佐伯祐三の死因は殺害!?イケメン画家で家族は妻と娘が1人、子孫はなし

佐伯祐三(さえき ゆうぞう)は大正・昭和期にパリのモンパルナスで活躍した早世の画家です。

30歳の若さで亡くなり、死因は今も謎に包まれているため、詳しい情報に迫っていきましょう。

またイケメン画家だったことがわかる画像、家族の妻と娘、子孫の詳細も確認します。

佐伯祐三のプロフィール

本名:佐伯祐三

生年月日:1898年4月28日

死没:1928年8月16日

身長:推定163cm

出身地:大阪府西成郡中津村(現在の大阪市北区中津二丁目)

最終学歴:東京美術学校(現在の東京藝術大学)西洋画科

佐伯祐三の死因は衰弱死とされるが殺害説も

パリのモンパルナスで精力的に創作活動をしていた佐伯。

しかし1928年3月頃から持病の結核が悪化してしまい、精神的にも不安定になっていきました。

体調不良を抱えながらも描き上げた『黄色いレストラン』の出来には満足していたようです。

屋外で描いた作品はこれが最後となりましたが、屋内では郵便配達夫をモデルとした油絵2点、水彩画1点を描いています。


モデルとなった郵便配達夫はこのときしか姿を見せなかったため、のちに佐伯の妻は「あの人は神様だったのかも」と考えたそうですよ。

その後も創作意欲は衰えなかったものの、不安定な精神をコントロールできず、自殺未遂。

ヌイイ=シュル=マルヌにあるセーヌ県立ヴィル・エヴラール精神病院に入院しました。

妻が作ったものも含めて一切の食事を拒み、1928年8月16日に30年の生涯を終えます。

妻は、同時期に体調を崩した娘の看病をしており、夫を看取ることができませんでした。

佐伯は2度目の渡仏中に亡くなっており、1か月におよんだ取材旅行や雨に濡れながらの写生が原因で衰弱したと推測されました。

しかし佐伯が亡くなる直前期の様子がつづられた資料ごとに、内容は異なっており、その死には今も謎が多いようです。

衝撃的な殺害説も浮上しているため、のちほど詳しく見ていきます。

佐伯祐三はイケメン画家

佐伯は青年時代から自信家だったようで、東京美術学校(現在の東京藝術大学)西洋画科に在学中、カッコよく自画像を仕上げていました。

卒業制作として描いた自画像は、現代のイケメンアイドルの写真のようで、自信と気取りがにじみ出ていますね。

実際に彼は現代の価値観から見てもかなりの二枚目です。彫りが深く、西洋人のような濃い顔立ちが好みの人にはピッタリのタイプでしょう。


しかしパリに渡ると、従来の画風を酷評されて、自信を喪失してしまったようです。

健康的なイケメン風だった自画像も、元気を失った暗い雰囲気のデフォルメ化されたような自画像へと変化します。

結果的にはこの描き方がパリで高く評価され、画風を確立することになりました。

佐伯祐三は家族をフランスに同伴

2度フランスに渡った佐伯は、単身で渡るのではなく、必ず家族を同伴していました。

妻の米子、娘の弥智子に深い愛情を注いでいたようで、3人で写った家族写真も残されています。

しかし3人は、いつまでも平穏な日々を送ることはできませんでした。

佐伯祐三の妻・米子による夫の殺害説

佐伯の妻・池田米子(1903~1972)は富裕な貿易商の娘で、いつも高級な着物をまとっていたそうです。


 
脚に障害があったため、常に脚を引きずらなければならず、生涯苦しんでいました。

彼女については謎が多く、断定できませんが、夫と同じく精神を病んでいたという説もあります。

佐伯からは「米子はん」と呼ばれて、愛情を注いでもらっていました。

しかし1927年12月、佐伯家で突然、ガス事故が起きます。

ガス中毒によって佐伯は頭痛、娘の弥智子は視覚障害の症状に苦しみました。


このとき佐伯は、米子がガス栓を開く姿を目撃していたそうです。米子が2人を殺害しようとしたということでしょうか。

米子は夫の絵をどうにか売るために、彼の作品に加筆修正することがありました。彼女にも絵の心得があったということですね。

しかし自身の絵に手を加えられた佐伯は憤慨し、徐々に夫婦の仲は険悪になっていったそうです。

仮に米子が夫を殺害しようとしたのであれば、画風の違いによって、憎しみを募らせていたためだったのかもしれません。

ただ娘まで巻き添えにしようとしたのであれば、やはり精神を病み始めていた可能性があります。

真相は不明のため断定はできません。ただ佐伯がガス中毒になってから少しずつ体調を崩したのであれば、間接的に殺害されたことになってしまいますね。

今後、彼の最期の状況についてわかる新資料が見つかれば、随時更新していきたいと思います。

佐伯祐三の娘・弥智子は父の死の1か月後に死去

米子は佐伯の臨終時、6歳になる弥智子が結核喉頭炎と髄膜炎を併発したため、看病していました。

病気の父親と同居していた結果、罹患してしまった可能性があります。

弥智子は危篤状態に陥り、父の死から1か月後に亡くなりました。

米子には2人を殺害しようとしたという噂がつきまとっています。

しかし実際に夫と娘を相次いで亡くしたとき、彼女は大きな悲しみと孤独感に押しつぶされそうになったのではないでしょうか。

佐伯祐三の直系の子孫はいない

幼くして亡くなった弥智子は佐伯の一人娘でしたから、彼に直系の子孫はいません。

傍系の子孫がどこかで生存している可能性はあるものの、情報は見当たりませんでした。

米子は夫の死後に帰国し、生活をするために夫の作品に手を加えて、価値を高めようとしたそうです。

公開された佐伯作品の中にはオリジナルではなく、米子が加筆したものも含まれているということですね。


加筆修正についても実際のところ、真相は不明です。

米子による「贋作疑惑」が浮上した作品も、2023年時点では佐伯本人の作品として扱われています。

夫が亡くなってもなお、彼の作品に満足できず、手を加え続けたという妻。

それでも彼を純粋に愛し続けており、決して殺害するつもりはなかったと信じたいですね。

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