佐伯祐三(さえき ゆうぞう)は大正・昭和期にパリのモンパルナスで活躍した早世の画家です。
30歳の若さで亡くなり、死因は今も謎に包まれているため、詳しい情報に迫っていきましょう。
またイケメン画家だったことがわかる画像、家族の妻と娘、子孫の詳細も確認します。
さて、どんなゴールデンウイークになりますやら? #佐伯祐三 pic.twitter.com/PpahVns4Ip
— 川蝉☆奇蹟の月🌻 (@kawasemi_11) April 27, 2021
佐伯祐三のプロフィール
本名:佐伯祐三
生年月日:1898年4月28日
死没:1928年8月16日
身長:推定163cm
出身地:大阪府西成郡中津村(現在の大阪市北区中津二丁目)
最終学歴:東京美術学校(現在の東京藝術大学)西洋画科
佐伯祐三の死因は衰弱死とされるが殺害説も
パリのモンパルナスで精力的に創作活動をしていた佐伯。
しかし1928年3月頃から持病の結核が悪化してしまい、精神的にも不安定になっていきました。
体調不良を抱えながらも描き上げた『黄色いレストラン』の出来には満足していたようです。
大好きな画家佐伯祐三の、大好きな黄色いレストランでおやすみなさい🌙
偶然にも亡き叔父は、私の引っ越し祝いに自作のドアの絵を贈ってくれた。佐伯の話はしたことなかったはずなのに。 pic.twitter.com/5kqJ05qgdo— 奈津🦋Americana Exotica (@waltermitty1854) March 12, 2021
佐伯祐三 黄色いレストラン
1928
佐伯は、たった6年の画業を経て、30歳でパリで客死した。この画は屋外を描いた死去した年の最後の画で、家族に「描きった」と伝えたらしい。彼の風景画はとても迫力があると思う。 pic.twitter.com/0IS5LkrHhb— ニューポンチ♨️repum (@555takumome) September 2, 2021
屋外で描いた作品はこれが最後となりましたが、屋内では郵便配達夫をモデルとした油絵2点、水彩画1点を描いています。
モデルとなった郵便配達夫はこのときしか姿を見せなかったため、のちに佐伯の妻は「あの人は神様だったのかも」と考えたそうですよ。
2月15日(水)
⼤阪中之島美術館
佐伯祐三
『郵便配達夫』#2022osakastreet #StreetRambler #佐伯祐三#郵便配達夫#大阪漂流 pic.twitter.com/dDdBxoJyTH— 夢歩空(ゆめポカラ) (@yumepokhara) February 16, 2022
佐伯祐三「郵便配達夫」も🆗#中之島美術館 pic.twitter.com/jecXWp1oHr
— 廣野 友一(hirono tomokazu) (@dousitakousita1) February 8, 2022
本日開館の大阪中之島美術館にて
所蔵コレクション10作品×現代作家10名のコラボポストカード企画にお声がけいただきました。
私が描いたのは佐伯祐三の「郵便配達夫」です。子どもの頃から画集を眺めていたのでめちゃくちゃ光栄でした…他作家さんの作品もとても良いです〜https://t.co/uSvwK0Aip0 https://t.co/Hs1C1iMO6R pic.twitter.com/YxzjXziqfw
— 朝野ペコ (@asanopeko) February 2, 2022
その後も創作意欲は衰えなかったものの、不安定な精神をコントロールできず、自殺未遂。
ヌイイ=シュル=マルヌにあるセーヌ県立ヴィル・エヴラール精神病院に入院しました。
妻が作ったものも含めて一切の食事を拒み、1928年8月16日に30年の生涯を終えます。
妻は、同時期に体調を崩した娘の看病をしており、夫を看取ることができませんでした。
佐伯は2度目の渡仏中に亡くなっており、1か月におよんだ取材旅行や雨に濡れながらの写生が原因で衰弱したと推測されました。
しかし佐伯が亡くなる直前期の様子がつづられた資料ごとに、内容は異なっており、その死には今も謎が多いようです。
衝撃的な殺害説も浮上しているため、のちほど詳しく見ていきます。
佐伯祐三はイケメン画家
佐伯は青年時代から自信家だったようで、東京美術学校(現在の東京藝術大学)西洋画科に在学中、カッコよく自画像を仕上げていました。
卒業制作として描いた自画像は、現代のイケメンアイドルの写真のようで、自信と気取りがにじみ出ていますね。
藝大コレクション展、佐伯祐三の自画像がイケメンだったけど、実物もかっこよかったわ #art pic.twitter.com/lLF2biAStr
— じゃんぴえ瀧 (@Takaoni3000) October 25, 2020
実際に彼は現代の価値観から見てもかなりの二枚目です。彫りが深く、西洋人のような濃い顔立ちが好みの人にはピッタリのタイプでしょう。
しかしパリに渡ると、従来の画風を酷評されて、自信を喪失してしまったようです。
健康的なイケメン風だった自画像も、元気を失った暗い雰囲気のデフォルメ化されたような自画像へと変化します。
#この作品がなかったら今の自分は存在しなかったと言っても過言ではない作品
佐伯祐三 立てる自画像 pic.twitter.com/zASdDCEd3n
— あめのこさん📚 (@amenokosan) June 30, 2022
塗りつぶされていない佐伯祐三自画像見るとたいてい最初の感想は「イケメン…」ってなる。 pic.twitter.com/Kn3d8a5Sm7
— shijimi (@sjmmsc) September 26, 2019
結果的にはこの描き方がパリで高く評価され、画風を確立することになりました。
佐伯祐三は家族をフランスに同伴
2度フランスに渡った佐伯は、単身で渡るのではなく、必ず家族を同伴していました。
妻の米子、娘の弥智子に深い愛情を注いでいたようで、3人で写った家族写真も残されています。
しかし3人は、いつまでも平穏な日々を送ることはできませんでした。
佐伯祐三の妻・米子による夫の殺害説
佐伯の妻・池田米子(1903~1972)は富裕な貿易商の娘で、いつも高級な着物をまとっていたそうです。
11月30日から12月22日まで、Yoshimi Artsで開催中のグループ展「Insight 23」に僕の作品も出品されています。
佐伯祐三の1922年頃作の「米子像」(左)と、僕が10年前に描いた8号の人物画(右)を並べて頂き、恐縮至極ですが…
少し先になりますが、15日(日)の昼頃に在廊出来ればと思っています。 pic.twitter.com/uGKKtdJsNm— 寺林武洋 (@takehirotera) December 1, 2019
脚に障害があったため、常に脚を引きずらなければならず、生涯苦しんでいました。
彼女については謎が多く、断定できませんが、夫と同じく精神を病んでいたという説もあります。
佐伯からは「米子はん」と呼ばれて、愛情を注いでもらっていました。
しかし1927年12月、佐伯家で突然、ガス事故が起きます。
ガス中毒によって佐伯は頭痛、娘の弥智子は視覚障害の症状に苦しみました。
このとき佐伯は、米子がガス栓を開く姿を目撃していたそうです。米子が2人を殺害しようとしたということでしょうか。
米子は夫の絵をどうにか売るために、彼の作品に加筆修正することがありました。彼女にも絵の心得があったということですね。
しかし自身の絵に手を加えられた佐伯は憤慨し、徐々に夫婦の仲は険悪になっていったそうです。
佐伯祐三の妻、佐伯米子の絵があった。祐三も描いていたようなパリの街角。店にはアルファベットも書かれていて。でも静かな夕暮れ、三人の人かげも描かれていた。
ヴラマンクに二人一緒に習っていのね。祐三と娘を次々亡くし、一人帰国してからも絵を描き続けたのだ、、 pic.twitter.com/J5Il2GPjw5— ほほん (@hohon4817) August 3, 2018
仮に米子が夫を殺害しようとしたのであれば、画風の違いによって、憎しみを募らせていたためだったのかもしれません。
ただ娘まで巻き添えにしようとしたのであれば、やはり精神を病み始めていた可能性があります。
真相は不明のため断定はできません。ただ佐伯がガス中毒になってから少しずつ体調を崩したのであれば、間接的に殺害されたことになってしまいますね。
今後、彼の最期の状況についてわかる新資料が見つかれば、随時更新していきたいと思います。
佐伯祐三の娘・弥智子は父の死の1か月後に死去
米子は佐伯の臨終時、6歳になる弥智子が結核喉頭炎と髄膜炎を併発したため、看病していました。
病気の父親と同居していた結果、罹患してしまった可能性があります。
弥智子は危篤状態に陥り、父の死から1か月後に亡くなりました。
米子には2人を殺害しようとしたという噂がつきまとっています。
しかし実際に夫と娘を相次いで亡くしたとき、彼女は大きな悲しみと孤独感に押しつぶされそうになったのではないでしょうか。
佐伯祐三の直系の子孫はいない
幼くして亡くなった弥智子は佐伯の一人娘でしたから、彼に直系の子孫はいません。
傍系の子孫がどこかで生存している可能性はあるものの、情報は見当たりませんでした。
米子は夫の死後に帰国し、生活をするために夫の作品に手を加えて、価値を高めようとしたそうです。
公開された佐伯作品の中にはオリジナルではなく、米子が加筆したものも含まれているということですね。
加筆修正についても実際のところ、真相は不明です。
米子による「贋作疑惑」が浮上した作品も、2023年時点では佐伯本人の作品として扱われています。
夫が亡くなってもなお、彼の作品に満足できず、手を加え続けたという妻。
それでも彼を純粋に愛し続けており、決して殺害するつもりはなかったと信じたいですね。
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