庭生活の様子を想像することさえ難しかったのではないでしょうか。

家庭に居場所がなかった分、人形制作に没頭することで自身の心を救っていたとすれば、独身を貫くことにした可能性が高そうですね。

四谷シモンの病気の噂はない

「四谷さんが病気を患った」と考えて、インターネットで情報を検索した人がいるようです。

ただ病気に関する情報は見当たらず、真相を確認できませんでした。

冒頭で解説した通り、最近は活動をセーブしている様子のため、「病気療養中なのでは?」という憶測が飛び交ったのかもしれませんね。

四谷シモンは若い頃から人形制作に没頭

四谷さんが人形制作を始めたのは10代の頃でした。

初めて制作したのは、新聞紙とうどん粉を材料とする、学芸会用のお面でした。


12歳のときに粘土で本格的に人形を作り始めます。

日本橋の高島屋で開催されていた人形展に通い、徐々に人形に魅了されていきました。

中学校を卒業後に家を出て、寿司屋でアルバイトをしながら、人形制作に取り組みます。

18歳のときにぬいぐるみ人形作家の水上雄次さんに弟子入りしました。

内弟子となった後は、水上さんのすすめで「現代人形美術展」にぬいぐるみを出品し、見事入選。

20歳のとき、ドイツのシュルレアリストであるハンス・ベルメールの球体関節人形が映った写真に衝撃を受けます。

今まで自分が作っていた人形が駄作に感じられたため、人形と材料をすべて捨ててしまったそうです。

四谷さんは球体関節人形に魅了されて実際に作り始め、ときには中に機械を入れて「機械仕掛けの人形」を完成させたこともあります。

四谷に住んでいたため苗字を「四谷」、好きだった歌手のニーナ・シモンにちなんで下の名前を「シモン」として活動を本格化。

1960年代後半には唐十郎さんが率いていた状況劇場に参加し、女形を演じて高く評価されました。

演技面でも豊かな表現力に恵まれた四谷さんですが、「やはり演劇より人形制作がしたい」と舞台を去ります。

その後は1973年に個展「未来と過去のイヴ」を開催しました。


個展のために大きな借金を背負ったものの、出品した12体の人形が完売。

こうして商業的な成功も手に入れ、プロの人形作家としての地位を確立したのです。

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