浅倉大介(あさくらだいすけ)さんは、ボーカリスト貴水博之さんとのユニット・accessで人気を得ました。
そんな浅倉さんは、実は若い頃からシンセサイザーの「天才」と呼ばれており、すごい経歴を持っています。
また、小室哲哉さんとの音楽的な違いや関係についても、お伝えします。
浅倉大介のプロフィール
愛称:大ちゃん
本名:浅倉大介
生年月日:1967年(昭和42年)11月4日
出身地:東京都
最終学歴:東京都立蔵前工業高等学校卒業
所属事務所:ダーウィン
浅倉大介は昔から天才ですごいと言われていた
浅倉大介さんが音楽を始めたきかっけは、中学生の頃にエレクトーンを買ってもらったことだったそうです。
そして高校生の頃には、最新の楽器を触りたい一心でヤマハ系列の楽器屋さんでアルバイトをすることにしました。
当時の浅倉さんは演奏能力も桁違いに優れており、働いている楽器屋に展示しているシンセサイザーを熟知していました。
そのため、新しく販売されたシンセサイザーが複雑な操作で演奏をするとエラーが出ることを発見。
それがヤマハ本社の耳にまで届き、なんと高校生にしてヤマハのシステム開発の手伝いをすることになったそうです。
この出来事があってから、浅倉さんは、新しい機種が完成すると本社に呼ばれるようになります。
そして、複雑な演奏をしてもエラーがでないかといったデバック検査や、ベータテスターとしての仕事、そしてプログラム開発にまで携わったそうです。
好きなことにのめり込み、それが本職の人たちをも驚かせるような技術まで身につけてしまうなんて、浅倉さんは相当なシンセサイザーオタクだったようですね。
マニピュレーターって言ったら浅倉大介だなー。
高校時代からYAMAHAのシンセサイザーのバグ見つけていたとか。
天才すぎる。
シンセサイザーの中身を知ってるアーティストって日本にほとんどいないと思う。— てっしー (@tessssssy) January 28, 2013
多くのプロのキーボーディストでも、実際にシンセサイザーの中身までを知っている演奏家はほとんどいないでしょう。
そんな浅倉さんはヤマハでは作曲の才能も認められ、ゲームミュージックの制作なども任されていたそうです。
その頃の浅倉さんは将来、そのままヤマハの技術者として研究所のエンジニアになると思っていたそうです。
小室哲哉との違い
浅倉大介さんと言えば小室哲哉さんの存在が欠かせません。
お2人の音楽性には共通する部分がかなりあります。
もともと浅倉さんは小室さんの元でマニピュレーターとして長年働いていました。
小室さんの音楽の一端を浅倉さんが作っていたことも事実ですし、小室さんのエッセンスが浅倉さんの楽曲に多くの影響を与えたことも事実でしょう。
そんなお2人ですが、小室さんの音楽は「ヒットする楽曲優先」であること、そして浅倉さんは「シンセマニアの作る音楽」といったところに違いがあると言われています。
さらっと聞き流す分にはサウンド的な違いはさほどありませんが、よく聞いてみると違うのだとか。
小室さんの楽曲はメロディーとコード進行による楽曲の構築ありきで、楽曲アレンジとして打ち込みサウンドを使っています。
優先されているのはあくまでもメロディーとコード進行の関係性で、たとえ弾き語りでも良曲と呼ばれるような楽曲が多くあります。
小室さんは幼少期からピアノやヴァイオリンのレッスンをし、小学生の頃からクラシック音楽を作曲していたというルーツがあります。
一方浅倉さんの楽曲は、打ち込みサウンドをいかにかっこよく作り上げたその上にどんなメロディーを載せるか、という作り方です。
はじめて手にした楽器がエレクトーンで、打ち込みのできる楽器が音楽のはじまりだったことが浅倉さんの音楽の根底にはあると思われます。
そのため、浅倉さんの楽曲の打ち込みは非常に緻密で、打ち込みテクニックで浅倉さんの上をいく方はそうそういないでしょう。
そんな違いのあるお2人ですが、2017年に2人だけのユニット・PANDORAを結成しました。
2018年1月24日にリリースされたシングル「Be The One」はフューチャリングボーカルにBeverlyを迎え、「仮面ライダービルド」の主題歌として使用されました。
その後2018年1月に小室さんが引退宣言を行なったため、結果的にはシングル1枚とミニアルバム1枚がリリースされただけでPANDORAは事実上活動休止になっています。
小室哲哉との関係
浅倉大介さんと小室哲哉さんの関係は、まだ浅倉さんがヤマハで研究者として働いていたころでした。
当時の小室さんは「TM NETWORKのライブで打ち込みサウンドをライブで再現したい」とヤマハにオファー。
すると、シンセサイザーを熟知し、音楽理論にも精通している浅倉さんが出向という形で小室さんの現場に出入りするようになりました。
その後、TM NETWORKのサポートメンバーとしてライブのマニピュレーティングを任された浅倉さん。
1990年からはサポートキーボーディストとしてステージにも立つようになりました。
浅倉さんがアーティストになりたかったどうかは明らかではありません。
しかし浅倉さんにとっての小室さんは、「師匠」ではないものの、音楽業界に引き上げてくれた人物であることは間違いないでしょう。
関連記事
浅倉大介は若い頃からシンセオタク。自宅は都内。年収がすごい?倒れる体調不良の過去
浅倉大介に子供はおらず結婚歴なし。愛犬との生活&現在も独身の理由はディズニー好き?
木根尚登、素顔のサングラスなし姿!若い頃の活躍&影武者やギター弾けない説の過去