カヒミカリィさんは、歌手として1990年代におしゃれな若者を中心にブームになった「渋谷系」の中心的人物でした。
同じく渋谷系のド真ん中にいた小山田圭吾(おやまだけいご)さんとは、ファンなら誰もが知っている、公認で憧れの最強カップルでした。
そんなカヒミカリィさんと小山田圭吾さんとの関係や、小山田さんの元相方の小沢健二さん、元妻の嶺川貴子さんも含めた複雑な関係性について、お伝えします。
カヒミカリィのプロフィール
本名:比企真理
生年月日:1968年(昭和43年)3月15日
身長:153cm
出身地:栃木県宇都宮市
所属事務所:スリー・ディー
カヒミカリィと小山田圭吾は公認のカップルだった
「渋谷系」が好きだった方にとっては、カヒミカリィさんと小山田圭吾さんがカップルだったのは周知の事実です。
お2人もその事を隠すどころか、お揃いのシャツを着て抱き合う写真が雑誌に載っていたり、まるでセルジュ・ゲンズブールとジェーン・バーキンのようなカップル像を作り上げていました。
しかし旦那さんがカヒミと小山田くんの関係をまったく知らなかったことにびっくりしたな。当時こういう写真を見て、田舎の女子大生はどんだけ憧れたか!カヒミに憧れてワンレンロングにしたこともあったっけな🤔 pic.twitter.com/AYHIVduYKz
— kuu (@kuupolin) September 19, 2021
実際にゲンズブールとバーキンのように、小山田さんプロデュースによりカヒミさんは歌手としてデビューされています。
カヒミさんはゲンズブールの大ファンとしても知られていますので、意識的にオマージュしている部分はあったと思われます。
カヒミカリィと小山田圭吾の出会い
お2人の関係は、お互いがミュージシャンとして世に出る前からのお付き合いでした。
当時カヒミさんは、Fool’s Mateという音楽雑誌にフォトグラファーとして関わっていました。
小山田さんはFool’s Mateを毎号読み、ディスクレビューに載っているレコードを買い漁るほど熱心な読者だったそうです。
そんなお2人が出会うのは、Fool’s Mateの編集長だった瀧見憲司さんが下北沢のZOOというクラブで始めた「Love Parade」というDJイベントでした。
そして、音楽や映画の趣味が合っていたお2人は親密になっていきました。
こうして「渋谷系の王子様とお姫様」と呼ばれたカップルが誕生したのです。
小山田さんプロデュースのカヒミさんのデビューから、別れまで
1992年、小山田圭吾さんのプロデュースで1stマキシシングル「MIKE ALWAY’S DIARY」をインディーレーベルから発売し、ソロミュージシャンとしてデビューしました。
1995年に小山田さんのレーベル・トラットリアからメジャーデビューする際も、もちろん小山田さんのプロデュースでした。
1996年に小山田さんプロデュースのテレビアニメ「ちびまる子ちゃん」主題歌「ハミングがきこえる」がリリースされますが、同年8月に突然カヒミさんはパリへ移住してしまいました。
小山田さんと破局してしまったのは、このタイミングだったと考えられます。
1997年に発表したアルバム「クロコダイルの涙」の制作には小山田さんは全く関わっていません。
また同アルバムに収録された「私の人生、人生の夏」という楽曲は、恋人と別れて1人で生きていくことになった女性が主人公です。
この楽曲は、元ピチカートファイヴの小西康陽さんが、カヒミさんにインタビューをした内容を元に曲を書かれました。
歌詞に「いつの間にか夏は過ぎる たとえあなたと別れても 私はきっと新しい秋を生きるの ひとりで生きるの」という部分があるので、カヒミさんと小山田さんは1996年の夏に別れ、カヒミさんはパリへと旅立ったのではないでしょうか。
もうお2人の共作を聞く事はできないと思われていましたが、2004年にカヒミさんのアルバム「Montage」で8年振りに小山田さんとの共演が実現しました。
2023年現在でも直接的にお2人がメディアなどで共演する事はありませんが、小山田さんの記事にカヒミさんが「いいね」を付けたりなど、お互いそれぞれに結婚や子育てを経て、フランクにやり取りができるようになったようです。
カヒミカリィと結婚しなかった小山田圭吾が結婚したのは、元相方・小沢健二の元カノ
カヒミさんは2009年に、世界的タップダンサーの熊谷和徳さんとご結婚し、女の子のお子様を授かりました。
小山田さんは、カヒミさんよりも早い2000年にミュージシャンの嶺川貴子さんとご結婚されました。
この時にファンは非常に驚きました。
なぜなら、お相手の嶺川貴子さんは、フリッパーズギター時代に小山田さんの相方だった小沢健二さんとお付き合いをしていたからです。
小山田さんとカヒミさん同様に、小沢さんと嶺川さんのカップルも周知の事実でした。
小山田さんは「元相方の元カノ」と結婚をしたわけです。
更にややこしいことに、実は嶺川貴子さんはカヒミさんとユニットを組み、フリッパーズギターのプロデュースで曲を出した事があったのです。
つまり、小山田さんは「元相方の元カノであり、自分の元カノの元相方である女性」と結婚した、というわけです。
カヒミさんと嶺川さんのユニット名はFancy Face Groovy Nameという名前で、曲のタイトルは「恋はイエイエ〜新アイドルを探せ」です。
実は関係性がややこしいという事以上に、この楽曲はカヒミさんにとって大きな転機になりました。
カヒミさんはこの時を機に「Kahimi Karie」という、本名のアナグラムで作った名前を名乗るようになったので、カヒミカリィというアーティストが誕生した瞬間であったのです。
ちなみに嶺川貴子さんも同様にアナグラムを使って「Mamene Kirerie」と名乗っていましたが、その名前を使用したのはこの時だけでした。
若い頃のファッション
カヒミさんはカヒミカリィになる前から、雑誌の街角スナップなどで撮られるほどおしゃれでした。
1990年夏のオリーブ、ジーンズ・プリンセスを探せ!の全国街角スナップに登場する嶺川貴子&カヒミカリィ。冬にはファンシー・フェイス・グルービー・ネーム出るから、もうそーゆー事だよね?な、このページ久しぶりに見た。 pic.twitter.com/2h0QAyBNTT
— リズム&ブックス (@Rhythm_Books) August 27, 2018
音楽とファッションはいつも密接な関係にありますが、カヒミさんはファッションはもちろん、映画やライフスタイルにまで影響力を持っていました。
2023年現在は、妻として、母として、の活動に重きを置いていらっしゃいます。
また素敵な歌声をたくさん聞かせてほしいです。
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